あやかしの演劇世界。
第一回「幽」怪談文学賞長編部門において優秀賞を受賞した本作、黒史郎氏の「夜は一緒に散歩しよ」が現代ホラーの風格も添えた極上のエンタメ作品であったのに對して、こちらは何とも面妖な物語で、東氏の選評に曰く「本朝怪談文芸の一頂点を極めた泉鏡花作品の骨法を、現代的な器の中に活かすという壮図に挑み、注目すべき達成ぶりを示した逸品」とのこと。
泉鏡花の骨法に明るくない自分としては、正直中盤までの何ともいいようのないノリにかなり戸惑ってしまったのですけど、後半に至っても一大スペクタクル的な展開には決して転ばず、静的な風景を維持したまま物語を収束させ、最後の幕引きですべての繪を「語り」の中へとはめ込んでしまう手法は秀逸で、獨特の余韻を残します。
しかし物語のあらすじを述べるのがかなり難しい一編でありまして、主人公はチラシ配りのバイトをしているダメ男君。彼はバイト先で知り合った娘にホの字ながら、その彼女の顔が自分の妹にクリソツに見えた或る日、七面坂の墓場で綾羽と名乗る着物姿の美人に出逢う。花屋の婆の話によると、どうやらその娘というのが、五重の塔を燃やして心中した仕立て屋の若奥さんの幽霊らしい。で、そのあとは色々とあって、ダメ男はのぞきのプロに弟子入りして再び件の墓場へと赴くのだが、……という話。
一応、物語のキモである心中した若奥さんの幽霊をネタにざっと話を筋を纏めたみたものの、實をいえばこの女の幽霊の眞相も定まらず、物語は基本的にダメ男を視點にした三人稱で進むものの、どうにもこの男のハッキリしない主観を地の文でトレースしているかのようにとりとめがない。
そのほかにも様々な脇役が現れては消えていくエピソードが語られ、物語は話の筋を一點に定めることなく、様々な逸話を繰り出していきながら虚実の境界を曖昧にしていくかたちで進みます。
で、泉鏡花の印象が薄い自分が、本作を讀んでいる間に感じていた印象はというと、寺山修司の演劇とか、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」とか、或いは安部公房の小説――といっても、「他人の顔」とか「燃えつきた地図」とか物語の結構が明確な作品よりは「密会」とかの風格に近いというか。
ミステリばかりを讀んでいる自分のような本讀みだと、こういう作品に接した場合にもついつい幽霊という怪異の「眞相」を求めて話の筋を追ってしまったりするものですけども、本作ではこういう讀み方は極力控えて、作者の筆によるあやかしの静的世界を堪能するのが吉、でしょう。
ミステリ讀みには黒史郎氏の「夜は一緒に散歩しよ」の方がオススメなのですけど、現代ホラーとかミステリとかそういった分野の技巧を極力排除し、「語り」の呪力のみによって本作のような「噺」をつくりあげたということにまず驚いてしまいました。
讀んでいる間に感じられる、どうにもとりとめのない不可思議な浮遊感と、この語りによって描かれる世界の枠組みが明かされる幕引きなど、讀んだ直後はあまりパッとしないのですけど、後からじわりじわりと効いてくる作品、でしょうか。
モノトーンの素晴らしいジャケと、作中の印象的なワンシーンを思わせる表紙の見開きに描かれた繪の雰圍氣も秀逸で、さらにはこれまた1260円という値付けからお買い得感も上々の一冊、個人的な好みは「夜は一緒に散歩しよ」ながら、本作の「語り」にも捨てがたい魅力があると思います。