敢えて傑作とは呼ばないものの、個人的には非常に堪能しました。傑作と言えない理由についてはこの物語の構造と仕掛けの必然ゆえ、これについては後述します。
ただ今回はなるべくネタを割らないようにボカして書いているとはいっても、本作の中盤の展開が何故ツマらないのかというあたりに深く踏み込んで説明を行っているゆえ、先入観なく本作に取りかかってみたいという方におかれましては、このエントリはスルーしていただきたいと思う次第ですよ。
何だか自分の中では久方ぶりのカッパワン登竜門というかんじなのですけど、綾辻氏、佳多山両氏の推薦とカッパワンの気合いの入れようにも注目ながら、よくよくジャケ帯の煽り文句などに目を通せばかなりのネタバレにも近いことがさらりと書かれてあったりするところがちょっとアレ。本作は、佳多山氏の「アヴァンギャルドでいて古風、フィクショナルでいて切実」という表現や、綾辻氏が述べているこの作品の「不協和音」、さらには「あらゆる構成要素をあるいびつな企みのために利用し尽くした、まさにぎりぎりの綱渡り」という言葉にも偽りのない作品です。
物語の舞台はとある高校で、ノッケからハードボイルド小説マンマのスタイルで一人語りを行う「名探偵」の私が、更衣室で男装をした娘っ子を目撃するところからスタート。何だか男装を隠して学園生活を送っている娘っ子というところから、「ぐははッ!真希ちゃん真希ちゃんッ!」なんて本格理解「派系」作家の首領の大ファンである邪無氏の雄叫びが聞こえてきそうなところがアレながら、このあとは、高校生でもある私の、感情を押し殺したような一人語りによって物語は進みます。
後日、どうやら娘っ子のエロ写真を撮りまくっていたゲス野郎が頭をパックリという飛び降り自殺フウの死体となって発見されるものの、これが屋上にあったのは何故、という謎が提示されます。「名探偵」である私は、男装の娘っ子から自分の無実を証明してもらいたいという依頼を請け負うこととなり、この不可解な殺人事件に関わることになって、……という話。
このあと、ゲス野郎がM字開脚のエロ写真を撮っては女子を恐喝していたらしいことが明らかにされ、このエロ写真のネガ探しや、さらには依頼人の妹が殺されたりといくつかの本格ミステリらしいイベントが発生するものの、何よりもこの探偵の感情を抑制しまくった語りゆえに物語の展開には大きな起伏も感じられず、真ん中あたりでは読むのがかなり辛かったことはここに告白しておくべきでしょう。
しかしこのツマらなさの原因を考えてみれば、男装の娘っ子から依頼を受けた探偵が事件を追いかけていくものの、この語り手の私が学園の名探偵とはいえどうにも新本格以降の名探偵らしくないところに起因するようにも思われるわけで、例えばコロシが発生とあれば、そのトリックも含めて、いったい何で犯人はわざわざ飛び降り死体を屋上に運んだのかというホワイダニットのあたりが俄然気になってしまうわけですけども、探偵の周りで事件を推理してみせるフランク野郎も含めてこのホワイの部分に大きく踏み込んでいかないところがもどかしい。
やがていかにも新本格以降のミステリの風格を思わせるあるトリックが開陳されて、この死体を屋上に運んだ方法が明らかにされるものの、実はこのトリックにこだわりまくった結構そのものが後半の仕掛けへと大きく絡んでくるところが本作最大の見所で、とある重要人物の出来事をきっかけに、緩急の起伏もなく漫然と進んでいた物語はイッキに加速、最後にトンデモない真相が明らかにされていくという結構です。
この真相が明らかにされてからあらためて再読してみると、とにかくキャラたちの布陣も含めたすべてが作者の計算によるものであったことが分かります。例えば(以下文字反転)冒頭の更衣室のシーンにしても、最初はマッタク違和感もなく通過してしまったのですけども、そもそも女が男装をする為に更衣室に入るとすればどちらに入るのか、というあたりを考えると、作者は最後の最期に明かされる真相の伏線をすでにこの冒頭のシーンに添えていることも明らかだし、またまほろ小説のキャラを劣化させたような「べりべりさんくす」なんて台詞が相当にイタい援交娘がやたらとベタベタしてくる理由もそのイタキャラの設定ゆえかと考えてしまうものの、実はこれが……と最期の真相開示によって明らかにされるところは秀逸です。
