ミステリ・フロンティアとしてリリースされた一冊「人形の部屋」が傑作だったので、こちらもゲットしてみました。で、感想なんですけど、「人形の部屋」と同様の素晴らしすぎる内容で個人的には大満足、昨年リリースされた時にはマッタクのノーマークであったことを激しく後悔している次第ですよ。
本作も「人形の部屋」と同様の連作短編で、収録作は、贋作と疑わしきボッチィチェッリの作品に天才目利き探偵と語り手先生のペダントリーが二転三転の逆転劇を炸裂させる傑作「天才たちの値段」、異人さんからもらった譯アリ地図に失恋女の心情を照応させ、仕掛けによって人間心理を描き出す技法が優しい余韻を遺す「紙の上の島」、珍妙な仏画に込められた秘密と天才の粋な計らいが微笑ましい「早朝ねはん」、議員センセイ親子のディベートに天才探偵と語り手先生が対決を行う「論点はフェルメール」、遺言に込められた真意を解き明かす暗号小説の体裁によって人間心理の深奥を照らし出す「遺言の色」の全五編。
表向きは「日常の謎」系の作品を装いながらも、ペダントリーに様々な趣向を凝らした仕掛けで超絶技巧を炸裂させた「人形の部屋」と同様、本作でもド派手な殺人は起きないし、密室密室大密室というフウに大味なトリックもナッシングというものながら、それでも二転三転のどんでん返しや、ペダントリーに託した推理によって明らかにされるコトの真相が人間心理の細やかさを見事に描き出してみせるところなど、一級品の風格をもった傑作がテンコモリ。
まずもって冒頭の表題作「天才たちの値段」からして、逆転反転が炸裂する素晴らしさで、ジャケ帯には美術ミステリーなんていう言葉が添えられていて、ホンモノの絵画を前にすると舌に甘みを感じるという天才的な鑑識眼を持った探偵が主人公、という設定だけを見れば、この探偵が贋作を見破る手際をミステリ的手法によって描き出した作品かと思ってしまうものの、実際の風合いはかなり異なります。
「天才たちの値段」では、ボッティチェッリの作品だとおぼしき作品が贋作であるかどうかというのがまず表向きの謎として提示されるものの、本作の場合、作品の真贋よりは寧ろ、作品の真贋を巡る課程でその絵にかかわる人間たちのドラマを描いていくという結構です。
その絵をモノにすることになった人物は勿論のこと、その絵の作者の正体を解き明かしていく推理の中で、様々なペダントリーが駆使されていくという展開は「人形の部屋」と同様ながら、作品の真贋という、日常の謎に比較すれば劇的な効果を期待できる素材ゆえ、後半で心憎いほどに二転三転される真贋を巡る推理劇は最大効力を発揮して讀者を魅了しまくります。
登場人物もこれまた美術ネタを凝らした舞台にふさわしく、スタイリッシュでありながらマッタク嫌みを感じない好人物ばかりでありまして、特に「紙の上の島」では語り手と探偵役も含めた登場人物たちの思いが交錯し、優しい幕引きを迎えるという結構が秀逸です。
双子の姉の失恋の疵を癒そうと、異人さんの古地図を絡めて天才探偵と先生を召喚したおキャンな教え子の思惑、そしてその心の内を思いやりながら古地図の「真相」をある地点へと誘導してみせる先生と探偵の心遣い、さらにはそれら周囲の全ての気持ちに気が付きながら古地図の真相を明かしてみせる当人の心理と、推理のプロセスのなかで登場人物それぞれの心の内が次第に明らかにされていく結構は完璧のの一言で、最後の最後に件の出来事の中心人物であった姉が自らの心境を照応させることで、異人さんの過去の「真相」を解き明かしていくというどんでん返しも含めて、その構成の妙の素敵さに溜息が出てしまいます。先生にさりげなくホの字のおキャン娘のキャラなど、登場人物の造詣も本編の大きな魅力のひとつでしょう。
この登場人物の思いやりは続く「早朝ねはん」においても同様で、ここでは探偵が先生にたいして施した粋なはからいがナイスなんですけど、お釈迦様の涅槃絵に凝らされた奇妙なところをペダントリーに託した超絶推理によって解き明かしていく展開は期待通りで、絵画に絡めた真相というところでは、収録作中、一番の驚きかもしれません。
