着ぐるみ妄想、白昼の狂氣。
ジャケには「怪奇ミステリー傑作集」なんて書いてあるんですけど、我らが女王、戸川昌子センセといえばキワモノスリラーに秘宝館ミステリ、ですよねえ。
本作もまた怪奇という、いかにも普通の言葉ではどうにもしっくりこない怪作が目白押しでありまして、頭のイカれたデブ娼婦のいわれるまま、混血美人のアソコのデッサンを強要される日本人を描いた「モンパルナスの娼婦」、御孃樣との新婚旅行の筈が妄想の悪夢旅へと變ずるサイコスリラーの傑作「闇の中から」、不倫女の独白が御約束通りにキ印の妄想へと転じる「視線」、義兄と妹の殺意が交錯するどんでん返しが見事な「骨の色」、エロに催眠というマニアには辛抱タマラない展開が素晴らしすぎる「 裂けた眠り」、香港でのエロい不思議体験を男の独白で描いた「 肉の復活」、戸川ファンお待ちかねの着ぐるみミステリの傑作「 塩の羊」、頭の足りない息子を連れての新婚旅行がトンデモない結末を迎える「地獄めぐり」の全八編を収録。
とにかく最初の「モンパルナスの娼婦」からして、キワモノテイストは滿タン一杯、物語の主人公はデパートの絵画部に勤務する日本人で、とある日本人画家の作品を買い取りにやってきた彼は、パリにいる画商の案内でその画伯の作品を所有するフランス人に会いにゆくのですが、この画商はバーにいた中年のデブ娼婦をリコメンド。何でも話によるとこの娼婦は件の日本人画伯のモデルをやっていたというんですけど、しかし向こうに座っているデブ女には往年の美貌の見る影もありません。
中年マニアでもデブ專でもない主人公が嫌がるのも無視しての、この画商の推薦文句がもうムチャクチャで、簡單に引用しますとこんなかんじ。
住村画伯が、裸になったモデルのチチとどうやって絵を描いたのか……あの二十世紀最大の傑作がどうやって生れたのか……百フランもチップをはずんでやれば、あの女は一晩中寝ずに喋りますよ。脂肪のついた肥ったモデルの前で、美の意味を考えるのがあなたの仕事なんだ!
仕事といわれては流石に斷ることも出來ないと、主人公はイヤイヤながらもこのデブ娼婦の住んでいるアパートに赴きます。裸に剥かれてもすっかり消沈している男のナニを前にしてこの中年娼婦は、あとで貴殿の相手をする若い娘が向こうで待機しているからと餌をちらつかせ、「彼女の新鮮な肉体とあたしの技巧」で貴方をメロメロにしてあげると自身タップリ、主人公は裸の混血美女を目の前にして、デブ娼婦に体をイジられるというおあずけプレイに見事昇天してしまいます。
デブ娼婦は主人公にスケッチブックとコンテを渡して、大股開きの混血美人の前に座らせると、女性のアソコをデッサンしてみろと強要、描いても描いてもデブ娼婦にダメ出しされ、おあずけ状態にブチ切れた主人公は、デブ女にいわれるまま自らの怒りを混血娘の美しい太腿を叩くことで紛らわせ、……という強烈なエロ描写のあと、画伯とこの娼婦の淫靡な生活の実態が明らかにされ、物語はキワモノエロから一気にミステリへと転じます。
画商から紹介されたフランス人の奥さんが何と昨晩相手にした混血美女だったりと、白昼夢のような展開の最後に明かされる眞相とは、……という話。後半のミステリ的なところも勿論見所なんですけど、キワモノマニアとしてはやはり中盤の、異樣なエロ描写に目がいってしまいますよねえ。
續く「闇の中から」と「 視線」は、ともに後半に至っての陰陽の裏返りが素晴らしい効果をあげている佳作です。「闇の中から」は御孃樣と結婚が確定し、付き合っていた女を捨ててしまう男が主人公。しかし自分の戸籍を見てみると何と、自分は既にこの捨てた女と入籍したことになっていたから吃驚仰天、女のアパートを訪ねていったものの既に部屋をひき払っていてその行方は杳として知れない。
御孃樣との婚約がご破算になることを恐れた主人公は知らん振りをして挙式を強行、しかし新婚旅行先で彼はストーカーへと変じた女の影につきまとわれて、……という話。
「視線」は妻のある男と關係を持ってしまった不倫女が語り手で、どうやら女は男の妻を殺してしまった樣子。物語はこの女の回想によって進むのですが、男の奥さんは彼女に嫉妬してシツコくつきまとっていたというのが語り手の女の主張。茶碗が割れたのも、櫛の歯が缺けたのもみんな奥さんの仕業だと宣言する女の語りは次第に狂氣の色彩を帶びてくるのですけど、このまま女のキ印語りで幕引きとなるのかと思いきや、何とも残酷な結末で締めくくります。
「骨の色」は医療事故で亡くなった姉の回想を軸に据えた物語で、ゴーマン姉に對するチリチリした妹の憎悪に義兄への淫靡な思いを絡めて、果たして姉の死は本當に事故だったのか、……という話。キワモノテイストは薄味ゆえ、眞っ當なスリラーとしても十分に愉しめる作品です。
