イヤ女祭り、煉獄ネガティブキャンペーン。
作者の岸田るり子氏といえば、(個人的には)曰くつきの第14回鮎川哲也賞受賞を授賞した作家で、受賞作にして處女作の「密室の鎮魂歌」は何よりも登場人物である女たちのイヤらしさ淺ましさがネットリと描かれた作風が素晴らしかった譯ですが、本作でもそのあたりは健在で、女のイヤ感をさらにネチネチと掘り下げつつ予想外の仕掛けを施した素晴らしい怪作に仕上がっています。個人的にはかなりツボでしたよこれは。
物語はとある出版社の女性編集者が、新人の女性ホラー作家のところへ原稿をとりにいくところから始まります。で、この作家が差し出した原稿「出口のない部屋」を女編集者は讀みはじめて、……というプロローグをへて、本編に進みます。
とある部屋に閉じこめられてしまった二人の女性と一人の男がそれぞれ自分の過去を語るという趣向で、「キメラ」では息子と娘を持つ女性研究者のことが、そして「歪んだ魂」では有名女流作家と結婚した凡人作家の男性が、さらに「不幸のはがき」では自分が捨てた子供から送られてくる不可解なはがきにビクビクする中年女性が描かれます。
それぞれのパートでは、部屋に閉じこめられた三人のほか、この三人に關係した人物のシーンも併行して描かれていくという構成が冴えていて、「キメラ」では同僚の研究者と喧嘩をしてしまうこの女性祐子のほか、「これからの世の中、女の子でも好きなことを見つけて生きていくのよ」とかいっておきながら勉強していい大学に入りなさいと結局はマイ願望を娘に押しつけるこの俗物女である母親祐子に反抗する娘洋子、さらには女装マニアで、頭の足りない近所の女の子にホの字の息子、孝臣が描かれます。
女装マニアの息子の変態ぶりも素晴らしく、弱い癖に自分よりも弱そうなものを見つけるとネチネチといじめまくる同級生が殺人を犯したと確信するや、彼は内なる声(要するに電波)を受信する。で、その台詞がナイス。
どうだ、おまえの秘密はこの俺が握ってるんだぞ。俺の力を知ったか、ざまあみろ。……おまえにはとっておきの地獄を用意してやる。いつか、必ず。
そして「歪んだ魂」では、自らの鬼畜体験を書き殴った作品で運良くデビューしてしまった凡人男が、自らの作品を評価してくれた選考委員の女流作家と結婚するところから、芸子に入れ込んで破滅していくまでがネットリとした筆致で描かれます。このパートも前の「キメラ」と同樣、複数の視點で話が進むのですが、凡人男に惚れた芸子の淺ましさ、嫌らしさが素晴らしい。
何よりこの凡人男、最新作のタイトルが「エターナルラブ」ですから、まあ内容の方も推して知るべし、ですよ。さらに選考委員の一部からコテンパンに批判されたという處女作の表題は「歪んだ魂」。とにかく才能もなく、少しばかり顏がいいだけで世間を渡ってきたようなダメ人間ですから、このイケメンぶりで年増の女流作家をものにしたものの、妻からも自らの作品にダメ出しをされてしまうのは當たり前でしょう。で、妻からバカだアホといわれては夜の生活も愉しめない。さらにこの男は女流作家と結婚するまでは童貞だったというから、芸子の寢業の巧みさにすっかり夢中になってしまう譯ですよ。
一方のこの芸子はといえば、「どすえ」なんて柔らかい物腰で接客しつつも、寢業でまず男を凋落するや、ダメ押しとばかりに今度は男の妻の悪口を吹き込んでいく。洗脳された男はこの惡魔芸子にけしかけられ、ついには妻を放火に見せかけて殺すことを決意するものの、完全犯罪を終えたあとにようやっと芸子の恐ろしさに気がつくという間拔け振りで、「あの女は怪物だ。あいつを潰さなければ僕が潰れる」といっても後の祭り。
續く「不幸のはがき」は再婚した中年女の話なのですが、何しろ再婚前に捨てた娘から金を無心するはがきが届くたびにビクビクして、といっても娘を捨てたとあってはまったく同情の余地なしですよ。再婚相手が金持ちだったから今はいい生活をしているものの、旦那やその連れ子の息子からはこのはがきが届くたびにチクチクと何かをいわれるから堪らない。
で、この息子は精神科醫をやっていてここに謎の女がさりげなく登場、どうやら彼女は義母がかつて捨てたという娘であると確信した彼は興信所を使って娘の出自を調べてみるのですが、彼女は素晴らしい豪邸に暮らしていて、どうにも義母に金を無心するような女には見えないから謎ですよ。
