推理界の重鎭もキワモノがお好き。授精、妊娠、催眠術!
推理日誌連載四百回記念、という譯ではないんですけど、今日は推理小説界のご意見番、佐野洋氏が発表したキワモノミステリを紹介してみようと思います。勿論ネタは全てのキワモノマニアがリスペクトする出版芸術社のふしぎ文学館ですよ。
佐野洋氏というと、どうにも重箱の隅をつつくようなツッコミをネチネチと入れては色々と楽しい話題を提供してくれる「推理日誌」のイメージが強い譯ですが、六十年代七十年代にはこんなにハジケまくった作品をものにしていたというから驚きです。実はまったくノーマークでした。まだまだですねえ、自分も。
一応、本作の巻末にはSF著作リストってことで、作者が書いた「SF作品」のタイトルが掲載されているのですけど、少なくとも本作に収録されている作品を讀んだ限りではSFというよりは完全にキワモノ。そのムワーっとしたエロスは戸川センセと系統を同じくする昭和テイストであるものの、戸川センセが秘宝館ならこちらは要するに駿河台書房の「性の自由」シリーズ、……っていっても分かる人はいませんか。場違いな風景写真にエロっぽい恰好をした女性の姿をコラージュしたり、アカデミックな言説からは微妙に乖離したコ難しい説明を加えて妙チキリンなエロ知識が満載のキワモノ本なんですけどねえ。まあ、今フウにいうと、みうらじゅん氏がリスペクトするエロとでもいえば分かっていただけるでしょうか。
本作でも授精、受胎、妊娠、月經、そのほかもろもろ、エロ絡みの醫學ネタで物語を構成しつつ、脱力のオチで讀者を腑拔けにしてしまうセンスが爆発した怪作揃い。微妙にネタが再利用されているところがちょっとマイナスなんですけど、そのかわりにオチでひねりを加えたりと、寧ろ同じテーマを変奏していくことによって自らの十八番に昇華させてしまうというあたりは流石です。
あとがきで作者が自らの處女作と言及している「F氏の時計」は、F氏なる知り合から死亡通知を受け取り、その五日後にはそのF氏と知り合いの女友達二人の結婚通知が届いて、……といういかにもミステリっぽい出だしから、F氏のキ印な行動を私が語る、という話。とにかくこのF氏、時間の使い方に関して獨特のポリシーを持っておりまして、時計をいくつも持ち歩き、周囲の人間の迷惑など顧みずにマイペースで自らの時間理論に基づく行動を押し通すからたまらない。やがて勝手に結婚を決められたY子は腹をたて、その結婚通知に書かれている住所に私と一緒に行くのですが、何とそこは、……というオチが素敵過ぎます。
「F氏の時計」に駿河台書房系のエロテイストは皆無でありましたが、續く「かたつむり計画」から徐々に氏が自らの心の奥に溜めていたスカムエロが炸裂、時は戦争時代、性転換を引き起こす素晴らしい薬を発明した友達に頼まれて、その薬を發明者の彼に試してみることになった主人公。しかし私は友達にその薬を注射してみたものの、その研究成果を横取りしてしまうことを決意、その薬を日本の大和撫子に投與して戰場に投入してはと軍の司令部に進言します。
軍司令部はそれじゃあ、その薬を試してみようということになって、女を一人献体として連れてくるのですが、その薬を投入しても効果が出て来ない、実は、……という話。この薬にはある特徴があって、それが伏線となって最後のオチが決まるというものなんですけど、どうにも當事の作者はこういった醫學系エロに関心が高かったのか、このあとの「異臭の時代」も性をテーマに据えたキワモノ小説。
コールドスリープから覚醒した私は、百年後のこの世界には女しかいないことに気がつく。しかし女たちは皆、性に無關心で、おまけに体臭がひどい。それには実は理由があって、……という話。何だか醫學的科學的な知識が途中で滔々と述べられるのですけど、これが何とも。中盤に私は未来の女とセックスをしまくるのですけど、濃厚な駿河台書房系のエロテイストに眩暈がしてしまいます。
エロにあやしい団体を交えたナンセンスものも作者の得意とするところで、「不老保険」、「特別強精組合」、「急性心不全」がその系統。いずれもあやしい団体が老人とか中年の主人公に對して「うちの會員になっていたたければ性欲モリモリになって人生楽しくなりますよお」と胡散臭いトークでまるめこむ、しかしそれには裏があって、……という話。
当然、主人公も自分にアプローチしてくる団体が胡散臭いということは分かっていて、そんなにいいんだったら何でもっと大々的に賣らないのか、なんて至極まっとうな質問を投げかけるのですが、向こうのトークもまた巧みで、例えば「特別強精組合」の營業マンの説明というのはこんなかんじ。
