「告白」形式の連作短編フウな体裁を持った一冊で、巷では『告白』の二番煎じなんて感想もチラホラ散見されるものの、個人的には「告白」とは物語の指向性が異なっているようにも感じました。細部にはキワモノ・ミステリ的な風格は残されているとはいえ、ややマトモな方向に梶を切り、普通小説へ接近したテーマ性は「少女」の方に近いといえるかもしれません。
物語は、少女殺人事件という過去のコロシを起点に、この事件現場で少女の死体を発見した子供たちが大人に成長した後、トンデモない受難に巻き込まれていく、――という話。で、この地獄巡りをする女たちの物語がそれぞれ「フランス人形」「PTA臨時総会」「くまの兄弟」「とつきとおか」「償い」というように語られていき、最後の「終章」で件の少女殺人事件の真相が明かされるという結構です。
さらにはそれぞれの物語が例によって誰かに向かって語りかけるというモロ「告白」調のモノローグで流れていくゆえ、「告白」をすでに読まれた読者にしてみればどうしても処女作と比較してしまうことはいかんともしがたく、「何だよ、結局同じジャン」なんていうフウに感じてしまうやもしれません。
しかしそうした結構に見られる類似性が際立っている一方、明確な違いというのも確かにあって、例えば「告白」では冒頭の「聖職者」で語り手に「呪い」をかけられた人物たちがすぐさま奈落へと堕ちていくという展開であったのに比較すると、本作では件の少女殺人事件から各の逸話で語られる事件が發生するまでにはかなりの時間が空いています。
「告白」と同様、本作でもこれまた冒頭である人物が「呪い」をかけるわけですが、それがすぐさま発動せず、ある種の時限爆弾的な効果をもって恐ろしい因果を引き起こすという設定が、その「呪い」の重さをより際立たせているところは秀逸で、それとともに最後の「終章」である人物が行う「償い」の非常にささやかな行為との対比も見事な効果をあげています。
ミステリ的、――というのとはやや異なるものながら伏線もシッカリ張られていて、各話にチロチロと名前が挙げられる人物がいたりと、ややあからさなま過ぎるかなア、と感じられるところもあるとはいえ、ケータイ小説ばっかり読んでいたアーパー娘とかスイーツ女で始めて読んだマトモな小説が「告白」だった、みたい読者も想定される譯で、ここはかなり大胆にハードルを下げておくべき、と湊女史は判断されたのかもしれません。
キワモノ風味がもっとも横溢しているのが「フランス人形」と「PTA臨時総会」で、「フランス人形」で開陳される変態ネタは、確か早見女史こと矢口敦子の短編にもこういうのなかったっけ、と思わせる苦笑ネタ。ネタそのものは懐かし探偵小説的雰囲気の溢れる使い古されたものながら、それを今やってしまうという大胆さが微笑ましい。
こうしてこの「フランス人形」で時を経て発動した「呪い」をきっかけに、件の少女殺人事件の関係者が次々に奈落へと落ちていくのですけど、「PTA臨時総会」は、「フランス人形」的なキワモノ風味へさらに作者ならではの「黒さ」と「大衆への悪意」をタップリまぶした逸品です。学校に乱入してきた変態君はデブ野郎でさらにはミリタリーオタクというおまけつきで、こいつがナイフを振り回して子供たちを追いかけるの図、とこれだけでも相当にお腹イッパイなんですけど、このブタ野郎がわめき立てる台詞というのが「この国はまもなく滅びる。生きて捕虜になるよりも、潔く死を選べ!」とくるからタマらない。
こうした変態を冷笑するキワモノコースへ流れるかと思っていると、語り手の指弾の矛先がいきなり聞き手に向けられるというフックと、さらにはそうした語りの中では見えていなかったある人物の姿に光を当てるという構成も秀逸です。この二作では確かに過去の少女殺人事件の概要が語り手の視点から語られてはいくものの、物語の軸足はあくまで現在進行中の呪いの連鎖へと向けられています。
また、「告白」ではそれぞれの逸話の語り手や登場人物がかなりアレな人だったのに比較すると、本作の語り手はいずれも結構マトモで、むしろこんな受難に遭うようないわれはないようなごくごくフツーの人ばかり。このあたりも「告白」とは大きく異なるところでありまして、この「PTA臨時総会」の彼女なんて、湊ワールドに生まれなければフツーに真っ当な人生を送ることができたものを、――なんていうふうに考えてしまいます。
「くまの兄弟」の語り手のお話も結構痛く、脇役だったワルにハメられた家族が地獄に堕ちるという物語。この話の語り手もこのワルが出てこなければ、フツーの引きこもりで済んだものを、と溜息が出てしまいます。
「とつきとおか」は、語りの内容はもちろんのこと、むしろこの語りが行われている状況を巧みに隠した結構がキモで、次第に明らかにされていく語り手の背景や聞き手の正体が、物語の収斂を暗示しつつ、「償い」における呪いをかけた張本人の心の慟哭へと流れていきます。
まあ、確かに「償い」の語り手も相当に我が儘というか、イタい性格ではあるのですけど、過去にこんな事件に巻き込まれてしまったことには同情するしかないし、ある意味、自業自得とはいえ、「告白」がある種の痛快な幕引きで見せてくれたのに比較すると、過去の事件が事件で、さらには最後の語り手がこの人物というところから、この終わり方には何かスッキリしない、心の奥に澱のようなものが溜まったままドヨーンとした読後感を残します。このあたりをどう評価するかで意見が分かれるかもしれません。
個人的には、上にも述べた通り、「呪怨」も真っ青というような呪いの連鎖を時限爆弾的な仕掛けにしたことと、「終章」のささやかな「償い」の対比が残す静かな慟哭は非常にうまくまとまっていると思うし、むしろ「告白」のような「痛快」という言葉で纏められるような「割れきれる」終わり方をしないぶん、読者の心には様々な思いが「割り切れないまま」残るに違いなく、キワモノミステリというよりはテーマ性を際立たせてより普通小説へと接近した作風は寧ろ「告白」のねらいとは逆の方向を向いた作品カモ、というふうにも感じられます。
確かに「告白」の爽快痛快な展開はスカッとするし、エンタメ小説としての完成度は高いものながら、十年二十年後にもう一度再読できる方だったら本作ではないかな、と思うのですが如何でしょう。
いかにも「告白」の二番煎じ的な構成でありながら、湊女史ならではの「黒さ」と「悪意」に「重み」をくわえた風格で、「告白」よりも「少女」が面白かったという人の方が愉しめるかもしれません。