ジャケ帯に曰く「所詮、人間は肉の塊と断じる友成文学の頂点!!」とある通りに、エロとバイオレンスだけで突き進む異様な話がテンコモリながら、個人的には所詮は肉の塊に過ぎないような人間がエログロを交えて無惨に解体されていく過程を描きながらも、その行き着く彼岸から何ともいえない虚無と郷愁、無常観が立ち現れる風格が素晴らしい一冊です。
収録作は、悪魔と神様が結託して、地上界をテンヤワンヤに仕立てた挙げ句に肉塊へと解体されていく人間の無常と虚無を描き出した傑作「狂鬼降臨」、ネズミーランドに漫画の神様の邪心がプラスされて人工遊園地がトンデモな暴走を始める「地獄の遊園地」、女はこれすべて疫病持ちという恐ろしい世界に対峙した一人の男をハードボイルド風に活写した「呪縛女」、DQNにブチ切れたフツー男が狂気にとらわれ蟷螂女の餌食となる物語を乾いたタッチで描き出した「蟷螂の罠」、人間が死ななくなったという地上界の地獄絵図「地獄の釜開き」の全五編。
五編といいつつ、分量からすると、長編の「狂気降臨」がおよそ半分を占めてい、最終話までの第六話にそれぞれの主人公を配して、とにかくエロとグロとバイオレンス「だけ」で物語を展開させるというところが友成節。しかしどうにも怖がるべきなのか、笑うべきなのか、というようなナンセンス極まるエログロ描写が秀逸で、エロに関してはとにかく肉塊が粘膜をアレしてグチョグチョに姦りあうだけという、フランス書院やグリーンドア文庫のような匂い立つエロスとはマッタク無縁。男も女もどうしたって興奮出来ないエロスの描写は讀者のそうした部分での感情移入を完全に拒んでいるといえるものながら、讀み進めていくにつれて、そうした肉塊へと解体されていく人間どもの描写の行間からそこはかとなく無常、虚無、そして地上界が地獄へと堕ちる前の、――いうなればこの物語が語られる以前の世界に不思議な郷愁を感じてしまうという風格が素晴らしい。
肉の塊だけを活写したその果てに、「所詮、人間は肉の塊」という思想のみではどうにも割り切れない何かが立ち上ってくる情景は、最近では平山氏の風格にも大いに通じるものがあるし、それがまたジャケ帯にも語られている友成「文学」である所以なのカモ、と感じた次第です。
登場人物の狂ったところや、死体大好きなアウトサイダーというキャラぶりから、どうにも日野日出志センセをイメージしてしまうのですけど、実際死体遊びが大好きで、好きな女からも蛇蝎の如くに嫌われた挙げ句、愛から憎悪へと轉じていく第二話の康治は、讀んでいる間、ずっと目ン玉の大きな日野御大の絵が頭の中に大写しになっていたことは内緒です(苦笑)。
康治や卑弥呼など、その狂気とアウトサイダーぶりに悲哀さえ感じられるキャラ造詣も盤石で、最後はプロローグに繋げて、投げやりなのか「これって妖星伝?」みたいな唐突な終わり方をするのですけど、こうしたエログロは半村伝奇小説や鬼六師匠の「花と蛇」を挙げるまでもなく、とにかく延々と續くかのような終わりのない風格を最後にブッタ切ってみせるところがお約束なわけで、これはこれでアリだと思います。
で、正直、表題作の「狂鬼降臨」だけでもお腹イッパイなんですけど、續く「地獄の遊園地」はこれまたナンセンス極まる逸品で、ネズミーランドを彷彿とさせる遊園地に漫画の神様を見立てたあの人の狂気が憑依して大暴走を始めるという破天荒な物語。ここでも人間が不条理もヘッタクレもない具合に容赦なく解体されていくところが一番の見所ではあるのですけども、ここに大コンピュータの暴走という何ちゃってSFテイストを絡めてそのナンセンスぶりを二倍増しにしているところが好印象。
「呪縛女」は、女がみんな病気持ちになって、交わった男は全員ドロドロに腐ってしまうというタマらない世界を描いた一編で、女は完全にゾンビと同様死霊扱い。狩りの対象となった女を抹殺することを生業とする主人公がこの世界の不条理に煩悶しながらも、女の魅力にとらわれていくプロセスが、ところどころに挿入されるドロドロのグチャグチャに相反して結構深刻。ハードボイルドっぽい乾いた調子が前二作とはやや趣の異なる雰囲気を与えています。
「蟷螂の罠」は、今であれば平山センセを彷彿とさせる狂気と不条理がハジけた一編で、Zに乗ったDQNにブチ切れたフツーの男が暴走する、という話。ここで描かれるDQNの「フェアレディZの2シーターZ・Tバールーフ・ターボ2000」という車のセレクトなどのディテールが時代を感じさせます。
「地獄の釜開き」は、「狂気降臨」とセットで愉しみたい一編で、あの世は死霊でイッパイという世界観に破天荒なエログロをブチ込んだ風格はマンマ「狂鬼降臨」をコンパクトに纏めたような雰囲気です。長編であり、登場人物の内面にまで踏み込んだ「狂鬼降臨」の方が無常観の純度は高いものの、この短編にもそうした風格はやはり感じられます。
それとジャケ帯には竹本氏が推薦文を寄せているのですけども、これがもうヤケクソともいえるハジケっぷりで(苦笑)、一応、全文引用しておきます。
文学なる広大な大陸の一角には、辺境ではあるかも知れないが、トモナリワールドという一角が存在して、確かにその大陸のひとつの極点を打ち立てている。そしてそれは文学などというものが、高だか人間などというチンケでしみったれたいきものがひり出した排泄物に過ぎないことをまざまざと明示し、暴きたて、そんなものは屁のつっぱりにもならんですよと笑いとばしてしまうような極点なのだ。本書によってこの地に踏み込みし者は、さらに『人獣裁判』を見よ! はたまた『肉の儀式』を見よ! それらは間違いなく歴史に深く刻み込まれた聖痕だ。いや、でも、うんこだからこそ楽しいよね。よくよく考えれば、便秘になるとこの上ない屁のつっぱりにもなるし。というわけで、トモナリ君は今日もうんこを掻きまわして遊ぶ。ゴーゴー、トモナリ! 負けるなトモナリ! 虫けらどもをひねりつぶせ!
それと現在友成氏はバリ在住とのこと。パリじゃなくてバリというところがチと意外ながら、あとがきによれば、
連作短編は今、インドネシアを舞台にしたシリーズを二つ、勝手に書き溜めている。インドネシアで体験した生の現実をそのまま書けば、日本人の目には奇怪で驚くべき、不思議なファンタジーになる。
とあって、エログロとはまた違った現在の氏の幻想小説を近いうちに讀むことができるカモ、という気がします。何となくこのインドネシアのシリーズはここ日本で一つの文学的潮流となりつつある怪談文学にも通じるような予感もあり、大いに期待したいと思います。