單行本ですけども、「マリアの指」を除いては既にスニーカー文庫で発表濟みの短篇を集めたものですから、まあいうなれば、乙一の短篇ベスト集といったかんじでしょうか。
自分としてはこの本を購入した當事は新作「マリアの指」だけが目當てだったのですが、今回あらためてはじめから再讀してみて、單行本一册としても十分に訴求力のあるものに仕上がっているな、と感心しました。
今のところ、乙一は「GOTH」以前と以後ということで作風の変化を見ることが出來ると思うのですけど、「マリアの指」は「GOTH」以後の作品ということで、この作品だけは何か異樣な光を放っています。この作品と「しあわせは子猫のかたち」はミステリとして讀むことが出來ると思います。しかしミステリという仕掛けの扱い方がこの二作では大きく異なるのですね。
「しあわせは子猫のかたち」はスニーカー文庫における乙一の作風に特有の、ちょっと不思議な舞台設定とともに淡々と物語は進んでいき、後半に至って、それがミステリに転化するという驚きがいい。それにたいして、「マリアの指」は最初から事件の犯人が誰かというところに焦點が置かれ、殺されたマリアという女性の惡魔的な振る舞いをまわりの人間の話なども絡めて徐々にあきらかにしていくという仕掛けです。このマリアという女性の設定じたい、いかにも「GOTH」以後の乙一の作風の転換を如實に顯しているものといえるでしょう。
で、どっちが好きか、といわれると、やはり「しあわせは子猫のかたち」でしょうかねえ。「マリアの指」は乙一にしてはミステリしすぎているんですよ。それが逆に小説としての「うまさ」みたいなものを落としてしまっているような氣がするのです。まあ、このあたりは人それぞれでしょうねえ。
さて、「しあわせは……」と竝んで三部作のひとつと位置づけられている「Calling You」は當に自分にとってはツボの一作。理由はいうまでもないでしょう。「Calling you」と「手を握る泥棒の物語」。この二作は短篇小説としての定石をシッカリとふまえた傑作であります。自分のような舊世代の人間が乙一にかくも惹かれてしまうというのは、やはりこの小説としての基本をしっかりと踏まえ、破天荒な舞台設定乍らも、小説としての結構は決して崩さないという、ある意味保守的なところにあるのだろうなあと思います。自分にとっての短篇の名手というのはもう繰り返しになりますけども、半村良、筒井康隆といった當事のSFを擔ってきた世代の作品であります。乙一には彼らと同じ香りがするんですよ。
それは「失はれる物語」のような型破りの設定の短篇にもシッカリと感じられます。最後のオチの付け方など、この舞台であればいかようにも仕掛けを崩すことは出來たと思うんですよ。しかしそんなかたちで讀者を裏切るようなことは決してしないんですよねえ、乙一という作家は。保守的なのか、それとも不器用なのか。実は自分は後者だと思っています。
外見からは妙にナイーブな雰圍氣を漂わせながら「小生日記」みたいなものまで出して意外に饒舌な作者は、この單行本にもあとがきを付しています。ここで作者は、「暗いところで待ち合わせ」を書いたことについてふれて、「「Calling you」や「幸せは子猫のかたち」のテーマに対する折り合いをつけるつもりで取り組んだ」と書いています。しかしそういいながらも、このあとに「いつものことだが、小説を通して主張したいことなどひとつもない」などしれっと書いているんですよねえ。「小説において或るテーマを採りあげるということじたいが主張に繋がる」ということに、乙一のような作家が無自覺であるとはとうてい考えられず、このあとがきの言い回し自體が不器用だなあ、と思ったりする譯です。で、自分はこんな作者が大好きなんですよ。
スニーカー文庫でほとんどの作品を讀んでしまっている自分のような人、「マリアの指」と「あとがき」だけでも買う價値は十分にあると思います。