また主人公である探偵の私と対照させるかたちで、要所要所にさりげなく登場してみせる情報屋など、キャラの布陣においても伏線と騙しを絶妙に凝らしてみせる周到さは相当のもので、このあたりの技巧を取り上げてみるだけでも作者の本格ミステリにたいする意識は相当のものだと分かります。
個人的に一番評価したいのは、犯人が何故死体を屋上に運んだのか、というホワイの部分でありまして、これが一番最後に明らかにされるからこそ、物語の全体に漂っていた歪さがより大きな意味をもって読者の胸を打つという構成も秀逸です。さらにいえば、このホワイの部分にも絡むかたちで、もう一つの仕掛けであるアレが開陳された瞬間に、現代風俗をフィーチャーした動機が明らかにされるところにも注目でしょうか。
またこの事件の歪さの真相が明かされる場面を、映画の場面と対照させつつ、
これから始まるのはうんざりする程単純化された物語、故に綺麗で格好良く、殺人さえ定石に数えられ、二時間足らずで落ちも付く作り物だ。御都合主義と罵る向きもあるだろう。
だがそれが何だ。
こんな気持ちを抱えさせる現実より、どれだけマシか分からない。
という語りへと繋げて、痛切な余韻を残すという小説的技巧のうまさ。ハードボイルド小説に見立てた青春小説という結構と、その試みのすべてが明かされるラストシーンは胸に迫り、違和感のすべての意味が回収される幕引きでは不覚にも感涙してしまいましたよ。
「十角館」の動機と本作の動機を照らし合わせて、佳多山氏がジャケ裏の解説で述べている「バブルの頃に生まれた私」という言葉の意味を、現代のリアルという側面から深読みしてみるのもアリだと思うし、またハードボイルド小説という風格を偽装した「探偵」小説という側面から、本作において「名探偵」がどのような宿業を負うことになったのか、或いは「犯人」「被害者」「探偵」という枠組みから本作がハードボイルドを語りに託してどのような企みを完遂したのか、――と様々な側面から読み解くことが可能な作品だと思います。
佳多山氏が「新本格ムーブメント」という言葉を添えて本作を語り、さらには綾辻氏が解説を書いているところから館シリーズの某作や某作を想起してしまう方もあるかと思うのですけど、やはりこのもう一つのアレな仕掛けはメフィストのアレだよねえ、とニヤニヤしてしまう人がほとんどでしょう。ただ個人的には、こちらの仕掛けよりも、死体移動のホワイダニットの真相開示によって、事件の様相がまったく逆の構図を見せるところが本作の最大の見所ではないかなア、と感じた次第です。
……とこれだけ絶賛しながら、何故、個人的には敢えて傑作と呼べないかと言いますと、やはりハードボイルドを偽装した風格と、真犯人の造型がアレな為、必然的に本作はこういった緩急の起伏のないツマらない構造を持ってしまったことがアレかなア、と思ったりするわけです。「邪魅」の真相がアレだったゆえにツマらなかったのと同様、本作においてどうにも展開が盛り上がらないのも、すべてはこの仕掛けの構造に起因するゆえ仕方がないこととはいえ、作者には今後このあたりの結構から必然的に生じる退屈さを克服する技法を探っていただきたいと期待してしまいます。
作風としてはカッパワンというよりはメフィストに近いかな、という気がするものの、よくよく考えてみるとこの風格は最近のメフィストというよりは、一癖もふた癖もあるあの作者が書いたあの作品のアレなわけで、一昔前の、まだ本格ミステリとしての熱気を孕んでいた「あの時代」のメフィストらしい作品、と評するべきなのかもしれません。
この青春小説としての痛切さ、そして伏線と騙しの技巧の際だった作品が、メフィストではなく、カッパワンからリリースされたというところが個人的には興味深く、今後のカッパワンには大いに期待、同時に作者の二作目を早くリリースしてもらいたいなア、とワクワクしてしまうのでありました。