とはいえ、驚きという点では「論点はフェルメール」での、凡作と傑作とでどちらが素晴らしい作品かをディベートせよ、という無理難題に立ち向かう先生と、天才探偵とのやりとりのプロセスから明らかにされていく、逆説めいた真相もまた、本格マニアにしてみればタマラないところでありまして、この作品も息子に対する大物議員の粋なはからいが優しい風格を添えているところも洒落ています。
暗号小説としての強度では「人形の部屋」に収録されている「お花当番」の方がその超絶技巧においては上回るものの、「遺言の色」の暗号は先生の身内から提起されているところが本編のミソで、暗号の意味そのものを解き明かした後に、件の暗号を作成した人物の複雑な思いがたちのぼってくるという巧みな構成が素晴らしい。さらに暗号を解明しようと資料にあたり、その端緒を見つけていく課程に作者十八番のペダントリーを添えてスリリングに転がしていく結構も見事であれば、シリーズの最後にふさわしい余韻を残した幕引きも最高です。
という譯で、繰り返しになってしまうのですけど、大味なトリックもなし、天才といいつつ、ゴーマンキャラを炸裂させる譯でもない探偵のオシャレぶりなど、本格原理主義的な視点から評価すればまったくいただけないという作品乍ら、やはり仕掛けによって人間心理を描き出す巧みさが「人形の部屋」と同様に印象的で、個人的には大満足の逸品でありました。
本格原理主義的な批評眼で見れば、「人形の部屋」にも見られた批判というか、讀者の感想にある「ペダントリーが伏線として機能していない」云々という点は確かに本作にも見られるものの、果たして本作にも顕著な衒学は本格ミステリの中では伏線として「のみ」機能「すべき」なのか、――このあたりを考えつつ、ペダントリーがどのようなかたちで本作の仕掛けのなかに組み込まれているのかに着目した讀みを、個人的にはオススメしたいと思います。
例えば「論点はフェルメール」などに明らかなのですけど、ペダントリーは伏線としてではなく、推理のプロセスの中で次々と讀者の前に明らかにされるという結構から、それは謎と(ときにはかりそめの)「真相」の結節点として機能していることが分かります。またこの作品ではディベートという形式の「推理」と「謎解き」の課程を中心に描いていくことで、ペダントリーを時には驚きをもたらすフックとして仕掛けのなかへ組み込むことによって、二転三転する小刻みなどんでん返しの効果をあげている譯ですけど、さらに注目すべきは、これらのペダントリーを凝らした推理の果てに見えてくるものが、作品の真贋といった「真相」ではなく、その作品にかかわることになった人物の心の深奥であり、これこそが作者の描きたいものなのではなかったのかと思わせるところであります。
作中人物のオシャレな会話を重ねることで、彼らの性格造詣を活写してみせるという一般小説的な手法でごくごく普通の作品も描けるほどの力量を持っている筈なのに、敢えてミステリ的な技巧によって人間心理を描き出してみせるという作者の心意気、――さらに言えば、本作や「人形の部屋」で駆使されているペダントリーを添えた推理の技法には、御大の提唱される「二十一世紀本格」をより洗練させ得る鍵が隠されているような気がしてならないのですけど、そんなことを考えてしまうのは恐らく自分だけでしょう(爆)。
本格ミステリのマニアからすれば、大味なトリックがないところがアレ、日常の謎が所望の御仁には徹底したペダントリーの技法がちょっとアレ、といわれれば確かにその通りで、本作の素晴らしい作風にノックアウトされてしまう自分のような物好きはごく少数かと推察されるものの、ミステリー云々を抜きにしても、一級品のエンタメ小説だと思います。一見したところ「人形の部屋」よりも重厚度は上で、天才探偵や先生のオシャレぶりなど、一般受けしそうなのは本作の方かもしれません。オススメ、でしょう。