「 裂けた眠り」は戸川センセの代表作にして大傑作の「夢魔」の原型ではないかと思わせる作品で、いつものエロに催眠を絡めたマニア垂涎の一作。
心理学の学会に参加した主人公の助教授は、オカマ娼婦から素人の女を買わないかとすすめられる。何でもオカマ娼婦曰く、この素人美女を思うままに操ることの出來る魔法の言葉というのがあって、そのキーワードを口にすれば、どんなプレイでもお望みのまま、なんて売り文句を口にされたから期待も大きくふくらみます。
いわれるままにそのホテルの一室に行くと、果たして何処かホワーンとした美女が待っていて、會話も拔きに主人公はそのまま女をベットに押し倒す。しかし予想外にも抵抗も見せたところへ件の魔法の言葉を囁いてみればアラ不思議、女はすっかり脱力状態となってしまう。マグロの美女を篭絡したあとも何処か狸に莫迦されたような氣持が抜けないままホテルをあとにした主人公は後日、県警からの依頼で「ハイデルベルヒ事件」を髣髴とさせる奇妙な催眠事件にかかわることになるのだが、……。
後催眠のキーワードはシトロエンではなく(ってこのネタが分かる人、いますか)、キンカクジ。物語の中にもマンマ「夢魔」という言葉が出て來るんですけど、主人公はこの夫人を催眠によって思うがままに操る犯人との頭腦戦を繰り広げることになり、結局勝負は犯人の勝利に終わります。
短編のため「夢魔」に比較すると催眠エロのシーンが少ない乍らも、額に手をあてて主人公が女の耳許にキーワードを囁くシーンや、犯人が仕掛けておいた後催眠によって体の硬直が起こる場面など、催眠マニアにもタマラない見所がテンコモリ。
エロに催眠という最強の組合せにミステリ的趣向を凝らした、まさにエロマニア、催眠マニア、そしてエロ催眠マニアからミステリマニアまで、そのすべての嗜好を滿たすという離れ業を為し遂げた、當に傑作でありましょう。勿論マニアは必讀、というか、この作品が氣に入ったら是非とも長編「夢魔」も手に取っていただきたいと思いますよ。
「肉の復活」は妻の死後、莫大な遺産を手にした主人公が香港で極上リゾート生活を送っていると、チャイナドレスの超美人の相手になってくれという奇妙な依頼を受け、……という話。戸川ワールドでは定番の、深いスリットの入ったチャイナドレスを着た謎の美女、そして香港という舞台、さらには妻の死の謎も絡めて展開される物語は短いながらもサイコな奇想を明らかにして幕を閉じます。語り手の言葉が幻想へと回歸するさまがいかにも作者らしい個性を際だたせた一作です。
とここまで書いておきながら、戸川センセの作品では御約束の「例のもの」が出て来ないことに御不滿の御仁もいることでしょう、という譯でお待たせしました。次の「 塩の羊」こそは當に戸川センセしか書き得ない着ぐるみミステリの傑作でありまして、舞台はフランス。謎めいた修道院で行方不明となった代議士の娘の行方を探ってほしいという依頼をうけた日本人が主人公。彼は料理評論家に化けて、その修道院に潜入するのだが、……という話。
この修道院が経営しているレストランというのが好事家には大好評の隠れ家スポットになっていて、失踪した日本人娘はここに住み込みで働いていたという。フランス人の美人尼僧に案内されて主人公は部屋に泊まるのですが、もうここから戸川センセのエロワールドが炸裂。
下着をつけていないメイドが部屋にやってくるなり、生臀を剥き出しにして風呂の掃除を始めるわ、最後の謎解きのシーンでは、修道女がスッ裸の上に羊の着ぐるみを着て容疑者を誘惑と、後背位そして羊の着ぐるみにこだわりまくったディテールが素晴らし過ぎます。何故謎解きの場面で修道女が羊の着ぐるみを纏って容疑者を苛々させるのかは、是非とも皆樣自ら本作に當たって確認してもらいたいと思いますよ。
最後の「 地獄めぐり」は長距離トラックの運転手の旦那が死亡、カメラマンと再婚した子持ちの女の独白で物語は進みます。相撲が大好きな、ちょっと頭の足りないこの息子も交えた三人で新婚旅行に行くのですが、硫黄の臭いの充満した地獄の池で記念撮影と洒落込んだ三人の結末は、……という話。語り手の妄想が思わぬ反轉を見せる技巧に、やはり戸川センセはミステリ作家なんだなあ、と再確認した次第です。
中盤に一般人も愉しめるスリラーを収録し、冒頭と最後に常人の思考を完全停止させるキワモノ作品を添えてという構成が素晴らしい傑作選。戸川センセの深奥を極めたいという奇特な方にはエロスリラーの傑作「モンパルナスの娼婦」と戸川センセの孤高、着ぐるみミステリのこれまた傑作「 塩の羊」を、そして一般の本讀みの方には「 闇の中から」「視線」あたりをすすめたいと思うんですけど、これまた絶版ですよ。「私が二人いる」と同樣、本作も光文社文庫なんですけど、未曾有の癒し純愛ブームで盛り上がる昨今の出版業界においては、本作の復刻など、やはり夢のまた夢、ですかねえ。