ダメ男のつぶやき。「殺してください」。
ジャケにあるタイトルの書体が流水大説っぽいところや、「あなたが犯人!」と大きく書かれてあるジャケ帶などに格別の地雷臭が感じられるものの、實際はその脱力な一發ネタを除けば非常に丁寧に綴られた作品です。最後の余韻も含めて、自分は結構氣に入ってしまいましたよ。
物語は、新聞に連載小説を書いてある私のところに知らない男から奇妙な手紙が届くところから始まります。何でもその手紙に曰く、「空前絶後の大トリックを教えてあげるから一億おくれ」という電波な内容。才能のない語り手の作家も何を莫迦なことを、なんて思ってはみたものの、そこは作家ゆえ、どうにもそのネタというのが氣になって仕方がない。
度々送りつけてくる手紙には、自らの子供時代を仄めかす珍奇なメルヘン童話が添えられていたりして、その自分語りの激しい内容にこれから「犯人」にされてしまう「讀者」としてはドン引きしてしまうのですけど、やがてこの手紙の送り主がトンデモないダメ男であることが明らかになります。
一方、語り手である小説家は何故か超能力実驗に御執心で、博士の元を訪れては超能力少女の実驗の樣子などを具に報告してくれたりするのですけど、語り手のマイライフを綴った日記部分が、件の大トリックにどう絡んでくるのかは不明なまま物語は進みます。
やがてダメ男の手紙をきっかけに、小説家のところに警察が訪ねてくるあたりから物語はテンポを上げていき、前半でチョロっと觸れられていた南米ボーイのコロシのエピソードも交えつつ全てのネタが明かされるのだが、……という話。
前半に、名前こそ挙げられてはいないものの、「讀者が犯人」である過去の作品を取り上げてちょっとした分析をしてみせているところが個人的にはツボで、辻御大のアレとかアンチ・ミステリーのアレとかに言及しつつ、あれらは全てホンモノじゃない、と讀者を挑撥してみせる自信家ぶりもメフィストらしくて微笑ましい。
ネタがネタゆえに、あらすじに目を通した限りでは多分に色物めいた第一印象を持たれてしまうのも仕方がないですけど、實は非常に丁寧に構築された作品で、その中でも一見、ダメ男の「讀者が犯人」ネタとは關係なく描かれていく超能力実驗のパートが後半になって見事な連關を見せていく構成は秀逸です。
美人超能力姉妹のホンモノぶりに有頂天の博士が、そのペテンを明かされたことで一轉して奈落の底に突き落とされるという定番の展開が、そのままこの大ネタを明かす伏線へと轉化する仕掛けも見事で、一見何の關係もないような無駄っぷりがその實、後半になってその意味が明かされていく後半も見所でしょう。
コンパクトに纏まっているところも素敵で、贅肉を限りなく減らしてこのトリックの為だけに小説へと仕上げた徹底ぶりも素晴らしい。このネタに呆れるか、それとも唖然としつつも笑えるかで、本作の評價は決まってしまうような氣がするのですけど、個人的には「讀者が犯人」の脱力ネタには笑いつつ、その丁寧な構成に巧みの技を見せてもらって大滿足。
このネタで「ぐげらぼあ!」竝に長大だったら流石にアレですけど、このコンパクトに纏めてみせたところで逆に本格としての純度が上がっているところや、ダメ男の告白やこのトリックの仕掛け人である語り手による周到な構成、更には超能力実驗の場面が後半になって意味を持ってくる展開など、このネタそのものよりも寧ろその巧者ぶりを堪能したい作品といえるのではないでしょうか。
また文章も讀みやすく、奇を衒ったところのない點も「ぐげらぼあ!」で頭をくじられた後のメフィストものとしては好印象、更にはメフィストらしい一發ネタで煽りつつも、その實、最後の最後にダメ男のメルヘンチックなエピソードで幕引きとなるところなど、この作者、若いのに意外と達者な、……って書こうと作者のプロフィールを見たら、1963年生まれって、自分よりもオジサンでした(爆)。
本作は一發ネタを前面に押し出した、どちらかというとネタだけの作家、みたいな賣り出し方をされていますけど、最後のエピソードの添え方のうまさなどから、作者はごく普通の本格ミステリもさらりと書ける腕の持ち主なんじゃないかなア、なんて氣がします。
それでもこのご時世ですから、こういう珍奇なネタでないと若者でもないオジサンはデビューも出来ないのかなア、なんて同じ中年として作者に同情してしまいましたよ。作者も大學の教員とかじゃなくて、モヒカンの祈祷師とか、ベルベル人の蕎麥屋店員とかだったらもう、プロフィールだけでツカミは萬全、ということになったのでしょうけど、……なんて同世代のオジサンとしても、作者をさりげなく應援したい氣持になってしまいました。
本作のような、ある種の色物で勝負するとあれば、勢いだけで作品を仕上げてしまいがちかと思うのですけど、實際は「イニシエーション・ラブ」などを見れば分かる通り、ネタが豪快であるゆえに寧ろそこには周到な伏線と精緻な構築が必要とされる譯で、その意味では、本作のこの癖のない文体は乾くるみ氏にも通じるような氣もします。
次にどんな化け方をするのか興味津々、という譯で、恐らく次作も讀むと思いますけど、オジサンだったら「ぐげらぼあ!」よりも、綺麗に纏まったこちらの方をオススメしたいと思います。
