怖いというよりエグい話。
以前取り上げた「指揮者」と同樣、中公文庫からリリースの本作は、スパイやハードボイド風の探偵が一切登場しない、小市民たちの地獄巡りやエグい話がテンコモリの短編集。
収録作は、ある日から突然オドオドした謎男に尾行されることになる小市民を描いた「尾行者」、脳内戀人認定していた女が殺されていたところから小市民が親友にアリバイづくりを頼み込む「あの晩のこと」、心臓が弱い奥樣が怪しい家政婦にゲテモノイジメを受けまくる「無気味な同居人」、ゲス男に強姦まがいのことをされたすえ、結婚を受諾させられた会社のマドンナから相談を受けた小市民が彼女の為に一肌も二肌も脱ぎまくる「もう一人」。
限りなくプラトニックラブな不倫を満喫していた小市民が妻に間男をけしかけたばかりに地獄に堕ちる「すばらしい偶然」、金持ち奥樣の愛人ボーイが運命の女に出會った暁に犯罪を犯そうとする「チャンス」、会社の不思議女と一夜限りの關係を持ったばかりに振り回される小市民を描いた「密告」。
莫迦な泥棒の自白がブラックな幕引きを引き立てる「無実」、專務の娘にベタ惚れした男が陥穽に落ちる「馬を射たり」、接待に疲れた社畜男のボヤキ「遺書」、按摩師の語る戦中の恨み節「骨の音」、泥棒の自白がこれまたちょっといい話へと見事におちる「指を鳴らす」など十四編。
タイトルにもある通り、前半は「ミステリー」と假名がふられた「怖い話」とショート・ショートの「短い話」に分かれていんですけど、平易な文体の中に作者の惡魔的なニヤニヤ笑いが最大限に展開されているのが「無気味な同居人」で、主人公は若氣の至りで昔はチョット遊んでいたものの今は一流サラリーマンの妻におさまっているという奥樣。
しかしこの奥樣は滅法心臓が弱くて、おまけにゲテモノが大嫌い。冒頭、この奥樣が臺所の流しにミミズを見つけるところから始まるんですけど、この不穏な幕開けもナイスで、このあとも冷藏庫からカエルの死骸が出てきたりとゲテモノの來襲はますますエスカレート。
で、奥樣はタイトルにもある同居人の家政婦が自分を毛嫌いして、こんなひどいことをしているんじゃないかと勘ぐるものの、この家政婦というのがまた最高のイヤキャラぶりを発揮していて、奥樣のことも最初の頃はおくさま、なんて呼んでいたのが次にはおくさん、に變わり、今ではあんた、なんて呼び捨てにすることさえあるという。おまけに人のアルバムを勝手に盜み見ていたりともうやりたい放題。
彼女はもうこの家政婦のイヤっぷりを目にするだけでも心臓バクバクなんですけど、旦那に相談しても現場を見ていない彼の方の氣のせいだのひとことでちっとも相手にしてくれない。そんなある日、彼女がついにこの家政婦のイヤっぷりにブチ切れて、件のことを詰問すると果たして、……という話。
前半にこの貞淑な奥樣のちょっとした火遊びについて言及されていて、これが最後に惡魔的なラストへ繋がるところがいい。恐らく作者としては奥樣の因果應報を嘲笑うようなオチ方を期待しているかと思われるものの、この家政婦の無気味にして最高のイヤキャラぶりはあまりに鮮烈。
主人公の小市民が變な氣を起こしたばかりに地獄に堕ちるというネタで見事なキレぶりを見せているのが「すばらしい偶然」で、無精子症の主人公には妻がいるものの、少女キャラの女の子と動物園デートをしてキスをするだけのライトな不倫を愉しんでいる。で、ある日妙な氣を起こして、かつて妻を取り合ったライバルの男に、自分の妻を誘惑してみろとけしかけたのが運の尽き。
元ライバルの男から奥さんにはキッパリ斷られたという後日談を聞いた主人公が、例によって「結婚したら、カバの赤ちゃんみたいな子を生みたいわ。わたし見たことあるのよ。カバの赤ちゃん、かわいいわ」なんていう少女趣味の彼女と動物園デートを愉しんだあと、妻から浮気の現場を見た、と指弾される。
離婚してもいい、そのかわりこの家を出て行け、と妻にいわれてタジタジとなった主人公はその場で彼女を殺してしまうのだが、……というところで話は一轉、小市民の主人公を襲う最惡の事態とは、という話。騙すものと騙されるものの反轉が小気味良く、ミステリらしい仕掛けの活かされた短編では、収録作中、一番のお氣に入りでしょうか。
ミステリらしい仕掛けと反轉という點では「チャンス」も同樣で、ゴルフの練習場で知り合った金持ち奥樣の愛人ボーイをしている主人公が、結婚したい女と出會ったことをきっかけに、知り合いの男を奥樣にけしかける。しかしベタ惚れの彼女が愛人ボーイと別れる徴候は一切なし、ついに彼は事故に見せかけて奥樣を殺そうとするのだが、……。
このあとの構成と皮肉の効いたオチが素晴らしく、愛人ボーイの込み入った事情を知らない友人のつぶやきで幕を閉じるところも洒落ています。収録作のミステリ的な仕掛けの殆どはこの小気味良い反轉を効かせたもので、それを語りの巧みさたけで見せてしまう作者の筆捌きは流石です。
「短い話」の中では、嘘を語る第三者という同樣のモチーフを用いながら、オチの印象が大きく異なる「馬を射たり」と「指を鳴らす」を比較してみるのも面白いかもしれません。
「馬を射たり」は、平凡な男が新宿のディスコで知り合った女にベタ惚れ、彼女が自分の会社の專務の娘であることを知ってしまう。結婚を決意した彼は專務に二人の結婚を承諾してもらおうとするのだが、……という話。
一方の「指を鳴らす」は刑事と泥棒の二人の會話で話が進むものの、アリバイを主張する泥棒は事件の夜に會っていたという女のことを話し始め、……というもの。「馬を射たり」では嘘を語る第三者に騙されていたのが小市民の主人公であるところからブラックなオチを決めるのに對して、「指を鳴らす」では泥棒が語りの中で明らかにしていく内容が不穏な展開を見せながらも、騙しの仕掛けが明かされた最後は人情噺めいた餘韻を殘して終わります。同じネタを扱い乍らも、その見せ方と構成でまったく異なる風格の短編に仕上げてしまうところはやはりうまいなア、と感じた次第です。
派手さこそないものの、短編の定石を活かした語り口、シッカリとしたオチ方を見せる構成など、スタンダードな味わいのある短編揃いの本作、現代の技巧派ともいえる蒼井上鷹の作品などと比較してみるのも一興では。