ジャケ帶にある「静かな感動」という、昨今の世間樣総感動ブームに便乗した惹句がアレながら、全編に硬質な雰圍氣を湛えた逸品です。
山登りに關しては天才肌、そんな好敵手を親友に持つ男が主人公は日常の仕事こそパッとしないながら、そんな彼が突然、そのかつての親友に誘われて再び山を登ることに。しかし後日、彼が滑落したとの知らせを受ける。天才だった彼が何故そんな凡ミスを犯して死んでしまったのかと訝しむ主人公は、彼の死の眞相を調べていくのだが、――という話。
凡夫の主人公に、滑落死した天才肌の親友という二人の關係を、事件の進行の大きな軸に据えながら、そこにかつてのヒロインの遭難死を絡めているところがミソ。中盤に至って、天才君の死とヒロインの死が一つに繋がっていき、山小屋存続運動や賣名野郎の影がチラついてくるのですけども、こうした主人公の視点から描かれる調査の進展の中に、實は非常に古典的な仕掛けが隱されているところが素晴らしい。
この仕掛けは山岳ミステリだからこそ、現代においても充分なリアリティをもって迫ってくる譯ですけども、主人公の視点から親友の死の眞相を調べていくという展開そのものに讀者の目を向かせて、仕掛けの存在そのものを完璧に隱し仰せているところは秀逸です。
さらにはこの謎の起點を事故死というところから説き起こしつつ、次第にそれを自殺から殺人という方向へとスライドさせていく課程で、かつてのヒロインの死の逸話を語っていく結構がまた絶妙な效果をあげていて、調査が進むごとに複数死の背後から徐々にキナ臭い話が立ち上ってくる展開など、謎の呈示の方法にそもそもの大きな仕掛けが凝らされているところなど、非常に古典的なトリックながら、山岳という舞台の選択からその謎の見せ方に留意したところなど、その技巧は非常に現代的。
これがあからさまに滑落死を殺人だったのでは、というところから描き出したのでは、中盤から見えてくる山小屋存続運動の陰謀的な側面を誤導として機能させるところもこれほどの效果をあげていかなったであろうし、また滑落死を事故から自殺へと疑問を向けていくなかで、ヒロインの死を逸話として語らせる流れをつくりつつ、件の陰謀話の所以へと繋げていくところなど、最後に明らかにされる仕掛けが分かって初めて、親友の死の見せ方や、ヒロインの死の逸話の絡め方など、そのすべてが誤導を盤石にするがための戰略だったことが判明するところなど、後半になってイッキに本格ミステリへと傾斜していく展開は素晴らしいの一言。
「静かな感動を呼ぶ」一編の小説として、というよりは寧ろそうした本格ミステリ的なところから本作の結構を眺めていくと、それでも個人的には主人公と親友、そしてヒロイン三人の過去の逸話をもう少し盛り込んでくれたらなア、……という気がしたりするものの、しかしそうなるとこれだけの分量に纏めるのも難しくなるし、中盤から次第に明らかにされていく陰謀話によって事件の構図を讀者に誤導させていく狙いがぼけてしまうカモ、――などと色々考えてみると、やはり本作の纏まり方が一番落としどころとしてはうまく決まっているような気もしてきます。
しかしジャケ帶の「あなたを見ていると、また山に登りたくなってきたわ。」という素敵な台詞なんですけど、自分はすっかり亡くなったヒロインの台詞かと期待していたものの、これがやや意外な人物のものだったことが分かってチと唖然。確かに非常に印象的な台詞ながら、脇役の台詞がバーン!と大きく掲げられているジャケ帶というのはいかがなものか、とツマラないところが気になってしまったのでありました。