さらに女は自分の病院に患者として訪れるのですが、その女の発するマイナスイオンならぬ負のオーラにすっかりイカれてしまった男はその場で逆ギレ、あらためて外で女とデートする約束を取り付ける。そこで男が彼女に詰問すると、実は十六年間も自分のことを追い掛けていたストーカーであったことをカミングアウト、女は果たして本當に義母の娘なのだろうか、いや、それにしては女は義母と違って美人だし、……と煩悶するものの結局彼はこの女の放つ怪しい魅力の虜になってしまう。
女とデートするたびにウン十万圓もするブランドものを大人買いさせられていては流石に貯金も底をつく筈で、ダイナースからの請求書が百万圓もあることにブッたまげた母親は息子を指弾、しかし女の魅力に腑拔けにされてしまった男に母親の金切り聲も馬耳東風。ついに母親はその女の元を訪ねて行くのだが……。
で、書き忘れてましたが、三つのパートでそれぞれの殺人が起きる譯です。「キメラ」の章では、女装ボーイが頭の足りないマイフレンドの死体を見つけて復讐を誓ういっぽう、母親である祐子のフリーズ生首が研究所の冷凍庫から発見される。
「歪んだ魂」の章では、芸子にけしかけられた凡人男が妻を燒き殺し、妻となった惡魔芸子が編集者と会っている間に、今度は男が火だるまになって薔薇園から出現、腰を抜かした惡魔芸子が悲鳴をあげる。「不幸のはがき」では、謎女に入れあげた男の母親が失踪する、というかんじです。
最後に物語は、この奇妙な三つのパートが交錯する小説を讀みおえた女性編集者とホラー作家の場面へと戻り、ここから謎解きが始まるのですが、この三つのパートが繋がる構成は本當に見事。まさかこういうやりかたでくるとはまったく予想していなかったので、驚かせてもらいましたよ。
「密室の鎮魂歌」も本格ミステリでは定番の密室だのアリバイだのそういった陳腐なアイテムを敢えて避けて、絵画の紋樣に纏わる謎解きで引っ張る構成が新鮮でしたが、本作でも作者は本格ミステリの定番ガジェットを用いずにアレ系の仕掛けで驚かせるという方向を選んだようです。本作を讀む限りこの試みは大成功だと思いますよ。
さらに本作は「密室の鎮魂歌」の後半、謎解きの部分で炸裂した女のいやらしさ、あさましさ、おぞましさを物語の冒頭から最後まで完全注入、さらにはそれがまた驚愕の眞相によってひっくり返されるという冴えを見せるところも素晴らしい。
作中にたびたび登場する「地獄」という言葉が妙に印象に残っているのですけど、まさにロクデナシどもが煉獄をさまようさまは作者の眞骨頂で、人間のいやらしさ、それも特に女のあさましさ、卑劣さ、おぞましさをこれでもかッというくらいに肥大させた登場人物たちの鬼畜ぶりが冴えまくるさまは壓卷です。
本格ミステリの定番アイテムを採らない作風を缺点とせず、女のあさましさ、おぞましさを描かせたら天下一品という作者の個性を十二分に発揮させた本作を讀了し、「担当編集者のひと、分かってるなあ」とニヤニヤしてしまったのは自分だけではない筈です。次作もこの路線を突き進んでいってほしいなあと思うのでありました。
で、話は變わるんですけど。
作者の岸田るり子と同樣、第14回鮎川哲也賞受賞を若干19歳で授賞し華麗なるデビューを飾った神津慶次朗氏はいま、どうしているんでしょうねえ。
氏は「とにかく若い」というのが最大のウリだった譯ですから、次作のリリースが遲れれば遲れるほど、その價値は下がっていく譯です。處女作である「鬼に捧げる夜想曲」が出てからもう一年は経っているのですから、作者は二十歳を過ぎている譯で、十代だったらまだ若いというのもウリに出來たものの、流石に二十歳を過ぎれば珍しくも何ともない。このあたりを担当の編集者は理解出來ているのかと。こうしている間にも刻一刻と作者が持っている價値はどんどん下がっていっているということに気がついているのかと。
個人的には、彼の場合、どんな凡作駄作だろうが、處女作がリリースされたすぐあとに次作を出版するべきだったと思いますけどねえ。それが世間でどのような評価を得ようが、昨今の出版業界の傾向を鑑みれば許されてしまうのは明らかで、このさい作品の質なんていうのは關係ない、若者が書いた小説、というところに價値がある譯で。
既に我々は十二歳の少女が書いたという悪夢のような作品を目にしてしまっており、今となっては19歳でデビューという華麗なる経歴にも見るべきものはありません。今ならまだ間に合う、ということもいえないんですけど、それでも神津氏には一發屋で終わってほしくないという思いもあることは事實で、創元推理は一刻も早く氏の次作を出版するべきなのではないか、と思うのでありました。