前回の続きで、北京大学での講演、第二弾です。
しかしモルグ街の殺人事件がそれまでのミステリー小説と大きく異なっていた点とは、この幽霊現象が実は現実的な発生理由を持っていて、霊的、神話的と見えた現象に作者がきちんと合理的な説明をつけたことにあります。そしてこの説明に、当時発生し、発展しつつあった最新科学の方法と科学者の視点、冷静で論理的な追求態度を持ち得たことが革命的に新しかったわけです。
この新しさに多くの才能が強い魅力を感じて創作のレースに参加したので、探偵小説という新文学というジャンルが英語圏に誕生しました。その後、ポーの原点に見るような幽霊現象、すなわちミステリーは伴わず、ただ殺人事件が起こり、この犯人が不明で、探偵という職業人がこの殺人犯を探偵行動によって追跡し、特定する小説も、探偵小説と呼ばれるようになって、このジャンルの主眼はむしろこちらに移っていきます。つまりミステリーは排除されて、探偵行為のみに書き手や読者の関心が向けられるようになって、むしろ探偵小説は完成します。こうして簡素化された構造が多くの書き手を吸引して、アメリカを中心に黄金時代が築かれていきます。しかしこのようにして探偵小説はポーの創案したスタイルからは次第に離れていきました。
この新文学の創作レースは日本がもっとも熱心に参加したわけですが、これはそのアメリカの黄金時代の知的な華やかさに憧れてのものでした。日本人はこのジャンルに本格の探偵小説という、本格という新しい用語まで創案して熱中します。すなわちこの本格という言葉は日本人の発明になるもので、英語にはないものです。また探偵が犯人を調査していく過程で盛んに推理と呼ばれる思索を行うので、日本人はこの小説を推理小説と呼ぶようになって、この推理という過程が格別に硬度で論理的であり、水準よりも鮮やかで、説得力のあるものを本格的な推理小説、あるいは本格的な探偵小説と呼んで日本人は賞賛するようにもなっていきます。
すわわち本格の探偵小説であるためには、推理の論理が一定量以上に高度、または独自的な意匠を持つ必要があります。犯人不明の探偵小説ばかりではなく、ポーのモルグ街の殺人のような雰囲気を継続したミステリー物語も以前書かれていますが、こうした物語も、現象発生の理由を解明して事態を解決する後段の文章が、水準以上に高度で、論理的であるものを本格のミステリーというふうに呼びます。
こちらの小説はフーダニットではなく、多くはハウダニット、つまりこの神秘現象がどのようにして起こったかという理由を推理する手法の小説になることが多いのです。本格探偵小説が書き尽くされて、アイディアが枯渇して見えている現在、こちらの本格ミステリーの方向により将来があるように自分は考えています。最後のものが本格ミステリーという小説群の説明になりますが、本格探偵小説ではなく、その一部分をなす本格ミステリーは解明を目指した推理論理の高度さ、力性を追求するために、また前段呈示の解明目標たる神秘現象を支えるためにも最新科学の成果を学んでしばしばそれを用いることも有効です。
これは十九世紀に現れたポーのモルグ街の殺人もまさしくそうであったために、原点におけるポーの精神にもよく合致するし、本格ミステリとはもともとそのように科学発想と相性が良い小説の群れです。二十一世紀が開けた現在、そして将来、この傾向はますます加速すると思います。いくつもの驚くべき達成が最新科学のフィールドには存在しているからです。このため昨今やや行き詰まりを見せ始めた本格探偵小説、その一部をなす本格ミステリーの活力復活のためにはこのような考え方、つまりはポーの原点に立ち返って発想することが必要であって、現在私はそのように主張しています。
述べてきた説明をここでまとめるならば、本格ミステリーとはミステリー発想に対し、論理的表現を深めることで、読者に驚きを提供する友好的な装置である、ということです。文学的驚きもまたこの内部に存在します。
