「第八屆台灣推理作家協會文學獎」受賞作。前評判だけを聞くとかなり賛否両論というか、色々な意見があったりしたのは知っていたのですが、個人的な感想はというと「ねーよ(苦笑)」というものながら、非常に個性的な一篇でありました。
物語は男の失踪事件ということからスタートするのですが、その失踪というのが、ある男の足取りがとあるマンションに入ったところから消えている。監視カメラは確実に男がこの建物に入っていくのをとらえているのだが、ではいったい、男はどうやってこの建物から出て行き、そして姿をくらましてしまったのか……。
――という書き方をすると、日本人であれば当然、リアルであった或る事件を思い出してしまうのは必定。まあ、この点についてはノーコメントとしておきますが、この男が訪ねたマンションには、離婚した元妻との間にできた娘っ子の部屋があり、ずっと長い間彼女に会っていなかったにもかかわらずどうして男は今頃になって娘の部屋を訪ねてきたのか、という動機の側面もささやかな謎のひとつ。
警察の捜査が進められるうち、色々な物証が見つかったり、娘っ子の不可解な行動から事件の構図が明らかになっていくのですが、探偵が事件の真相へと近づく天啓がタイトルにも絡めたあるものであるところなど、このあたりのフックは何となく土屋ミステリを彷彿とさせます。そしてタイトルが、事件の「犯人」のある心情を暗示していたという真相は秀逸ながら、この「犯人」の心の変転がこれだけではマッタク理解できないところがかなりアレ(爆)。
また選考委員の冷言氏(彼は歯医者)も、法医学面から、この犯行方法については「ねーよ」と指摘しているのですが、実際のところ自分もそう思うし、ここをアッサリと最後の真相開示のシーンだけに委ねてしまうのは違和感アリアリ。とはいえ、法医学的に「ねーよ」であって傑作となりえる方法はいくらでもあるわけで、例えば本年度のキワモノミステリとしては大いなる収穫ともいえる「屍の命題」の巨大なカブトムシの真相を挙げるまでもなく、リアリズムよりも奇天烈さを前面に押し出した風格にまとめてしまえば、そうした「ねーよ」も物語としては大いにアリとなるでしょう。
この法医学的なありえなさは、本作における犯人の突然の心変わりに端を発してい、ここで動機面において人間の情愛といったリアリズムに寄りかかろうとした浮気心が、逆に犯行方法からリアリズムを取り去ってしまったという何とも皮肉な仕上がりになってしまってはいるところもかなりアレ。
しかし、それでも本作を単なる「ねーよ」のダメミスとして片付けられないのが、失踪事件から殺人事件へと事件の様態を変化させていく上でのロジックの展開が非常に素晴らしいからで、特に単純に見えた失踪事件を取り巻く要素から共通項を見いだし、それを端緒に推理を進めていく見せ方は秀逸です。また、共犯の可能性を提示しながら、それを否定していくプロセスも非常に細やかで、日本の現代本格であれば法月ミステリを彷彿とさせるこの部分だけでも本作は買い。
作者である風神氏はまだ十分に若いし、人間の情愛とか妙なリアリズムやドラマ性を求めず、次回はネチっこくも精緻なロジックを全編において大展開させた路線での快作を期待したいと思います。