台湾における島崎御大の評論解説を一冊に纏めた「謎詭・偵探・推理」が台湾でリリースされました。台湾のミステリファンの間でも相当に注目度が高い本作なんですけど、何でも編集行程で誤りがあったとかで、現在市場に出回っているものは全面改修し、近々改訂版を出版するとのこと。とりあえず以下のエントリは初版本の内容ですけど、改訂版が出版されたあと、記述が変更されていることが確認された場合には修正する予定です。
というわけで本作、基本的な内容は、島崎御大が編纂した日本の推理小説シリーズなどに寄せた解説等から選りすぐりの四十五編を収録したというものゆえ、ここで取り上げられている作家なども、前半部などは御大が編纂されたシリーズに依拠しています。
御大が編纂した「日本推理小説名著」では、作品としての影響力は勿論のこと、ミステリという広範なジャンルの全体をとらえるために様々な風格の作家を取り上げることを掲げており、そのラインナップは、乱歩、正史、松本清張、高木彬光、土屋隆夫、仁木悦子、笹沢佐保、佐野洋、森村誠一、夏樹静子となっています。
日本のミステリが未だ台湾でも今ほどのブームになっていない時期のリリースゆえ、その解説の内容も、作家の来歴や作風を説明するというのが基本線ながら、日本の読者でも興味をもってしまうのが、解説の合間にさりげなく語られる御大と作家たちとの様々なエピソードでありまして、例えば「寫實派推理主将 佐野洋與『透明受胎』」のなかでは、御大が「佐野洋著作目録」を編んださいに、佐野御大が後日、デパートから洋酒を贈ってきてくれたという逸話を明らかにしています。
出版社からこうしたものを贈られてくるのは珍しくないけども、作家からっていうのはあまりないなア、と感慨深く語る御大のエピソードを他に拾ってみると、「本格派推理健将 天藤真與『嫌疑犯』」では、『幻影城』に書いてもらっていた当時、天藤氏とは毎月会っていたといい、東京に用事があって天藤氏が『幻影城』のオフィスを訪ねてきたとき以外は船橋の駅で待ち合わせをすることが多く、そのときに日本で一番美味しいという千葉の落花生を貰ったという逸話を披露。
そのほかには土屋隆夫氏を訪ねていったおりに、自家栽培の朝鮮人参を見せてもらったことや、高級クラブで飲んだこと等等、本作の前半に収録されている「日本推理小説名著」の解説には、『幻影城』時代における作家との交流の逸話が色々と語られていて興味深い。
『幻影城』絡みでは、二〇〇二年に新雨出版からリリースされた『浪漫的復活』の解説『浪漫的復活與泡坂妻夫、連城三紀彦、栗本薫、小杉健治、天藤真』に注目で、『幻影城』を創刊したさいの御大の心意気とともに、「ロマン」という言葉を掲げながらも、御大がミステリにおける「現実性」や「写実性」をどのように考えていたのかが語られています。そのあたりをちょっと引用すると、
一九七五年二月、『幻影城』を創刊したおり、創刊のことばの中に私は「ロマンの復活」なる主張を掲げてみた。しかし写実主義や社会派推理小説が全盛の当時において、探偵小説やロマンの復活を主張するのは大変に勇気のいることだった。
『幻影城』が追求するロマンとは「現実性」のあるロマンである。現実性のあるロマンと、現実を超越しあるいは現実から乖離するなど、浪漫主義の時代に生み出された非現実的な作品におけるロマンは同じではない。また現実性と写実性もそれぞれに異なるものだ。
紙幅も少ないので、「現実性」と「写実性」についてここで多くを説明することはできないが、簡単にいうと、英語でいう reality は日本語においては現実性と翻訳され、そこからrealismという言葉は一般的に現実主義とされる。これは文学上の表現でいえば写実主義ということになるが、『幻影城』が希求した「現実性」とは reality のある現実であり、写実主義における写実性ともまた異なる。つまり、作品の背景や作中における時間や物語世界、さらには登場人物や事物などは、現実性をともなっていなければならないということだ。それが未来社会であれ、超現実を題材とした作品であろうとも、作中において、作者はその物語世界に十分な描写と説明をもって読者が感情移入できるよう、作品を現実性のあるものとしなければならない。又、一九七五年二月、冠以偵探小説専門誌的《幻影城》創刊時、創刊詞中一句「浪漫的復活」的主張、在寫實主義、社會派推理小説全盛期、主張偵探小説、浪漫的復活是需要很大的勇氣。
《幻影城》所追求的浪漫是有「現實性」的浪漫。現實性浪漫與浪漫主義時期的部分超越現實、乖離現実等非現實的作品的浪漫不同、而現實性與写実性也不同。
因為篇幅不多、不能針對「現實性」與「寫實性」多作説明、簡単説、英文reality在日本飜譯為現實性、寫實性、而 realism 一般譯為現實主義、而使用在文學上、即譯為寫實主義。
由此可知《幻影城》所要求的「現實性」是 reality的現實、並非寫實主義下的寫實性、也就是説、作品背景的時、空和内容的人、事、物必須具有現實性。雖然以未来的社會、超現實為題材的作品、只要在寫作過程中、作者對這些時空有充分的描寫、説明、譲讀者能gou産生移情作用、應該可以説這些作品也具有現實性。
このあたりの主張を土屋御大のトリックに対する考え方に近づけて色々と考えてみるのも一興だし、新本格興隆期における数々の批判を想起しながら、それらの作品群と連城泡坂といった『幻影城』出身作家の作品と比較をしてみると、島崎御大なりの、「ミステリ」というよりは小説というものに対する立ち位置が見えてくるような気がするのですが如何でしょう。
それぞれの作品の解説は勿論のこと、島崎御大のファンとして貴重な資料ともなりえるデータが付録として巻末に掲載されている「傳博(中文評介分類)目録」でありまして、推理小説に関するもののほか、台湾文学や文化評論、さらには日本文化について述べた評論なども纏められています。
これを見ると、日本のミステリ界のみならず台湾のミステリファンたちからも音信不通とされていた時期の仕事もハッキリ判るという次第で、確かに台湾に帰国されて以降、日本のミステリ文壇とのあいだに失われたウン十年があったとはいえ、昨年の本格ミステリ大賞特別賞受賞に續く訪日から、日台のミステリ作家との橋渡しなど、近年ますます精力的に活躍されている御大の、『幻影城』以後の台湾での活動の軌跡を辿るとともに、台湾においては日本のミステリがどのようなかたちで紹介されていったのかを知る意味でも、本作の資料的価値はかなり高いのではないでしょうか。というわけで、『幻影城』ならびに御大のファのみならず、海外における国産ミステリの研究をされている方にも強くオススメしたいと思います。