牧野小説が講談社ノベルズからのリリースというのはちょっと意外な組み合わせ。しかしこれがなかなかどうして、純然たるホラーでもSFでもなく、どちらかというとミステリに近い結構ながら、個人的に偏愛する「偏執の芳香」や「病の世紀」を彷彿とさせる仕上がりでなかなか堪能しました。
物語は警察組織の中の窓際族たちが、とあるワルの隱然と進める狂気の実験に巻きこまれ、奈落へと落ちていく、――という話。善良に見えた市民たちが突然猟奇殺人を行使するというトンデモない町へと変容を遂げつつあるなか、苦情処理班とでもいうべき窓際族の彼らは怪しげ新興宗教やそれを背後で操る黒幕の存在を知るに至り、その恐るべき実験の全貌が明かされていくのですが、このあたりの展開はまさに「偏執の芳香」。
かつてのように電波系を前面に押し出した脅迫的な雰囲気こそ希薄なものの、町全体が何やら不穏な雰囲気へと呑まれていくさまを、ひとつひとつの逸話を明かしていくなかでじわじわと盛り上げていくところはまさに牧野式で、特にこの黒幕がまた「偏執の芳香」のワルの生き写しといったかんじの、つくりものめいた「いい人」というところがいい。
それでいてこのワルが直接何かを行使するわけではなく、悪意を投じることで群衆が邪悪に染まっていく様子を俯瞰しているところなど、お馴染みといえばお馴染み、人によっては新味がないという印象を持たれるかもしれません。しかしやはりここまで人間の悪意を怜悧な視点で眺めつつ、ネチっこく描き出してみせる手腕は流石です。
悪意と邪悪といえば、最近読んだ山田正紀の「人間競馬」もそうした雰囲気が濃厚な一作でしたが、あちらは神の視点が際だつ風格であったのに比較すると、本作ではワルの背後に邪悪な存在がそれとなーく仄めかされているものの、そうした操りの中心に何物も存在せず、――虚無の中に投ぜられた邪悪の種子から人間が混沌へと堕ちていくという点で対照的。
やや意外な結末ともいえるラスボスと思われた人物の退場は、続く「再生の箱」というタイトルから想起される何ものかの「再生」へとどう繋がっていくのか、まったく予断を許さない幕引きにプラスして寸止めのあとがきという、前編の一冊としてのパッケージも秀逸で、牧野ファン、特に自分のように「偏執の芳香」「病の世紀」がお気に入りの方であれば文句なく愉しめるのではないでしょうか。