おやおや、自分のサイトで随分厳しいことを書いてしまったあとで、このエントリを呼んで、そうか、そういう読み方をすれば、もしかしたら秀作なのかもと思ってしまいました。どうも「どーせ、そんなトリック、バチモンやろが!」と身構えて読んでしまったからかも知れません。
でもね。
自分のサイトに書いたように、記述の客観性の欠如というのは、気になってならないのです。とくに色々な都合のいい嘘が後出しにされると「なにを信じりゃいいのさ」と思ってしまいます。超能力もそうですね。超能力の有無を研究しているところ、超能力による“殺人”が起こり、その犯行方法の説明になっているというのも都合よすぎでは。
なにより期待はずれだったのは、読者であるわたし自身(藤岡真)が犯人じゃなかったことです。
藤岡先生、コメントありがとうこざいます。
そもそも自分が犯人ではないことを讀者自身が知っている以上、「読者であるわたし自身(藤岡真)が犯人」ということが小説内部の「事実」として成立することなどありえない譯で(爆)、假にあったとしてもそんな「冤罪ミステリ」は眞っ平御免、なんて自分などは考えてしまうのですけど、その一方で「記述の客観性」という點に關して先生が氣になってしまうというのはよく分かります。
ただミステリにおいて「信用のおけない語り手」であることのみを理由にその作品を愉しめないとなると、じゃア連城ミステリはどうなるんだとか山田正紀氏の一連の作品は、……みたいなかんじになってしまってアレなので、ここではミステリにおける「記述の客観性」の問題は作者による語り手三人称の記述においてのみ担保される、という言い方で逃げておきます(爆)。勿論、この三人称の記述を更に外から囲って何かしらの仕掛けを施すことも可能な譯で、現代ミステリにおいてはそれさえも客観性を保証するものではないような氣がするのですけどそこはそれ、ということで。
自分の場合、本作における超能力ネタに關しては、それがトリックを成立する為の理由付けにされていることそのものを云々するより、件のESPのペテンが暴かれた刹那、「送り手」と「受け手」が反轉した結果として、それが本作のトリックの伏線へと姿を變える結構が秀逸だと思いました。
讀者の目はずっとESPの「送り手」に向いている譯で、これをミスディレクションとして効かせている仕掛けは評價してもいいのでは、と思うのですが如何でしょう。本作は確かに新聞小説「そのもの」ではない故にこのトリック「自体」が本作を讀んでいる讀者を前にしては成立しないとか、先生がいわれている記述の客観性など色々と問題とすべき點はあるものの、自分はこういったミステリの技巧面や、幕引きの余韻なども含めて愉しむことが出來ました。
送り手と受け手のミスディレクションは、実は拙作でも用いたことが御座います。但し、本作のように並列して示すのは大変勇気のいることだと思います。
>「讀者が犯人」の脱力ネタには笑いつつ
バカミスなら、スティーヴン・キングの某作のような犯人を登場させることも出来たと思います。
送り手と受け手のミスディレクションも本作の見所のひとつではあるのですが、やはり一番に評價したいのは、それを一見無關係に見える超能力実驗の場面に仕掛けてみせたところにあるでは、と思うのです。
また本作では、このエントリの冒頭に「實際はその脱力な一發ネタを除けば」と書いている通りに、実は本作一番のウリである色物トリックについての評價はなしとして、これから讀まれる方には本作の技巧面の方を見て欲しいなアと考えて以下ではその内容について纏めてみた次第です。
從って件のトリックをもっと派手にバカミスへと転がす必要もなく、これはこれでいいのではないか、と。勿論、ジャケ帶にもある通り、本作の一番の賣りがこの「讀者が犯人」のトリックにある以上、自分のような讀み方が邪道であることは十分に承知はしているのですけど、それでも……というのが自分の気持ちです。
なるほど……。
一つの作品の「色物トリック」の部分をわたしは評価しない、taipeiさんは「技巧面の方」を評価するということで、話がかみ合わないのはしかたないですね。
誤解なきよう。前のコメントで、わたしが
>送り手と受け手のミスディレクションは、実は拙作でも用いたことが御座います。但し、本作のように並列して示すのは大変勇気のいることだと思います。
と書いたのは、まさに、
>一見無關係に見える超能力実驗の場面に仕掛けてみせたところ
を評価したつもりだったのですが。
バカミス云々は、不特定多数の「読者」を犯人にするために「超能力」が不可欠になってしまうのなら、特定少数の「読者」を犯人にすれば、そんな必要もないのではという意味(つまり、これでは「イロモノ」ですらなくなってしまう)で、作者の技巧面が発揮された超能力のプロットは「イロモノ」犯人ありきなのではと指摘したつもりでした。
超人的な技巧の演奏家とか画家が、つまらないモチーフに手を出した。そんな印象です。
ご丁寧にお付き合いいただきまして、有難う御座います。