事件といってもコロシや何やらといった大袈裟なものは皆無、リーマン社会において会社の論理に翻弄される社畜の悲哀を描いた作品、――では決してなく、やっていることはいつもの石持節という一冊で、個人的には石持的ヘンテコ・エロスがナッシングという風格は大いに不満ながら、「探偵」と操りの首謀者の立ち位置、さらには石持ミステリとしての盤石なロジックの扱い方など、なかなか堪能しました。
物語は、ジャケ帯にもさらっと書いてあるんですけど、入社七年目という中堅どころのリーマン君(社内恋愛中)が、奇怪な文書によってテンヤワンヤとなった會議室からカノジョのSOSを受信、コトの真相を突き止める「探偵」となって社内を驅けまわるという話。
ジャケ帯にはこの探偵役の主人公を「草食系サラリーマン」と書いているのですが、エロはないとはいえ、社内恋愛中のカノジョとはいいカンジみたいだし、エロの描写は皆無とはいえ、妙に二人の関係がいやらしく感じてしまうところはなかなかのもの。
とはいえ、ツッコミを入れられるほどのエロっぽい描写が皆無という作風は、ここ最近の石持氏の作品としては「この国。」に続き二作目。もったいないナ、と思いつつも、今回は會議中のプレゼン資料にまざっていた奇妙な報告書が引き起こす顛末を、誰が、何の目的で、というフウにフーダニットからホワイダニットまでをお偉いさん方が參集した會議においてワイガヤも交えて展開されるという結構ゆえ、エロを入れるのにはやや無理があるという指摘もその通り。
ただ、実をいうと、上に述べたフーダニットやホワイダニットについても、冒頭でシッカリとそれとおぼしき人物を明かしているとともに、間章などで、その人物がそうしたテロルを行うにいたった経緯についてもほのめかされているという結構ゆえ、提示された謎から明らかにされる真相が眼目でないことは明らかで、石持氏の狙いはむしろ十八番である精緻なロジックの流れをリーマンのプレゼンさながら鮮やかに活写してみせることに置かれています。
今回、そのロジックを転がすスパイスとして使われているのが、会社の論理というもので、これがある意味普遍的であり、またある意味舞台となる会社特有のものという二重性を帯たものとして作中で用いられているところが面白い。この二重性が、探偵役となる「草食系リーマン」であるボーイの行動とロジックにある種の紛れをもたらし、その紛れが「犯人」との攻防にも繋がっていく中盤以降の流れが秀逸です。
リーマンといえどそれぞれの立場があり、その立場なるものからその人間の心理を繙き、またその心理から引き起こされる行動を解き明かしていくロジックはいつもながらの石持節。探偵が恋人から手に入れたホンのささいな手がかりより社内の人間関係を分け入っていくという舞台劇的な展開を支えているのが、総務部と会議室を平行して描写する結構で、扉に閉ざされた会議室での出来事をロジックによって推理していくという趣向は「扉は閉ざされたまま」にも通じます。
探偵君の大活躍から「犯人」がワルとして失脚するというのが昭和的な展開だとすると、本作は平成の石持ミステリで、ここでは勧善懲悪といった主題もないし、かといって悪い人なんかいない、みたいな生ぬるい物語で幕となることもありません。ハッキリいってしまうと、「ヒラや中間管理職から見たらなー、無能な役員っていうのはウザいんだよ。てめえらのせいでこちとら毎日毎日クダらない余計な仕事もしなくちゃいけねーし、ハッキリいって死んでほしいね、アンタらデクノボーは」という恨み節というか、リーマンであればすべての人間が多かれ少なかれ抱いているであろう心の闇を物語の通奏低音とする一方、連載誌の読者への気配りも決して忘れない石持氏なりのサービス精神にも注目でしょうか。
本作が連載されていたのは、光文社のヤング向けファッション雑誌「Gainer」で、サイトを見ると、今月号の特集記事は「ボクらは肉食系 やっぱり女子が好き!」「どのコが気になる? 上品露出の夏のイイ女FILE」「キラ男(王子のように爽やかに) vs. ギラ男(騎士のように逞しく)夏のデートBATTLE」「(もちろん女子とがいいけれど)乾杯すればハッピーアワー We LOVE 酒!」。要するにオシャレして、上品露出のイイ女にモテまくって、うまい酒飲んで、リーマンとしての仕事はしたくねえけど楽ならそれで沒問題というヤングが夢見るようなハッピーエンディングが用意されているところは流石石持氏と抜かりない。
しかし果たして、おおよそ小説を読む趣味など持ち合わせていないゲイナー君がこの連載からロジックの愉悦を心底愉しんでいたのかは甚だ怪しいような気もするのですが、まあそこはそれ。これをきっかけに「へえ、何かよく判らねえけど、ミステリって知的ジャン。そういや秘書課のあの娘が好きだって言っていた森博嗣とかいうのもミステリー作家だっていう話だし、今度のコンパではこの石持浅海とかいう作家の本の、タイトルだけでも憶えとこうっと。で、カノジョに「俺も最近ミステリにハマっちゃってさ。ほら、石持浅海っての。俺的には『君がいなくても平気』と『耳をふさいで夜を走る』が断然オススメかな」なんて……大いなる勘違いをしたゲイナー君が大増殖してくれることを期待したいと思います。
エロはナシながら、犯人や動機が丸わかりでも構図をあぶり出すロジックの愉悦は構築可能ということを指し示した本作、ロジック嗜好の石持ファンであればまず安心して愉しむことができるのではないでしょうか。