大石圭の「処刑列車」が文庫で出たので、そちらのレビューをやろうかと思ったのですけど、どうにも單行本を何処にしまったか見つからないのでそちらは保留にして、珠玉の恐怖小説をいっぱいに詰め込んだ本作をとりあえず。
筒井康隆の恐怖小説といえば、以前彼が編纂した「異形の白昼」について書いたことがあるんですけど、こちらは自作だけで勝負している傑作集です。
それでもやはり「母子像」はきちんと収録されていまして、まあ、それだけこの作品が傑作であるということでしょう。自分も日本の短篇で「怖い」話というと、やはりこの「母子像」が一二位を争うほどの傑作であると確信しています。短編で傑作というと、小松左京の「くだんのはは」とかがよく挙げられているんですけど、これは「よく出來たお話」だと思うんですよね。オチかたが予想通りというか。竹本健治の「恐怖」などもこの系統に入ると思います。確かに怖いんですけど、物語の結構を突き破ってこちらに襲いかかってくるような怖さはないです。確かに「くだんのはは」の場合、メタ的なオチかたをしているので、物語世界から讀者のいる現実に押し寄せてくる恐怖というのはあるんですけど、もともと「くだん」という素材じたい、カシマさんと同じで、こういうメタ的な仕掛けを物語の内部にもって伝承されていったものですから、その意味では都市伝説なネタを小説という物語世界にうまく纏めたというネタばれ的な印象が残ってしまうんですよ。
それに比べてこの「母子像」という作品はオチていないというか、暗い将来を予感させる主人公の言葉で物語をしめているところが、不氣味な餘韻を殘していまして、これが怖い。
この作品集、本當に筒井康隆の恐怖小説のエッセンスを存分に詰め込んだ傑作でありまして、冒頭を飾る「鍵」からして、ひとつの鍵がどんどんと主人公を惡い方、惡い方へと導いていく過程がたまらなく怖い。そして絶望的で予想外のラストに唖然とします。
「母子像」や「鍵」のような物語の展開が判然としている作品のほか、薄暗いスクリーンを通してみているような悪夢のような作品が「池猫」、「くさり」、そして「魚」でしょう。筒井康隆の恐怖小説って、日本の土壤や風俗からまったく離れたところからやってくる怖さでして、自分はこういう怖さに弱いんですよねえ。
本の最後に記されている初出一覧を見ると、「母子像」や「くさり」は六十九年、つまり四十年以上の前の作品ということになります。「池猫」などはさらに遡って六十七年、そして「鍵」が七十六年、……というようなかんじで、本作に収録されている作品はほとんどが六十年代から七十年代にかけての作品でして、最後の「二度死んだ少年の記録」だけが九十年代に発表されたものとなっています。「二度死んだ……」はどうにもばかばかしいお話で、明るいホラーという雰圍氣の作品ゆえ、ほかの作品に比較して浮いてしまっているのがちょっと殘念というか。
さらにいえば、綾辻行人だったと思うんですけど、彼が怖い小説として挙げていた「乘越駅の刑罰」が収録されていないのもマイナスですかねえ。「乘越駅……」は作者らしい不條理な恐怖が際だっている傑作ゆえに、何故本作に収録されなかったのかちょっと疑問です。