素晴らしすぎます。今までの大石氏の作品の中では一番のブ厚さを誇る一冊ながら、イッキに讀ませてしまうエンタメぶりと、偉大なるワンパターンの中にも微妙に主人公の造詣に變化を持たせて、それぞれの作品に個性を添える技巧は勿論のこと、今回は「アンダー・ユア・ベッド」にも通じる「絶望の中のハッピーエンド」が際だった幕引きも素晴らしい一編でありました。
大石氏の作品をずっと讀み續けているマニアにしてみれば、その残虐なコロシのシーンのほかにも、「朝までずっとしゃぶっててあげる」などのエロシーン、熱帯魚、珈琲、外国製高級車、犬、……などなど大石ワールドの定番アイテムなども気になってしまうのですけど、今回は湘南を舞台に据えつつも、犬は猫に、車もステーションワゴンではあるものの国産車、と微妙に小市民的な主人公の造詣がやや異色。
それでも主人公の妻が、「子供をふたりも産んだというのに」その体型は「結婚する前と変わっていな」くて、「乳房は大きくはなかったけれど、結婚前と同じように堅く尖ってい」て、「ウェストはくっきりとくびれてい」て、「腰には骨が突きだし、脇腹にはうっすらと肋骨が透けて見え」ているという、豊満というよりは痩せ形のモデル体型であるところに大石氏の女体へのこだわりぶりが感じられるところは期待通り。
物語は謎の人物からの命令通りに人を殺していく男のお話で、この人物が邪惡というよりはごくごく普通の、娘思いの小市民であるところが本作の独自色。物語はこのコロシの記憶を淡々と語っていくという大石氏の作品では定番の構成を持ちながら、例えば前半で「妻は僕が殺したのだ。僕のせいで、妻の百合子は命を失うことになってしまったのだ」という告白を伏線に、中盤でこの妻の死に絡めて大きな盛り上がりを用意してあるところなど物語の結構にもまた抜かりはありません。
冒頭、いきなり妊婦のお腹をブスリ、という残虐シーンを開陳して、グロっぽいところを見せつつも、その實、物語は上にも述べたような殺人場面と、ホームドラマのようなパパと娘のシーンとを対蹠させているところが秀逸で、過去の殺人が淡々と述べられていくに従って、ハートウォーミングな娘たちとの交流場面にもさながら通奏低音のように悲哀と静かな慟哭が響いてくる展開もいい。
殺人を依頼してくる謎の人物の正体と、彼がその人物と關わり合いを持つに至ったきっかけが語られていくのですけど、果たしてこの人物は男の妄想なのか、それとも実在するのか、というあたりを防犯ビデオのシーンの分析で明らかにしていくところでは思わず「さくの母親の主治医」を想像しながらニヤニヤしてしまったのは自分だけかもしれません(爆)。
殺人の依頼が來る、主人公が悩む、結局殺す、娘たちと和む、……というリフレインが執拗に流れる展開でこのまま突き進むのかと思いきや、後半には同じマンションの住人のゲス野郎を登場させ、主人公を思わぬ悲劇へと突き落とす鬼畜ぶりが壯絶で、このゲス野郎のヒド過ぎる犯罪行為にブチ切れてお父さんの怒りが爆発するところも後半の見所ではありましょう。そしてこの緩急を添えた展開から最後にはトンデモない殺人依頼でラストへと突き進むところからはもう頁を繰る手が止まりませんでしたよ。
さらに依頼人とおぼしき謎の人物が最後に姿を見せるところから、果たして主人公はこの命令を遂行することが出來るのか、……と手に汗を握りつつ、大石氏の小説の中でもベスト級な「絶望の中のハッピーエンド」は素晴らしいの一言。長さをマッタク感じさせず、休む間もなくイッキに讀了してしまいました。最近の大石氏はいずれも印象的な傑作ばかりながら、個人的なお気に入りという点では本作はかなりのもので、このエントリを書き終えた後にまたすぐ再讀してみたいと思います(苦笑)。
時におや、と吃驚してしまったのが、本作の解説を書かれているのが千街氏であることで、ミステリは讀むけどホラーの大石氏の作品には興味がない、と言う人にこそ目を通していただきたいアピールぶりがナイス。
特に氏の小説をホラーやサスペンスという括りから敢えてはずし、「暗黒小説」と名付けてみせたところは秀逸で、「邪な夢を妖美な幻想に昇華させながら繰り返し描き続け、それでいて国民的な人気さえも獲得した作家が、かつて我が国にいた」として、大石氏を大乱歩、久作、そして寿行センセと並べたみせたところには目から鱗。
自分が何故かくも大石氏の小説に惹かれてしまうのかと考えてみるに成る程、乱歩のあの風格に夢野久作、そして寿行センセを「同じ血の眷属」として見れば大いに納得で、女体にただならぬこだわりを見せるところなども大石氏の作風は寿行センセに通じるところがあるともいえるし、男の内なる欲望をただの鬼畜に流れずにしっかりロマンへと昇華させてみせるところもまた寿行らしく、……と色々なことを考えてはニヤニヤしてしまいました。
大石氏のファンであればマストであることは勿論のこと、初心者にも大いにオススメしたくなる傑作でしょう。