これに対して一般的な文学とはどういう小説群であるかというと、日本の状況を中心にして述べるならば、自然主義作風を中心軸として発展してきた近代の物語に似た文章群ということになります。両者の一番の相違点は人工主義と自然主義というこの発想の違いになります。自然主義と発想的にもっとも遠い文芸形態が人工主義の極みとしての本格ミステリであると、そう位置づけでもそう大きな誤りにはなりません。
本格ミステリが純文学から軽視される根本的な理由はここに存在しているわけです。一般的に文学は近代自然主義作風をひとつの頂点として発展してきたし、この発想をときに前提ともしてきたからです。しかしこの形式発想は実のところ、あまり正しいとはいいがたいものです。なぜならば物語を聖なる物語から俯瞰すれば、人工主義作例の物語は大半を占めているからです。人工的なストーリーのことを人は物語と呼ぶのだということもできます。
ゆえに探偵小説軽視の最大の理由はこうした人工主義的発想が理由にあるのではなくて、ジャンルが進展するにつれて探偵作家たちが自作を構成するすべての要素、ストーリー着想、人物設定、登場人物の台詞回しまでを前例踏襲によってすっかりパターン化させてしまったからと考えるべきでしょう。これに探偵役の格好付け態度に文学者たちには許し難い、浅薄で子供らしいものに映ったのも軽視の理由になりました。探偵小説創作は定型を一定量を踏まえることを求められるので、作者はよく注意していないと自作をこのような印象にしやすい危険があります。
では自然主義の方向で探偵小説が書けないのか、と訊かれればこれは可能と答えます。それが松本清張を頂上とするいわゆる社会派のミステリでありました。彼の作品群をその性格から社会派と分類することは間違いではないのですが、構造的に観察するなら、彼の作品には伏線が極めて少なく、格好いい職業探偵が登場せず、リアルな動機だけが犯罪に用いられて、明らかに自然主義の流儀が取られていました。欧米の探偵小説の黄金時代があって、アングロサクソンたちに変わってこの文学を継承したものは地球を西回りに進んだ日本人でした。
日本人はこの文学に「本格」という新呼称を与えて、ヴァン・ダインとは別角度からの創作提案を行いました。「本格」という呼称をジャンに与えたものは甲賀三郎という日本人作家でした。しかし彼はある探偵小説を本格と否定する際の条件を細かく指示してはいないんです。用語の定義も示しませんでした。この名称は事態を経るにつれて探偵小説を本格の探偵小説とそうでないものとを分類するようになっていきますが、もともと甲賀は探偵小説の創作例全体から本格の小説のみを区別して取り出すことを考えてはいませんでした。
甲賀の時代の日本の探偵小説は江戸川乱歩が開発した江戸風見せ物小屋ふうのものが主流を占めていました。江戸時代というのは17から19世紀の日本ですが、江戸風の見せ物小屋とは小人や身体が変型した奇形の人たち、あるいはろくろ首、牛女、河童などのおそろしげなものに料金を取って一般に見せていたので、乱歩流儀の小説はこの通俗見せ物的な存在が、もしも世間に開放され、犯罪とともに暗躍していたのなら、と発想して書かれた、怪談に近い、おとぎ話でありました。江戸風の見せ物小屋は大正期に入ると、衛生博覧会と名称を変えて、生き残っていきます。これは大衆に衛生の観念を啓蒙するためと主張して興行許可をとったやはり通俗見せ物で、性病や寄生虫、感染症による病変死体を展示して料金を徴収したものです。
しかし実のところ、観衆は衛生概念の学習よりも、怖いものみたさやお化け屋敷見物の感覚で病変死体を見に来たわけです。こうした衛生博覧会発想も日本では探偵小説の創作動機に大いに活用されました。多数の読者がいたゆえではありますが、この競作には現役の医学者も大いに参加して、人体を医学的気味悪さの怪人が競われるというかたちになりました。甲賀三郎はこうした自国の事由をやむをえないものとして容認しながらも、この傾向の作品群を英米に起こったものとは違うので、変格の探偵小説として敢えて一群の異種として把握することを提案しました(続く)。