ひまわり変奏。
ケータイ小説ということで實はあまり期待していなかったのですけど、思いの外愉しめました。確かに前作「シャドウ」の不穏な雰圍氣がイッパイの風格に比べると、眞逆を向いた物語世界の明るさに最初は違和感を覺えてしまうものの、最後には期待通りの仕掛けが炸裂するという構造はやはり道尾氏、といったところでしょうか。
ジャケに描かれている猿にトランプ、とくればやはり緑の猿とかを連想してしまうのは御法度で、上にも述べた通り、本作に狂氣と邪惡をモチーフにした怪しいワールドを期待していると肩透かしを喰らってしまいます。
物語は、語り手である探偵のもとに産業スパイの調査をしてもらいたいという依頼がやってくる、そこへ新たにスカウトした女探偵とともに調査へ乘り出すのだけども、件の會社で殺人事件が發生して、……という話。
冒頭からのその軽妙に過ぎる語り口に、「片眼の猿」というタイトルから「シャドウ」のような不穏な展開をワクワクして待ち望んでいた讀者はいきなりガッカリしてしまう譯ですけども、……ってシツコイくらいに指摘しておかないと、この語りの違いだけで本作を途中で投げ出してしまう人がいるのではないかなア、と余計な心配をしてしまう為に敢えてここではこのあたりを強調してきたいと思います。
最初の方で語られる女探偵のエピソードやジャケ裏にある「ちょっとした特技」とかの思わせぶりな煽り文句がアレなんですけども、もちろんこのあたりも作中の仕掛けに對する仕込みゆえゆめゆめ騙されぬよう、といいつつジャケ裏の言葉や、眞っ黄色のジャケ帶で「どうぞ、目一杯期待して読んで下さい。そして、驚いて下さい」という煽り文句はちょっと大袈裟。
おそらくは本作を担当した編集者あたりがノリノリで書き綴ったものとは思われるものの、「向日葵」や「シャドウ」に比較すると本作の後半に大展開される世界崩壞はやや弱いかなア、なんて思ってしまうのは、作者の作品を總て讀了している道尾ファンの過大な期待に起因するものゆえ、「向日葵」「シャドウ」のファンはそのあたりも汲み取りつつ、ジャケ帶の言葉にこそ「眉に唾を付けて」本作に取りかかっていただきたいと思います。
さて、上でもややシツコイくらいに「向日葵の咲かない夏」と「シャドウ」を擧げつつ、真備シリーズの「背の眼」や「骸の爪」についてはマッタク言及していないのにも勿論理由がありまして、敢えて本作の仕掛けをどちらかの流れに振り分けるかとすれば、風格こそ大きく異なるものの、やはり「向日葵」だと個人的には思うのですが如何でしょう。
実際、本作の仕掛けには「向日葵」の変奏ともいえる技巧の妙が感じられます。類似點を擧げるとすれば、まず作中でシッカリと殺人事件が發生し、探偵の視點はこの事件の解明に寄り添うかたちで物語が展開されていくことがひとつ、しかしその一方で最大の仕掛けはこの物語世界をひっくり返すものであるところ等々。
作中で扱われる「事件」は大きく二つありまして、その中のひとつがあらすじでも言及されている産業スパイに關連して發生する殺人事件。で、ここに新入りの女探偵も絡めて物語を牽引していくのが大筋なのですけど、操りも輕く絡めたこの仕掛けは大凡予想通りの流れ乍ら、語り手の思い出の人物が自殺したもうひとつの事件の真相についてはちょっと吃驚してしまいました。そしてこの眞相が最後の物語世界の眞相開示へと繋がっていく流れも素晴らしい。
この過去の事件で明らかにされるある真相と、最後に開陳される「向日葵」チックな仕掛けが、ジャケ帶で言及されている「トリックとテーマが分かちがたく結びついている」というところだと思うのですけど、自分は今ひとつ、ここでいう「テーマ」というのがよく分からなくて戸惑ってしまったことを指摘しておきたいのですけど、「猿とは何か?何故片眼なのか?」というあたりが恐らくはそのヒントになっているのかなア、とは思うものの、それではあまりに着地點が甘いような氣もするし、……なんてかんじでボンクラの自分は頭を抱えてしまうのでありました。まあ、このあたりはプロの評論家による明解な分析を期待したいと思います。
自分は寧ろテーマとは離れたところで、「向日葵」の変奏或いは直系ともいえる仕掛けに驚き、世界の歪みが明らかにされる後半の展開のさりげなさに感歎してしまったのですけど、それでも「トリックとテーマ」の結びつきを理解していればより本作の魅力を堪能することが出來たのかなア、なんて考えるとちょっと悔しい氣もします。
「向日葵」の邪惡さと不穏な空氣を継承したのが「シャドウ」だとすれば、本作は「向日葵」の世界構造と仕掛けの連關を変奏した作品、ということが出來るでは、と思いつつ、やはりこの雰圍氣の違いから道尾作品にホラー的な世界観を期待していた人はかなりの戸惑いを覺えてしまうかもしれません。
とはいえ、一般受けはし難い、あの不穏にして邪惡な風格をそっくりそのまま反轉させて、軽妙なユーモアなども交えてみせたところは、本作のメジャー化には大きく寄与していると思うし、個人的には本作で切り開いたこの路線を「シャドウ」の系統と併行しつつ今後も描いていってもらいたいと思いますよ。
從來の道尾作品に顯著であった邪惡、不穏、或いはホラー小説めいた風格とは大きく異なる物語世界とその語り口さえ氣にならなければ、本作の仕掛けもイッパイに愉しめると思います。「片眼の猿」というタイトルや、トランプに猿といういかにもなジャケにその系統の雰圍氣さえ期待してしまうのでなければ沒問題、道尾氏の熱烈なファンの殆どはその語りの妙と仕掛けを愉しんでいると思うので、その點では本作も期待通りの仕事をしているといえるのではないでしょうか。
餘談ながら、この「向日葵」的な仕掛けの構造と最後に開示される語り手のアレなどから、上では「向日葵」を「ひまわり」と書いてしまったんですけど、頭の中でこんなバカな連想をしてしまったのは自分だけ、ですかねえ。