フリィセックス、パスポォト、ネパァル、ボォト。
いや、ふざけているんじゃなくて、本當にこんなふうに書いてあるんですよ。あんまりこんな表現が續くので、「あれ、これって徳大寺有恒が書いた小説じゃないよね」と思わずブックカバーを外して確認してしまいましたよ(嘘)。
舞台はかつて宗教團體の聖島だったという無人島。八人の男女。不倫関係にある男と女。物語は古風な探偵小説の樣式に從ってひとり減り二人減り、お互いが疑心暗鬼になっていくという展開は當に王道。ただこの語り手であるわたしの性格がどうにも鼻についてしまって、いまひとつ物語に没頭出來ませんでした。ただこれも作者の仕掛けたトリックであることが最後に分かってちょっと唖然。というか、犯人よりもその動機に驚きました。
何か全体が舞台芝居みたいなかんじで、登場人物のすべてが自分の役割を演じているみたいな無氣味な雰圍氣が漂っています。解説では鷹城宏が歌舞伎を引き合いに出して、この小説を論じているのを讀んでなるほどと納得しました。これは映畫ではなく、舞台芝居ですね。孤島という閉鎖された空間もまさに舞台向きだし、そうすれば語り手のわたしが鼻につくこともないし、物語の展開に没頭出來るかもと思いました。
ただ、犯人が最初の殺人で心臟を取り出した理由がいまひとつ分かりませんでしたよ。何故?
それともうひとつ。最初に擧げた通り、外來語のほとんどが例の調子で書いてあるんですけど、例外がいくつかあるんですよ。
カレー、ブーイング、オーバーオール。
何故、この三つだけ「ー」がついているのか実はそれが(個人的には)この物語における最大の謎だったりします。