昨年、御大が訪中し、上海を訪れた際にファンへ配布された「外灘画報」に御大のインタビューが掲載されています。
ちょうど青馬文化から『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』が刊行された時だったので、インタビューの内容は、前半に『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』について、そのあと、『暗闇坂の人喰いの樹』や『異邦の騎士』、さらには純文学とミステリー文学との違いなどとなっているのですが、これを日本語にしてみましたので、数回に分けてお送りしたいと思います。まずは、『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』について御大が語っているところから。
ホームズは西洋の好ましい感性を象徴的に持っていた
B: 『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』の終わりで、夏目漱石はホームズに「一緒にこの船で日本に行きましょう!」と叫んでいますが、そのときにホームズが何と応えたのかは、はっきりとは聞き取れませんでした。もしこの物語に続きがあったとしたら、夏目漱石の誘いにホームズはどう応じるとお考えでしょう?
島田 :「ワトスン君の東洋恐怖症が完治したら、すぐに行きますよ!」と彼は言ったんです。当時の英国におけるインテリ層には、東洋への恐怖感を持つ人が少なからずいました。英国だけが清潔で文化的で、未開な東洋には不潔で不埒な輩が多く、得体の知れない病や、呪いや、黒魔術の恐怖に満ちあふれている。そんなところには行かない方がいい、といった考えですね。ワトスン医師も、そういった常識にけっこう、かぶれていたんです。しかし実際はというと、ロンドンのイーストエンドにも東洋に負けないくらい不潔なスラム地区がたくさんありました。また、産業革命による急激な大気汚染によって、絶望的なクル病が蔓延していたんです。
B: 『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』は、先生の作品の中でも御手洗シリーズ、吉敷シリーズに属していません。この作品は、先生にとって何か特別な意味があるのでしょうか?
島田: 特別な意味はないように思います。吉敷ものは作家になってからしばらくして、出版社からの依頼によってつくりだしたものですが、御手洗ものは、デビュー前から考えていました。『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』も、その頃からすでに頭の中にあった物語なんです。
それはおそらく、まだ読者であった頃、夏目漱石やシャーロック・ホームズが、自分にとっては最も大切な虚構世界の住人であり、創り手だったからでしょう。御手洗と同格という意味で、今こうして思い返してみると、確かに『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』は特別なものといえますね。
B: 東西文化の融合、そして真実と虚構を組み合わせていることがこの作品の魅力だと思います。これは、最近の海外のミステリやサスペンスでもよく使われる手法ですが、先生はこれについてどのようにお考えでしょう?
島田: 虚構と真実の世界との融合という手法は、ユーモアを表現する手段としては最も適したものだということですね。ちょっとしたひねりを加えた、知的なジョークという感覚というか。他の作例については、実をいうと、私はよく知らないのですが、他の作家たちもきっとそうしたことを考えて書いているのでしょう。
もうひとつは、よく知られたその物語を私が大好きで、それについて自分にはマニアほどの知識があるんだという、同好の士へアピールしたいという気持ちもありました。
それからご指摘の通り、東洋と西洋との文化的な融合ということですね。ホームズものには、英国人の東洋に対する貧弱な知識ゆえの誤解が、物語をより面白く見せているという皮肉なところがあって、そうしたことについて、自分としてはちょっと一言いいたい、という気持ちもあったんでしょう――東洋は、恐怖や魔術の坩堝ではなく、英国人と同じように、知性と論理の集積なんだぞという。
B: 先生は幼少の頃からホームズがお好きだったとうかがっております。また『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』の中でもホームズのネタが出てくるのですが、これはホームズに敬意を表してということでしょうか? それとも、これは単なるパロデイなんでしょうか? また、ホームズは先生の創作にどのような影響を与えたのでしょう? 先生がミステリを好きになるきっかけは、やはりホームズだったのでしょうか?
島田: むろん敬意です。嘲笑の気持ちなど微塵もありません。親しい友人に対して、軽口を叩いているくらいの感覚ですね。作者のコナン・ドイル氏は、コティングリー妖精事件(注: 一九二〇年、イギリスの神秘学研究家エドワードが妖精を撮影、コナン・ドイルはその写真を雑誌に紹介し、真贋論争となった)や、ボーア戦争(注: 十九世紀末に、イギリスが南アフリカのボーアでの植民地化戦争で、全世界からの批難を受ける。コナン・ドイルはこれについて『南アでの戦争:原因と行為』という小冊子を執筆した)の勇み足などでかなりの失態を演じましたが、それによってホームズ氏が傷つくということは、まったくありません。シリーズの作中にも見過ごせない誤りやおかしな点もありますが、これは探偵小説が、人間社会の重大な制度的進化の影響下に発生した唯一の文学であることを物語っています。また、それは科学の発生や発展、スコットランドヤードのスタート、陪審制度の円熟などに伴うものでもあったのです。
私がミステリーを好きになった理由が、ホームズであることははっきりしています。彼との相性のよさは、自分でも異常に感じるほどなんです。まったく何の抵抗感もなく身体の中に入り、簡単に模倣ができるほど、それは身体になじみました。私は英語文化圏の好ましい感性――フェアプレイ精神、メカ好き、スポーツや自然を愛する心、権力を持った者の威張りを嫌う反抗精神、そしてそれを皮肉やユーモアによって包み隠すところなどが大好きで、ホームズはこうしたものを象徴的に持っていたといえるのです。同じ理由から、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』、サキの短編集などからも大きな影響を受けました。
B: 『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』の素材となったものは、未公表であるワトソン医師の手記と夏目漱石の「倫敦日記」ですが、こうした他人の作品をどうやって自分の物語に結びつけようとしたのでしょう?
島田: 『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』は、漱石の手記とワトソンの手記が交互に現れるという構成になっています。これはつまり、パロディとパスティーシュとを交互に読ませるという構成なんです。パロディは自分なりに解釈して面白くすることもできます。パスティーシュは可能な限り本物そっくりに書くということに挑戦しています。
パロディは原作に対するからかいではありますが、同時に、原作が持っているユーモアのポテンシャルをどれだけ引き出すことができるのか、それについての実験でもあります。ひとたびこれに挑戦しようとすれば、このふたつの世界にかなり精通していなければ、とてもできるものではありません。そのむずかしさにまずは惹かれ、やってやろうと思いました。これは自分にしかできないことだろう、と思ったわけです。
しかし漱石の手記は、ホームズもののパロディであるとともに、そのままで漱石の文体のパスティーシュにもなります。こうして解説すると何だか複雑そうではありますが、漱石の文体の意識には、ホームズのパロディへと自然につながる要素があります。だから、この両者をうまく模倣することができれば、目標は自然と現れるはずだという計算がありました。この作における自分のものというのは――つまりこの作が完成したことに、自分の才能がいくらか貢献できているとすれば――おそらくは、そうした各材料の質を見抜いたことと、これを最大限に活用した設計の意図でしょうね(続く)。