谺健二、復活。とにかく新作を待って待って待ち續けてようやくリリースされた本作、「星の牢獄」と同樣のノンシリーズかと思いきや、何と探偵役は有希真一。だとすると「赫い月照」以前の話かというとそうではなくて、本作はあれから三年後の物語ということになっています。
あの「月照」の事件以後、有希の心の傷はどうなっているのか、とか、本格ミステリとしての結構は勿論なのですけど、個人的にこのシリーズは震災から復興、そして現在に至るまでの課程で登場人物たちがどのようなかたちで心の傷を癒していくのか、というところも見所でしょう。
で、今回探偵である有希が卷きこまれることになったのは、とあるお屋敷で発生した怪事件でありまして、何でも震災で家族を亡くした婆さんが一人で住んでいるお屋敷には肺魚のお化けが棲みついてい、婆さんがそいつに殺されそうになったという。さらに、その現場を目撃していた娘っ子はその事件のときに、震災時の神戸へとタイムスリップをして、その時の写真が使い捨てカメラの中へと收められているという。いったいお屋敷に棲んでいるという肺魚とは何なのか、そして時間旅行の眞相は、――という話。
物語は、有希の視點から件の怪事件を追いかけていくかたちで語られていき、前半ではそれと平行して、婆さんと娘っ子が文通していたという手紙の内容が明らかにされていくのですけど、そこでは肺魚が行方不明になった女の子を喰っていたとかという樣々な怪異がさんの口から語られていきます。またその婆さんの話を信じ込んでしまう娘っ子もある意味相当に常軌を逸しているのですけども、件の肺魚というのも恐らくは婆さんの見た幻覚に違いないだろうと思っていると、中盤を過ぎたところでお屋敷に潜入した探偵有希が件の肺魚に遭遇するという信じられない出来事が発生し、――。
肺魚の怪物に時間旅行という幻想的な怪異が本作では大きな謎としてクローズアップされてはいるものの、やはりそれら不可解な事件には大震災の傷が通奏低音のように流れているというのが谺ミステリの風格でありまして、本作における眞相開示によって犯人の心の傷のみならず、登場人物たちの心の慟哭が明らかにされるという仕掛けは秀逸です。
実をいうと肺魚の眞相については、「これってもしかして、楳図センセの『へび少女』にもこういうのあったよね?」なんてかんじの、何ともな仕上がりだし、中盤あたりで問題になる切り裂かれた写真の眞相についても、そのほとんどを讀者は見拔いてしまうのではないか、というものながら、本作における最大の驚きはその後に用意されているとある大仕掛けでありましょう。
またこの眞相が明らかにされた瞬間、登場人物たちが隠していたあることと、その理由が優しさゆえであることも判明し、そこから慟哭の人間ドラマが現出するという構成は將に本格ミステリでしか出來ないものであろうし、確かに個々の事件に添えられたトリックはイージーなものながら、自分としてはこの事件が解決した刹那に明らかにされるこの仕掛けと、そこから隠されていたドラマが立ち現れるという結構を大いに評価したいところです。
とかくこの傾向の小説を本格ミステリのマニアが論じる場合、個々の事件に添えられたトリック「のみ」に着目して、トリックが云々としたり顏で論じてみせる傾向が感じられるものの、本作では個々の事件の樣態よりも、寧ろ登場人物たちがそれぞれに「あること」を隠してい、それが眞相の開示の瞬間に慟哭のドラマを現出させるという巧みな構成を評価すべきだと思うのですが、如何でしょう。
そうした視點で眺めて始めて、例えば何故、被害者が事件について口を噤んでいるのか、その理由は、――というところや、あるいは何故ボランティア団体の事務所に件の人物は居座ってしまっているのか、という理由等等、登場人物のそれぞれが決して口に出來ない心の奧底に隠している哀切へと目を配ることが出來、またそれによって作者がこの事件の構図によって描こうとした真のドラマについても思い至ることが出來る筈で、そういう意味では、ド派手な物理トリックをブチ込んだ「未明の悪夢」や「星の牢獄」のような作品と比較すると、本作に込められた作者の真意は本格ミステリ「マニア」ほど理解出來ないカモ、……なんて気がします。
個人的にグッときたのが、有希が登場人物の一人と、雪御所圭子について話をするシーンにおいて、彼が、彼女は「死にました。三年前に、ある事件に卷きこまれて」と語ったあとの會話でありまして、
「有希さん、今でもその人のこと、忘れられないんですね」
「特に……忘れる必要もないですから」
という有希の言葉がもうタマらないというか。個人的には、有希とこの娘っ子の二人の関係が今後、どうなっていくのか、大いに期待したいと思います。谺ファンは勿論のこと、特に有希シリーズのファンは必讀でしょう。