素晴らしい。マーダー・ケースといった感じの事件など発生しない、いわゆる日常の謎の風格の作品として讀むべきなのが基本ながら、そのペダントリの技法を仕掛けの中に用いる點について非常に光るものがあり、個人的には大いに堪能しました。
収録作は会社の元先輩から持ち込まれた譯アリ人形の謎を、控えめ親父が精緻なペダントリによって解き明かす表題作「人形の部屋」、高級万年筆を受け取った二代目の心の綾を推理する「外泊1―銀座のビスマルク」、ゼミ仲間の女性から送られてきた花言葉尽くしの謎かけに怒濤の暗号解読が炸裂した傑作「お花当番」、弟子入り志願のボンクラが御大からの謎かけに四苦八苦、控えめ探偵がその心の綾を推理によって繙いてみせる「外泊2―夢見る人の奈良」、娘の突然の家出に当惑しまくる親父の振る舞いに、件の現代本格ガジェットも添えて、家族の情景を実験的な多視點で描いたみせたこれまた傑作「お子様ランチで晩酌を」の全五編。
ジャケ帯に曰く、
食卓の上に広がるペダントリ
父・敬典、専業主夫。娘・つばめ、中学生。
きっかけは小さな謎でも、
それらは八駒家の食卓の上で
壮大なペダントリへと発展する――。
さらには「父娘の謎解き物語」とあることから、二人が探偵とワトソンという役割分担で日常の謎を解いていく展開かと予想していたのですけどマッタク違った物語でした。専業主夫で、息子ではなくて娘でおまけに「父娘」という二人の關係を軸にした物語、さらにはダメ押しとばかりに最初の一編が人形ネタということから、感動物語ながらキワモノマニア的には電波人形師の妄想推理が最高に愉しめた「ハルさん」を想像してしまったものの(爆)、本作にそういったキワモノの風格は皆無。
精緻にして端正なペダントリをただ並べるだけではなく、作中の仕掛けの絶妙なフックとして用いているところが秀逸で、表題作である「人形の部屋」では、人形ネタを冒頭から語りながら、探偵役である専業主夫のパパの元へと持ち込まれた壊れた人形の謎を解き明かしていくという結構です。
元先輩が壊れた人形をどうにか直してもらいたいと頼ってくる、というのが導入部で、元先輩のいかにも怪しい振る舞いに違和感を添えつつ、探偵がその語られない事情を推理にょって解き明かしていくという結構ながら、そもそもこの先輩の怪しい振る舞いは謎と呼べるほど派手なものではありません。このあたりの謎に對する立ち位置は、石持氏の新作の一冊「Rのつく月には気をつけよう」にも通じる風格ながら、本作では探偵役が語り出すさりげない衒學趣味から謎の輪郭が明かされていくという展開が面白い。
元先輩の裏事情については、持ち込まれた人形に探偵がフと抱いた違和感からややアッサリと解き明かされていくものの、そこから今度はその人形の生い立ちが二段構えの謎として提示されていくという結構で、まだ讀み始めたばかりで本作の雰囲気も把握していなかった自分は、娘の「ブルマ、お好きですか?」なんていう問いかけにキワモノのスメルを感じてグフグフしてしまったのですけども、これら前半部のさりげないやりとりまでも最後は伏線として回収させてしまうところも素晴らしい。
突然に流れ出すペダントリが冗長に感じられることはなく、それが要所要所で推理の起点へと転じる構成も巧みで、この素晴らしい結構をもっとも堪能出來るのが「お花当番」でしょう。イヤキャラのご近所さんはどうやら探偵役のパパと知り合いの様子で、彼はその知り合いに久方ぶりのメールを送るのだが、その返信として添えられていた謎言葉の真意は、――という話。
この女性から送られてきたメールを暗号として、父と娘の二人で解き明かしていくのですけど、暗号の解読によって明かされるものが、手紙の意味というよりは、一人の女性の心情告白であるところに注目で、「人形の部屋」ではその風格はやや薄味ながら、「外泊1―銀座のビスマルク」や「外泊2―夢見る人の奈良」でも、作中で謎として探偵と讀者の前に提示されるものは、或る人物の心情です。したがって探偵の推理によって解き明かされるのは人間の心であり、まさに仕掛けによって人間を描くという結構が徹底されている心憎さに個人的には完全にノックアウト。