ところが、殘念ながら、そうできない事情があるんですよ。第一に、影響が余りにも大きすぎるということです。誰も彼もが、これを使い出したら、大変なことになります。一時はやった漫画に「鼻血ブー」というのがありましたが、大げさにいうと、そのくらいの効果があるわけですよ。
中年老人でもセックスを満喫したい、女にはやはり強い男でありたいというオジサンの願望をテーマに据えたものばかりなのですか、このなかでは「急性心不全」が面白い。作者のこの系統のネタかと思わせておいて、実はミステリ的なオチで落とすという幕引きが洒落ています。もっともこれとても本作に収録されているから騙される譯であって、一編一編独立して讀んだら、寧ろ「不老保険」などのナンセンスにしてブラックなオチの方が愉しめるかもしれません。
「人脳培養事件」もミステリな趣向を交えて展開されるキワモノ小説で、培養した脳をほかの人間に移植するという実驗を行っているモテモテ博士の物語。彼の元で働くオールドミスの看護婦長がその実驗台になることを申し出て、博士はそれを実行に移すのですが、この人体実験が刑事事件に発展します。その取材を行うことになった女性記者が博士に突撃インタビューを行うものの、彼女はキ印博士の魅力にメロメロとなり二人は結婚、しかし博士の正体は、……という話。
「禁断の書」もナンセンスという點ではかなり突き拔けた短篇で、とある未亡人を訪ねていった主人公の語りで進むのですが、この未亡人、五年ぶりに會ってみればどうにも艶っぽく、「からだからにじみ出る色気が、六畳の居間全体に漂って、私を圧倒する」。
どうやら彼女は「最新経済学原論」という本を讀んでいて、彼女の話だと、この本を讀んでいるとどうにもタマラなくなってムラムラしてしまうという。その本に何か女性を発情させる秘密があると睨んだ私は、……という話。
性転換のほか、本作中でたびたび繰り返されるモチーフとして、授精、月經、妊娠ネタっていうのがあるんですけど、何故にかくも執拗に作者はこれにこだわってしまうのか、このあたりの偏執っぷりがキワモノマニアには堪りません。例えば「チタマゴチブサ」は冷凍睡眠から覚醒した男が、……って「異臭の時代」と同じなんですけど、主人公が目を覚ますと、そこは月經のなくなった女たちばかりの世界だった、という話。で、この女性達が月經を失ってしまった理由というのが、生理痛をなくすために催眠薬を使ったという説明がなされるんですけど、何故にここで催眠を、というかんじの強引さが素晴らしい。
また「奇妙な夫」と「同じ女たち」は授精、妊娠のモチーフをトンデモへと昇華させたこれまた怪作で、自分の子供はもしや妻の不貞の末に生まれたのでは、とか、妻は宇宙人に妊娠させられたのでは、とかの妄想を抱く知人がいて、その真相は、……という話。二つの話ともその真相というのは同じで、風合いも變わりはありません。ある意味、マンネリなんですけど、こうしてほかのキワモノ作品と並べられると寧ろ繰り返されるモチーフが重奏され共鳴しあうという編纂がいい。
最後の「金属音病事件」はもっともミステリ色が濃厚乍ら、ネタはやはりキワモノ。エロこそありませんが、キーンという音が頭の中に響き渡り、異樣な記憶力を発揮するようになったという病気の原因を探る主人公たち。ここに殺人事件が発生して、最後に犯人を告発する主人公はある「呪文」を犯人に囁くのだが、……という結末は正直微妙。後半に展開されるミステリ風味は本來であればいい方に転ぶ筈なのに、キワモノばかりの本作に収録されてしまったが為に、寧ろその眞面目に過ぎるミステリテイストが欠點に見えてしまうというところが何ともですよ。讀みながら「いつになったら駿河台書房系のエロが出てくるんですか。青木信光センセーッ!(意味不明)」とか心の中で叫んでしまいましたよ。
という譯で、昭和の時代のエロスの一斷面を象徴する濃厚さがマニアにはたまらない掘り出し物。個人的には戸川センセの秘宝館テイストの方がツボなんですけど、「医学カード」とかいう言葉に即反應してしまうような御仁にはタマラないスカムエロ満載の怪作集。作者は生首だの血まみれだのその系統のグロが嫌いという譯で、エログロナンセンスはダメなのかなと思っていたんですけど、エロとナンセンスは大好きだということが本作を讀んで分かりましたよ。
「推理日誌」の生眞面目な優等生ぶりからはイメージ出來ない、いわゆる「あなたの知らない」佐野洋御大の姿がここにある、というわけで、やはり作者が推理小説界の重鎭といえど、ふしぎ文学館のシリーズであることをビンビンに主張する本作、キワモノマニアにはやはりマストといえるのではないでしょうか。アウトドア系のエロはどうも苦手、「医学カード」のポエムにときめくネクラマニアにおすすめの一册です。