「首無の如き祟るもの」という大傑作の後にリリースされた新作とはいえ、「首無し」がジャケ畫の素晴らさも含めてビンビンに氣合いの感じられた一冊だったのに比較して、こちらは「こ、これってジョギリ?!」みたいなナイフを大きくあしらっているところへ、これまた講談社ノベルズらしくないチープさイッパイのジャケ帯からして、「首無し」との違いはもう歴然。
こういった装丁から「首無しみたいな作品を期待しちゃダメよ」という無言のメッセージを受け取った自分は、犯人當てとか本格とかいうことはスッカリ頭から取り払って挑んでみたのですけど、結論からいうとこの讀み方は大正解でありました。
物語のあらすじを簡單に説明すると、頭のおかしいホラー作家が偶然手にした大金でビックリハウスを建築、そこを舞台にした映画の撮影に訪れた連中がジャカスカ殺されていく、というお話です。
頁をめくるなりいきなり「ダリオ・アルジエントに本書を捧ぐ――」とあるところから、アルジェントのファンは、美少女の蛆虫風呂とか、エレベータで首チョンパとか、青いアイリスとか、首切断マシーンとか様々な妄想を脳裏に描きながらグフグフしてしまう譯ですけど、ノッケから男女のカップルが目を覚ますと磔にされていて、「あの針金の、うじゃうじゃ針金ばかりがあった場所で、全身が真っ黒なヤツに、襲われたの……」とかいう台詞からしてニヤニヤ笑いがとまりません。
思わずゴブリンの「サスペリア」のサントラを取り出してきて、「Witch」をBGMに大音量でかけなから讀まなきゃダメかなアなんて期待してしまうのですけど、ホラーにミステリにアルジェントの三点セットといえば、やはり自分にとっては綾辻氏な譯で、綾辻氏といえば楳図センセ、なんてキワモノな連想ゲームを頭に巡らせていたところへ、今度は寝台に縛り付けられている男の頭上に刃のついた振り子がブランブランしたりするシーンが登場、またまた「こ、これって楳図センセの「恐怖の館」?!」とグフグフしてしまったりと、いちいちマニアのツボを突きまくるディテールの素晴らしさが堪りません。
ただ殺しのキモとなるスプラッター祭りの方は些か平板で、指パッチンとか皮剥ぎとか思わず眉根を顰めてしまうような生理的にイヤっぽいシーンはテンコモリながら、綾辻氏の「殺人鬼」の「喰え」みたいな、観念的ともいえる恐怖はありません。
このあたりがやや不満ながら、實は本作の狙いはこういったお馴染みのスプラッターシーンに絡めて秀逸な仕掛けが施されているところでありまして、刀城シリーズに比べてアッサリと讀みやすい文体と、そこから立ち上る妙な違和感がこの眞相の伏線になっていたところには大いに驚かせてもらいました。
殺人鬼にやられまくる連中が揃いも揃って「ひいぃ!」とか「がああっ、ク、クソッ!な、何をする……や、やめろぉぉ!」、「ぎゃあぁぁぁぁっっ……」とかあまりにベタなリアクションしか出來ないところは興ざめながら、これが最後の最後にアレだったりするところとか、「玲子は気づいたようである」「かなり苦労している様子である」「さすがに注意が移ったようで」というような違和感の残る文体が實はアレだったりと、視點にこだわりまくった仕掛けが最後に開陳されるところにはニンマリしてしまいましたよ。
意外な犯人とジャケ帯にもある「こわくて、だまされる」という點からすれば、本作最大の趣向は上にも述べたような視點と語りの技巧ながら、個人的には映畫の撮影に絡めた動機の転倒もまた素晴らしいと思いました。
殺しまくりの殺人鬼がその姿を現してからはやたらと饒舌になるところや、チープ感イッパイの風格、さらには殺しの技巧にアルジェントへのリスペクトをビンビンに感じさせるところ、そして制作会社の名前が「プロフォンド・ロッソ」だったりという遊び心など、そのテのものが大好きなマニアには堪らない逸品でしょう。
定番のスプラッター映畫をトレースしたかのような描寫を仕掛けに用いるところなど、「視點」にこだわりを見せるところから、この技巧を本格ミステリの側から評價するというのも大いにアリだと思います。「首無し」のような、正に王道をゆく風格だけではない、本作のようなヒネリをきかせた作品も個人的には大いに期待したいところでありまして、本作に刺激を受けて綾辻氏が再び「殺人鬼」みたいなホラーと本格の仕掛けを融合させた作品を書いてくれないかなア、なんて妄想してしまいました。
[06/11/07: 追記]
以下、この一番のキモとなる技法についてネタバレになりそうなのでさりげなく。以下反轉。上にも少し書きましたけど、本作のキモはいかにも映畫的なシーンをただ追っていくだけの文章に思わせながら、實はこれらは一人稱で綴られるべき物語であった、というところ、すなわち一人稱で書かれた物語であるところを隠蔽しつつ、この妙な文体から立ち上る違和感を絶妙な伏線として讀者の前に提示している大胆さだと思います。
この犯人は、物語の登場人物たちにとっては、「全員の完全な心理的盲点」である「見えない人」である譯ですけど、このカメラから見た「視點」という仕掛けを小説の結構へと落とし込む段階で、一人稱文体の隠蔽という手法を採用した作者の戦略など流石だな、と感じた次第です。