事件や出来事から発生する謎という事象ではなく、あくまでその中心には人間がいて、その人物が謎「かけ」を行うという構図を暗号小説として昇華させた「お花当番」では、二つのあるものが推理の過程で併置され、その「内容」が検証されていきます。その二つの「内容はおなじ」ながら、あるものが決定的に異なることへの「気付き」から、暗号に隠された人間心理が解き明かされていく展開は本作一番の見所といえるのではないでしょうか。
また同時に暗号に「記されなかった」ものを鍵として、その暗号に隠されたもう一つの意図をペダントリによって推理していく二段構えの真相開示は「人形の部屋」の後半部にも見られた構成で、このあたりの凝りに凝った作者の仕掛けにも注目でしょう。
「外泊1―銀座のビスマルク」では「謎かけ」を解くことによって明らかにされたある人物の心情によって、その謎を受け止めた当事者に決意を促すという仕組みが非常に明快な形で示され、「外泊2―夢見る人の奈良」では、ボンクラと気むずかしい師匠という二人を配し、その流れをやや斜めに構えたところから描いてみせることで対置させた構成も心憎い。
というかんじで、「外泊2―夢見る人の奈良」まで讀み進めれば、作者が謎かけと推理という仕掛けによって描きたいものがかなりハッキリと見えてくる譯ですけども、最後の「お子様ランチで晩酌を」では、今まで探偵役の位置から、かけられた謎を他者の視點によって眺めていたパパが、娘の突然の家出をきっかけに当事者へと投げ込まれてしまうというお話です。
専業主夫に父娘というかたちで、今までは意図的に描かれていなかった人物を影に、物語は家族の様態を現代本格のある技法によって描いていくところはまさに超絶技巧なのですけど、この凄みをまったく表に出さずに、パパの惑乱ぶりや姉との軽妙な會話によって、この裏で進行している出来事を隠し果せているところが素晴らしい。作中には様々な伏線が凝らされており、最後にはこれがイッキに明かにされていくのですけども、娘の失踪というイベントに添えられた謎の見せ方だけでも多くを語られる一編ながら、個人的に一番見事だと思ったのは巧みな人称の扱いでしょうか。
作中で、登場人物たちは、ある時は父、娘、姉、妻、母といったかたちで呼ばれ、またある時は敬典、つばめといった具体的な名前を添えて様々な逸話が語られていきます。これらの家族の系図の中で見えてくる役割の呼称と、個人の名前とを織り交ぜながら多視點によってエピソードを描いていくという「語り」の手法の企圖が最後の一頁で明かされるという仕掛けの素晴らしさ、そしてこれを娘の失踪という謎を裏返したかたちで、作中で真に描かれるべきだった人物が明かされるという幕引きの巧みさ――。
これは實を言えばミステリの技法とはやや離れたところで語られるべきものなのかもしれませんけども、仕掛けによって人間を描くという本作の意図を鑑みれば、やはりこのあたりの技法についてもミステリの枠組みの中で色々と考えてみた方が本作をより愉しめるのではないかな、と感じた次第です。
ジャケの佇まいとその静謐な雰囲気から澤木喬の傑作「いざ言問はむ都鳥」を想起してしまうのですけど、あの作品とはまた違った意味で非常に印象に残る一冊ながら、ド派手に本格ミステリを主張しないところと、謎に對する構え方が普通の本格ミステリとは異なるゆえ、何となく物足りなさを感じてしまう人もいるかもしれません。それでも泡坂連城ミステリの深奥に心が響くミステリ讀みであれば、本作の魅力を分かっていただけるような気がします。特に「お花当番」は今年讀んだ暗号ものの中でも白眉の逸品で、オススメでしょう。