御大の新作。まずもって九十を過ぎても本格ミステリを書いてしまうというところが凄い、とかフツーは内容はそっちのけでその年齢ばかりが注目されてしまうのではと推察されるものの、しかしその内容たるや極北ともいえる壮絶な作品に仕上がっておりまして、個人的には大満足。
まずもって物語の構成がやや特殊で、――勿論この結構にも深い意味があるのですけど、とりあえず簡単にあらすじを述べると、父親の知れない画才坊主が車に轢かれてご臨終、果たしてその犯人を目撃していた人物の証言に不信を抱いた人物はある決意をするに至るのだが、――という話。
作中では二つの事件が描かれ、前半のひき逃げ事件に端を発して、今度はこの第一の事件の犯人とおぼしき人物に罠を仕掛けていく者の視点で中盤の展開が描かれていきます。作者がさりげなく登場して、メインの事件はこの祭りの衆人環視の中での第二の殺人である、なんて述べてみせるのですけど、それでも推理の課程を見ると第一のひき逃げ事件においてある人物の証言に不信を抱いて、それがまったくのデッチあげであったことを探っていく展開は読ませます。
果たして殺人が発生して、前半部で某人から犯人認定されていた人物が毒殺されるのですけど、殺された人物の撮影していた写真から過去のひき逃げ事件とが連關を見せていくという展開で、中盤の結構は倒叙フウに流れるものの、これから起こるべき事件の犯人が第一の事件の探偵役を演じるところはミステリでもよく見られるものとはいえ、後半、この設定の企圖が明らかにされていきます。
以下はややネタバレを含むかもしれないので、先入観をマッタク持たずに本作へ取りかかりたい方はスルーしてください。
「物狂い」で探偵役を務めた土田警部が再び登場するのですけど、彼は直接的に捜査に当たりつつも、事件の真相を解き明かす役回りではありません。最後の最後、真相は犯人の告白によって讀者の前に明らかにされるのですけど、未解決事件のまま年月を経たずっと後に、この事件の真相が犯人の口から語られるという事実、そして土田警部が「ある事情」によって自ら謎解きを行わない(語れない)というところから見えてくるもの、――それはすなわち、探偵の不在という結構ではないでしょうか。
本作ではひき逃げ事件と衆人環視での毒殺という二つの事件が描かれています。第一のひき逃げ事件はある人物の推理によって、「犯人」が特定されるものの、よくよく讀み返すと、これはこの人物が偽の証言をしていたという事實のみを解き明かしたに過ぎず、子供コロシの犯人が明らかにされた譯では決してありません。このあたりは次に續く倒叙もののを予見させるかたちで「探偵」の口から語られているので、すらすらと読み流してしまうのですけど、後半の展開を考えると非常に重要な伏線となっています。
それでも第二の事件の犯人は、この推理の結論に導かれるようにして犯行に手を染めていくのですけど、結局事件は未解決のまま迷宮入りしてしまいます。しかし最後の最後、犯人の手記の中で明らかにされるのは、この迷宮入りという事實には真の探偵のある企圖が働いていたと仕掛けでありまして、ここから立ち上る人間の悲哀と宿業こそは土屋ミステリの真骨頂。
第二の殺人に重きをおいて、犯人の視点から物語を描く中盤の構成で後半を進め、最後に土屋警部がこの犯人のミスを突くかたちで犯行を暴き立てる――、こういったオーソドックスな倒叙ものの形式で纏めることも本作では十分に可能だったと思います。しかし敢えてそういった普通の構成を退けて、「探偵の不在」という技巧を用いて御大が描こうとしたものは何だったのか、というあたりを探りながら、後半の犯人の告白を讀み進めると、よりいっそう本作を愉しむことが出來るかと思います。
第一の事件の真相を見抜いた「探偵」は自らの意志によって第二の事件では「犯人」となって「完全犯罪」を成し遂げるのですが、その自らが「完全犯罪」だと確信していたものの背後には真の「探偵」のある意志が働いていたという顛倒、そして自らが人を裁くという地点にたって「完全犯罪」を成し遂げたあと、自身を裁くべき「探偵」の不在によって犯人が背負った宿業、さらには犯人の死後も「探偵」であるべき人物から決して真相は語られることのないという非情な幕引き――。
果たして第二の事件の犯人によって語られた第一の事件の推理と、真の「探偵」であるべき人物の推理を付き合わせる術もなく、第一の事件も第二の事件の真相も宙吊りにされたまま、犯人の告白だけを残して宿命ともいえる裁きが第二の事件の犯人に下されるというラストの凄まじさに、個人的には體が震えてしまいました。
こうして本作の結末に見られる宿命的な結構を鑑みると、千草検事シリーズでは定番の、探偵である検事が奥様との會話の中などで犯人のトリックを見破る「ひらめき」も、あるいは神の言葉だったのではないか、とか、色々なことを考えてしまいますよ。
しかしこの「探偵の不在」によって人間の宿業を際だたせた幕引きは、確かに千草検事シリーズでは不可能な風格で、ある意味、土屋ミステリの極北ともいえる本作、「天狗の面」から讀み進めてきたファンが本作にどのような感想を持たれるのか、非常に興味のあるところです。
第一の事件の犠牲者となる子供の出自など、土屋ミステリではお約束ともいえる「血」のモチーフもしっかりと踏襲されているところは変わっていないところながら、御大のあとがきに曰く「土屋隆夫という一人の作家が五十年という時間の中で、どのように変貌したか」という点に關しては、やはりこの本格ミステリの中における「探偵」の位置づけと、それによって人間の宿命、宿業をいかにして描き切ろうとした、その徹底さにあるような気がします。
九十歳を過ぎても、いや、それだからこそこれだけの作品をものにしてしまう御大の本格ミステリに対する心意気には完全にノックアウト、「おそらくは最後の長編になるであろう本作」なんてあとがきには書いているのですけど、自分は何としても「この先」が知りたい気持ちでイッパイでありまして、本格ミステリという枠組みの中で御大が描こうとした人間像の極北が本作にあるとしたら、さらに「その先」、この高みの向こうにはいったいどのような物語があるのか、――土屋ミステリのファンであれば絶対に気になるところでありましょう。という譯で、最後の作品なんて言わずに、次作も大いに期待したいと思います。ファンならマストの一冊でしょう。