正に「泣き」の要素を最大級にブチ込んだ逸品で、本格ミステリというよりは、本格的な趣向で彩りを添えたファンタジーという風格に、個人的には大いに泣かせてもらったものの、――ふと本を閉じて冷静になってみると、何だか初野氏にうまく騙されてしまったような気がなきにしもあらず、というかんじでありまして、このあたりの讀後感については後述します。
かなりコンパクトに纏まった一編ながら物語のスケールはかなり壮大です。孤児のボーイが、肉親であるヘルスエンジェルスの大伯父の登場によって施設から出て行くものの、物語の冒頭で唐突にこのヘルスエンジェルズの大伯父が車の事故で御臨終、というあまりに性急にして唐突な展開には完全に口アングリ。
そうこうしているうちに、何でもこの大伯父のトンデモな研究の実態が明らかにされ、ボーイはハーフっ娘とともに脳死状態の少女を救いに時間旅行を試みることになって、――という話。
何故脳死で時間旅行? というあたりは物語のキモでもあるので、ここでは詳しく語るのは控えておいて、この娘と二人で手を繋いで過去へと遡っていくのですけど、この時代というのが中世の魔女裁判が大流行の時代。ここから救わなければならない魂が件の魔女裁判の被告人にされてしまっていることが明らかにされるや、ボーイと娘っ子は魔女裁判の仕掛け人の卿と対峙することに。しかしこの卿なる人物がトンデモない凄腕の持ち主で……。
本格ミステリ的な讀みをする場合に注意をしなければいけないのは、本作はあくまでSF、ファンタジー要素を物語の中核に据えた物語ゆえ、件の時間旅行に関しては事実として語られてい、本格ミステリ的な趣向として展開されるのは、後半で大きく語られていくワルが魔女裁判で見せる数々のイカサマの実態でありまして、ボーイたちはこれをどうやって見破るのか、と――そのあたりが大きな見所となっています。
ボーイはある特殊能力の持ち主で、件の時間旅行の前に、とある人物と賭けを試みるのですが、ここでこの能力がいかようなものなのかを明らかにしておくという伏線も秀逸です。ここでボーイがこの能力を使って見抜いたものがとある人物のイカサマであるところもまた、過去でワルが見せたイリュージョンと通底しているという結構も素晴らしい。
卿が見せるいくつかのイカサマのなかでもっとも吃驚させられたのは品物当てで、この魔術の本質が本格ミステリでいう暗號であったところが推理されていくところでもうのけぞってしまうのですけども、このやりかたがまた最近読んだクラニーの「遠い旋律、草原の光」にも通じる、ある種の顛倒を凝らしたやりかたで、それを実際に行うことを考えるとこれはもう、並大抵の練習量じゃなかっただろう、と考えてしまいます。またこの魔術を実際に実行する上での難しさを、卿とそれをサポートする面々の顔つきやフと口にした台詞などから逸話として描き出してみせるところなど、小説としてのうまさも光ります。
そうした本格ミステリ的な結構から離れて、主人公であるボーイの成長譚として読んでも一級品の風格を備えており、時間旅行のパートナーとなる娘っ子との交流や、ボーイの人を思いやる気持ちがイッパイに描かれているところも盤石で、さらには娘っ子の逸話が後半でサラリと語られ、読者を「泣き」へと引き込んでみせる後半の展開は正直もうやりすぎなんじゃないノ、というほどに「泣かせる」小説へと仕上がっています。
多感な年代のボーイが主人公で、おまけにネタが時間旅行とあっては、凡作に仕上げる方が難しく、時間旅行ものに失敗作なしという定石通りに本作もまた美しい一編で、普通の本讀みだったら、これで泣かなきゃどうするの、というほどに感涙必至の物語です。時間旅行先の過去と別れを告げるシーンでは、老婆にある台詞を強要するシーンとか(246p)とか、上にも挙げたような、娘っ子のかつての命綱であったある人物との逸話など(228p)、さらにはタイム・パラドックスに言及しながら過去の世界においてある人物がやり遂げたことが語られる幕引きなど、感動作として普通の本讀みにもまず安心してオススメ出来る一冊といえるのではないでしょうか。
ただ、それでも斜めに構えてしまうのは、あまりにこうした「泣き」の要素が多すぎることで(爆)、それがまたある種の定型によりかかっているような気がするところでありまして、例えば上の246pの老婆の台詞などは何だかハリウッド映画かアニメかでこうしたシーンを見たような気がするし、という既視感に襲われることしきり、さらには登場人物の一人が卿の魔術に関してフと呟く台詞に、「困ったことに一流のマジシャンの信奉者になってしまうと、疑うことをまったくしなくなる。見たくなるんだよ。前振りのショーで空っぽにされた頭で見つづけたくなる」というのがあって、本作もまた、本を閉じてからこの至福の読書タイムを顧みるに、「時間旅行」というネタを早々に開陳されて「頭を空っぽに」されたのち、とにかく「泣かせて」もらいたい気持ちでイッパイのまま物語を追いかけていたような、――というふうに、初野氏の一流の技巧によって踊らされてしまっていたような気がなきにしもあらず。
しかし、「泣き」と「癒やし」の要素をこれだけ最大級にブチ込んだ風格も、昨今の癒やしブームを考えれば納得で、これだったら、自分磨きに忙しいスイーツ女のカノジョから「癒やしてくれなきゃ首吊るよ」なんて怖いことをいわれても、カピバラ さんのブックカバーで可愛くラッピングした本作をプレゼントすれば没問題。書店に行けばノベルズの棚がますます狭くなっていく現状に一抹の寂しさを感じている自分としては、「黄昏時の博物館――「僕」と「彼女」は手を繋ぎ過酷な時の旅へと出発する!!」なんて、SFファンに狙いを定めた惹句より、ここはプライドを捨ててでも「彼女とほっこり癒やしの時間旅行――感動のドラマが開幕です。ハンカチのご用意をお忘れなく」みたいな痺れる惹句を書店員様からいただいてそれをジャケ帯に大書きにするくらいの気概で、出版社にはノベルズ市場の復活をはかっていただきたい、などと考えてしまうのでありました。