前回の續きです。
日本推理小説撰集を編む(續き)
當時の台湾の推理小説業界というのはそんなかんじでしたから、もしその本がとても厚かった場合、頭のいい出版社の社長などは自分で頁數をばっさりと削ってしまうのですけど、これが頭の悪い出版社の社長になると、作者や翻訳者に削除をさせることになる。
もし彼らにちょっと知惠があってまあいいだろう、ということになって、それが頭の働く翻訳者だったりすると、推理小説の謎となるの部分をばっさりと削ってしまい、最後に謎解きの部分だけを殘してしまうという、――まあ、こういう本ははっきり言ってゴミですね。當時はこのような状況も少なくありませんでした。これは日本の推理小説に限らずそういうこともあったということです。
二〇〇一年になると、私は新雨出版社の編集長をやることになって、このときは日本の推理小説撰集として十冊を編纂しました。内容の方は、五十七人の推理作家による五十七編の短編作品で、これが出版されたとき、出版社は叢書の名前に「推理」の二文字を入れるのを嫌いましてね。
當時は推理小説に市場はありませんでしたし、実際のところ、二〇〇〇年には欧米と日本の推理小説は合わせて十何冊ほどしか出版されませんでした。二〇〇一年に入ってこれが四五冊となるわけですけど、新雨はその中の十五冊ほどを示していました。數としては三分の一と少しですね。
そして二〇〇三年には、今天出版の『推理文學館』、これの編集長をやることになったのですけど、この企画も、当初の計画として、このシリーズは十冊出す筈だったのが、その中の『蘭郁二郎集』が五千字ほど超過してしまって、社長がこれを削れと言ってきてね、結果としては頁を増やして二分冊としました。
これがシリーズとしての整合性を亂してしまったということで、私は編集長をやめることになりまして、そうなると解説も書かなくなって、結局、この企画はお蔵入りとなってしまいました。
話が前後しますが、二〇〇一年は小知堂文化が推理小説の出版を始めた年でもありましたね。最初が『アルセーヌ・ルパン全集』で、次が日本推理小説叢書の『黒色書房』。こうした状況の下、今度は二〇〇四年に商周出版が『日本推理名作家傑作選』の出版を始めます。二〇〇五年は日本の推理小説の出版が最盛期を迎えた年でもあり、百冊以上の本が出版されることになりました。續く二〇〇六年もまた、だいたい百冊以上ですね。このあたりはもう皆さんもご存じでしょう。
それが今年(二〇〇七年)はもうすでに下り坂に向かっているのですが、その最大の原因は版権料の高騰です。
二十年の出版状況を纏めるとこんなところになりますかね。
このあとは「推理創作」と題して、林佛兒氏の創作作品についての対談が續くのですけど、これも現状では日本のミステリ讀みには引きが弱いと思うので、次のエントリでは「近年來台湾推理小説出版状況」として、最近の台湾の推理小説の出版状況について島崎御大が語られている部分を紹介したいと思います。
ここでは、上の最後のあたりで述べている版権料の高騰のことがかなり詳しく語られているので、昨年あたりから台湾の出版業界でも問題視されてきているこの件についての重要な資料となるような気がします。
という譯で、以下次號。