輪廻転生というテーマを前面に押し出した風格ゆえ、幻想ミステリとして讀むのがふさわしいとはいえ、奇拔な毒殺トリックや心中死体に凝らされた仕掛けなど、本格ミステリ的な要素も一級品のまさに歴史的傑作と呼ぶに相應しい逸品です。
この時期の泡坂氏の作品としては、物語を畫然と四幕に纏めた結構と妖美ともいえる謎が魅力的な「湖底のまつり」や、怪奇趣味にも近い幻想が描かれた手記の前半部と後半部の謎解きのコントラストにシンプルな仕掛けを凝らした「迷蝶の島」の方が以前はツボで、この二作に比較すると、本作は登場人物の配置などにやや違和感を感じてしまったのがゆえ、初讀時にそれほど凄みを感じられなかったですけど、今讀みかえしてみると、考え拔かれた舞台、そして幻想と現實とを巧みに對蹠させた物語の展開とその總てが完璧で、初讀時のボンクラぶりを猛省したい氣持ちでイッパイですよ。
物語は、廃品回収をしている青年がとあるクズ紙のなかから見つけた一枚が樋口一葉の遺稿だったのではないかというところから幕を開け、ここからこの遺稿を軸に歴史ミステリ的な雰圍氣で進むのかと思いきや、物語はこの紙切れの眞偽を巡ってある場所を訪ねた青年と一人の女性との出會いから劇的な展開を見せていきます。
謎女の語る輪廻転生と二人の因業が過去の殺人を浮かび上がらせ、件の事件をリアルな謎としながら、この二人を探偵役をして謎解きが展開がされていくのかと思っていると、ここでもそんな定番的な進行を裏切るかたちで、主要登場人物の一人とおぼしき人物が殺されてしまうという驚きの展開へとなだれ込みます。
運命、輪廻転生といった非現實的な謎と照應するかたちで描かれる幻想味溢れる筆致と、このリアルな事件の後における描写の對蹠も見事であれば、敢えて明確な探偵役を配置せず、本格ミステリの定番的な結構からは距離を置いたかたちで進められる物語が讀者の先讀みを決して許さないところも素晴らしい。
終盤には、輪廻転生とリアル事件が樣々なかたちで結びつき、それらがひとつの構図となって浮かび上がってくるのですけど、ここで注目するべきは偶然と企みという相反する二つの要素の絶妙な間合いにありまして、總ての事件の起點となる二人の男女の出會いに輪廻転生という幻想味をおきながら、そこに運命や偶然を添えつつそれらを總ての事件の起點に僞装してみせる巧みさと、真相が明らかにされた後に見えてくるとある人物の壯大な企み、――そして輪廻転生の意味づけの背後に隱されていた狂氣と、それを一人の狂氣から現實へと移し替えていく課程で行われた恐るべき顛倒と、このあたりは現代本格でも大胆に扱われる逆説ぶりにも通じるし、今讀んでも新鮮です。
偶然だと思っていたものが推理によって企みへと転じ、そこから樣々な人間のドラマが立ち上ってくるところはまさにツボで、犯人が明からにされた後に毒殺トリックの方法が明かされてくるという顛倒した構成も本作の風格にはふさわしく、またある人物の狂氣の種子が長い時間をかけて発動へと向けていく課程に立ち會うことになった一人物の、輪廻転生に対する意識の変遷と照應するかたちで、この人物が物語の舞台でときには前に出て、また時には脇へと退いてみせる配置の巧みさにも注目でしょう。
本來であれば、この人物が探偵役としてこの一連の事件の謎解きをするのが、もっともオーソドックスな本格の結構であるように思えるものの、あえてそういったベタな構成に与することなく、意外な人物の口から真相を語らせながら、謎解きの場面では完全に脇へと退かせつつ、現實の謎解きが終わった最後の幕引きのシーンにおいて、とある運命的な出會いを描いて彼を一氣に舞台の中心へと引き戻す劇的な構成が見事で、この刹那に物語はまた一息に幻想へと回歸していくところはもう完璧。
さらにこの描写の直前に、前半の場面で本当にさりげなく描かれていたあるひとつのものによって、彼の意識の中から輪廻転生という謎の真相を受け入れる上での躓きとなっていた事柄を払拭するともとに、前半部で語られていた幻想を過去のものとしながら、本当の運命の物語の始まりを予感させる幕引きへと繋げていくところなど、心中死体に凝らされた虚實の反転、さらには輪廻転生に込められた偶然と企みの顛倒と、細部から物語の結構に至るその總てに本格ミステリ的などんでん返しを凝らしてあるところも秀逸です。
今讀むと、探偵役の不在というか曖昧さも、輪廻転生という壯大な謎に対する前後半部で取り扱いに陰影をつけながら、主人公となるべき一青年の意識の迷いに呼応させたようにも讀めるし、人物配置も含めて敢えてわかりやすい配役を行わなかった構成もまた考え拔かれたものだと十分過ぎるぐらいに理解できるのですけど、コード型本格をワクワクしながら貪り讀んでいた当時は「11枚のとらんぷ」や「乱れからくり」のように、事件や謎に明快さを添えた作品の方ばかりに目がいってしまっていたゆえ、本作の素晴らし過ぎる風格の深奧を完全には理解出來なかったところは恥ずかしい限り。作品の再讀が必要であることを改めて感じた次第ですよ。
「湖底のまつり」と同樣、創元推理文庫でトックの昔に復刊されているかと思っていたら未だに絶版状態であったことにはビックリで、「迷蝶の島」とともに何處かで出してくれないものかと溜息をついてしまうのでありました。