東大卒のセンセが自分の息子であるテニスの王子様を殺害、逮捕されるもののアリバイは完璧、物証もナシという状況下で「落としの達人」はいかにして彼の自供を引き出してみせるのか、――という話。
何しろ犯人は丸わかりながら、警察側が怪しいと確信しているブツは全部海ン中に捨ててしまったと嘯ぶき、取り調べで痛いところを突かれると激昂した後はダンマリという、おおよそロジックを重視する本格ミステリのキャラとしては不適當ともいえる學者センセのキャラからして、物語の設定だけを目にするといかにもノれないかんじなのですけど、二人の會話を描き出す巧みさも相まって、物語は緊張感を維持したまま後半まで進んでいく結構は秀逸です。
犯人はそもそも初っぱなからバレバレで、取り調べの中から最後は意外な犯人が明らかにされるというような明快などんでん返しもないという構成ゆえ、本格ミステリとしての讀みは愉しめないのではという当初の予想を裏切るかたちで、最後に明らかにされるアリバイ崩しに絡めた「ずらし」が素晴らしく、またこのクライマックスを仄めかす「落としの達人」の「アリバイが成立しないんじゃなくて、アリバイそのものが存在しない」という謎めいた言葉の背後に隠された真意と、そこから急転して犯人を追いつめていく展開もいい。
完璧なアリバイに裏打ちされた事件の構図が、このアリバイに注力した「ずらし」によって、まったく違った樣態を明らかにするという仕掛けが、同時に停滞していた取り調べの突破口へと轉ずるという見せ場のほかにも、凶器の持ち運びにちょっとしたトリックが仕込まれていたりと、確かに被疑者と「落としの達人」二人の行き詰まる會話を中心に据えた人間ドラマによって物語を盛り上げていくというものながら、上に述べたような絶妙なフックによって事件の背後に隠されたドラマにより明確な輪郭を描き出してみせるところなど、本格ミステリならでは技法を用いた人間描写がしっかりと活かされているところも含めて、まさに名作と呼ぶべき一冊といえるのではないでしょうか。