副題は「山村正夫自選戦慄ミステリー集」。しかし實際は戦慄というよりは脱力、トンデモという言葉が相應しい、小市民の生地獄と奈落行に昭和テイストのユーモアを添えた風格が獨特の味を出している傑作選です。
収録作は怪しい老婆からゲットした謎時計を手にしたことで恐ろしい悪夢を体驗する男を描いた「狂った時計」、面食い女と醜男ボクサーが「おれがあいつであいつがおれで」になってしまう「悪夢の虚像」、死にきれなかった男が楳図センセの「骨」(「おろち」)状態になって悲哀を誘う「死を弄ぶ男」、「ゼイリブ」眼鏡を手に入れたボンクラ刑事がひとでなしの恋に溺れてしまう「奇妙な眼鏡」、盲目の中華娘の呪いで顔を失ってしまう男の泣き笑いを描いた「失われた顔」、腹上死したデブ男と魂の入れかえを行った小市民がトンデモない事態に遭遇する「やどかり」の全六編。
「狂った時計」は時間が逆行していく時計を怪しい老婆から手に入れた小市民が殺人を犯し、この呪い時計のマジックでマンマと犯罪を逃れたと思ったのもつかの間、時計の怪しい力はとどまることを知らずに男を奈落の底へと突き落としていくという話。
魔術的な怪異に混乱する男の困惑を描きつつ、こいつの正体がキ印であることが中盤で明らかにされるや、狂氣を織り交ぜたヘンテコな話へと雪崩れ込んでいく展開がキモで、どことなく風合いが以前取り上げた佐野御大の「F氏の時計」に収録されていたキワモノミステリに似ているような氣がするのは、やはりキャバレーなどの時代風俗の描寫が獨特の昭和テイストを釀している故でしょうかねえ。
「悪夢の虚像」は収録作中もっともハジケまくった短篇で、あらすじを簡單に説明すると、面食いの浮気女が、醜男のボクサーをふってイケメン男に靡いてしまうものの、ゲス男のボクサーは逆ギレして女を殺害して自分も死のうとする。しかしその直前に浮気女と魂が入れ替わってしまい、……というもの。
この多淫な浮気女はクラシック・バレーをやっている美貌のバレリーナなんですけど、格闘マニアの一面もあって、この物語の主人公である醜男ボクサーの試合を見に來たところで一目惚れ、試合に夢中になると昂奮のあまり席から立ち上がるや、
「そこっ、そこよっ……もっと右のジャブで、相手の目玉をぐしゃっと潰して、それからボディに穴をあけて……そうよ、もう一息よ。殺しちゃってぇっ!」
なんて絶叫するような血の氣の多い女でありますから、恋の方もひとたび相手に夢中になるや脇目もふらず突っ走ってしまう傾向にある樣子。六回戰ボーイに過ぎなかった主人公の醜男の試合に感激した彼女は後日、練習場に花束を持って參上、その時の告白がふるっていて、こんなかんじ。
「貴方の、その――アフリカの人喰い人種みたいな獰猛な顔が、斷然好きなの。サムソンとデリラのような、わたしは貴方ただ一人を永遠に愛してよ。……信じてね」
で、この熱っぽい調子は情事の時も變わりなく、ボクシングの試合に夢中になっている時と同樣、激しい言葉で醜男を煽りに煽ります。
「わたしのことを、サンドバックを叩くようにめちゃくちゃにして!……いいわ!……まるで、土佐犬の雄がサカったみたいで、素的よっ。……ああっ……」
こんなかんじでさながら頭ン中では獸に犯されるシーンを頭にシッカリと描きつつ亂れまくっていたというのに、この女は半年もすると電話でキッパリと以下のような絶縁宣言で醜男を奈落に底に突き落としてしまう。
「悪いけど……貴方とのおつき合いは、もうこれっきりにしたいと思うの。正直にいって、貴方には知性やデリカシーというものが何もないわね。だから、飽きちゃったのよ。わたしには、やっぱりインテリ階級のノーブルで優しい人の方がいいわ。幸い今度スコッチテリアのような素晴らしい人が見つかったのよ」
そもそも、ものの喩えに犬種を出してくるところからしてこの女が十分にイタい「困ったちゃん」であることは、ここ最近ミステリ界隈で起こっている某騒動をリアルタイムでウォッチしている皆樣には明らか、……ってまあ、そんなことはどうでもよくて、兎に角この女はこのあと醜男を捨てたばかりに殺されることになる譯ですけど、何と脅迫状を出した翌日、醜男は件の女の体に乘り移ってしまったから吃驚仰天。
果たして自分が出した脅迫状をきっかけにトンデモない事態となって、……。小市民が悪い氣を起こせば因果應報、自らが引き起こした最惡の事態で最悪の結末を迎えるというのはこのテの物語の御約束でしょう。
「死を弄ぶ男」は失恋を苦にして首吊り自殺をはかったものの、死体となってもこの肉体から魂が離れないという異常事態が發生。調子に乗って自分をフった女に仕返しをしてやろうと、自らの片腕を切り落として死体を裝ったどっきりショーを敢行、しかし今彼女は自分を殺した殺人の容疑で逮捕されてしまうというトンデモな事態に。
男の体はブヨブヨに腐っていくものの、ガス膨れした死体を警察の前に晒すことで彼女の無實を証明し、事態は収束。自らの死に場所を探してさまよう彼が最後に辿り着いた場所は……。
この作品でも小市民が馬鹿な氣を起こしたばかりに困ったことになってしまうという結構が素晴らしい効果をあげていて、そこへ脱力のユーモアと男の哀愁を交えた幕引きもいい味を出しています。
「奇妙な眼鏡」はボンクラ刑事が眼鏡屋で新しい眼鏡をしつらえてもらったら何と、それが幽霊を透視することが出來るブツだった、という話。幽霊から話を聞いて見事犯人を逮捕と手柄をあげたものの、そこは小市民のボンクラゆえ、殺された幽霊女の双子の妹でに一目惚れしてしまいます。
叶わぬ恋に悶々とするボンクラ刑事が決行したトンデモな結末とは、……とここでも當然ハッピーエンドで話が終わる筈もなく、すべてが裏目に出てしまう悪魔的な幕引きにさりげなく悲哀とユーモアを交えたラストが心地よい。
「失われた顔」は「狂った時計」にも似て、怪異が小市民を直撃してトンデモない事態にアタフタとしてしまうものの、それが最後に狂氣へと落とし込まれるアンマリな幕引きが印象的。また「やどかり」はネタ的にも「悪夢の虚像」と被り、その何ともな結末も含めて相似形をなす一編といえるでしょう。
非常に讀みやすい文体と定番ともいえる怪異(魂の入れかわりや顏面崩壞、「ゼイリブ」ネタなど)を元にして小市民の奈落行を描いた作品は當にキワモノテイストに溢れているところがマニアは堪らないところでしょう。作者の手になるふしぎ文学館シリーズの一作「恐怖のアルバム」ともども、キワモノマニアに「のみ」おすすめしたい傑作選といえるでしょう。