前回の續きです。午後の周年會が始まる前に来賓を招いての昼食會があったのですが、この時に余心樂氏と台湾ミステリの將來や氏が構想している次回作についてなど、色々なお話をうかがうことが出來たので、まずはそのあたりを記しておきたいと思います。
話をしてみてやはり興味深いと思ったのは、余氏のそのユニークな立ち位置で、まず台湾人でありながらヨーロッパの一國であるスイスから台湾のミステリを眺めているというところです。
外から台湾ミステリの現状を見ているという點では、日本という台湾の外にいながら台湾ミステリの現状を見ている自分もまた余氏と同じともいえるのですけど、余氏の場合、台湾人であるところへさらに華人という視點も加わっているところが独特で、さらにスイス在住というところからヨーロッパのミステリ界からの視點も添えて、台湾ミステリの現状を考察しているところが印象的。
台湾人作家である余氏は、台湾ミステリという内側から見れば正に台湾ミステリ界を牽引している當事者でもある一方、スイスというヨーロッパ圏、つまり外側から台湾ミステリを眺める視點も持っているという點で、今後台湾ミステリが世界的な展開を行っていく上でも重要な役割を果たすのではないかと思いました。
またもう一つ、これは「有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー」に収録された「生死線上」において、主人公である探偵がヨーロッパにいながら天安門事件の現実に憤りを感じるところにも表れている通り、華人という視點が氏の台湾ミステリに關する考え方やその作品を評価する上での重要な鍵となるような氣がします。
そのあたりの相違を理解しつつ、まず自分は現在の台湾ミステリが持っている個性と「本土化」という點について話を向け、「一部では台湾ミステリには台湾としての個性が見られないという意見もあるようだけども、日本のミステリと比較すると十分に個性的である」という話をし、その一例として哲儀氏の「染血的歩槍」を挙げてみました。
「染血的歩槍」は以前このブログでも取り上げた通り、規律の厳しい軍隊の中で呪いの拳銃という怪異も交えて事件が発生するという結構でありますが、まず日本では自衛隊を物語の舞台に据えても、そこには怪異が事件の背景となるような作品は生まれ得ないのではないだろうか、と。
では何故台湾において「染血的歩槍」のような得意な作品が生まれたのかということを考えみると、そこには台湾における兵役制度が大きく影響しているように自分には思える。兵役義務は成人する前、つまり日常の中に怪異は存在すると漠然と乍らも信じている多感な時期に行われる譯で、この成人以前の兵役体驗が、怪異を軍隊という厳格な規律社會の中に現出させるような、興味深い作品を生む背景にあるのではないだろうか。
これがもし成人してから初めて軍隊の規律を経験することになる日本の自衛隊を舞台にするのであれば、怪異はこのような形で作中に現れることはないのでは、――なんて話をしてみました。
一方の余氏はヨーロッパのミステリファンに台湾の作品をアピールしていくには、やはりディテールやテーマにおいて台湾らしいものを描くことが必要だといいます。陳嘉振氏の「布袋戲殺人事件」はその意味で非常に台湾らしいといえる作品である譯ですけども、余氏いわく、もう少し強烈なイメージを喚起するものが必要とのことで、氏がここで挙げてみせたのが「檳榔西施」(爆)。
まア、檳榔西施って何よ、という方はググってみると色々と出てくると思うので詳しくはそちらを参照してもらうとして、簡單にいってしまうと、檳榔西施とは、ガラス張りの小部屋の中でキャミソールや下着かと見紛うかのようなエロい格好をして檳榔を賣っている小姐のことでありまして、余氏によるとこの檳榔西施、ヨーロッパでは雑誌の記事にもなっているほどの台湾「名物」であるとのこと。
この檳榔西施をネタにしてミステリを書けば、ヨーロッパのミステリファンはイチコロ、みたいなかんじで熱っぽく語る余氏に、ボンクラの自分などはタジタジとなってしまったのですけど、ここで見逃せないのが余氏の、ヨーロッパ人の趣味嗜好を交えた視點でありまして、いくらミステリとしての技巧や技法が優れていようとも、まずは物語のツカミの部分をシッカリとしておかないと、向こうの人間は見向きもしてくれない。
奇しくも、この時に権田先生からいただいた「ミステリー文学資料館ニュース」には夏樹静子氏と大沢在昌氏の話が掲載されていまして、そこでは夏樹氏の「Wの悲劇」がハードカバーでニューヨークのセント・マーチンズ・プレスから出版された際に、そのタイトルを「murder at Mt.Fuji」と改題されてしまったいきさつが語られていたり、あるいはドイツ語版「新宿鮫」のジャケが般若面と能面だったりして成る程、欧米から見たらやはり日本といえばフジヤマゲイシャなんだろうなア、と思いつつ、結局欧米で本を賣ることを考えたらこういうツカミの部分も決して疎かには出來ない、ということなのでしょう。
これは「布袋戲殺人事件」を取り上げた時にも書いたことなのですけども、台湾ミステリでは、日本から見たらやはり特異な社会背景をさらりとミステリの仕掛けに織り交ぜてしまう作品が多く、自分は寵物先生の「名為殺意的觀察報告」などはその典型だと思うし、上に述べた哲儀氏の軍隊もののシリーズもまた、そういった作品として評價出來るのではないか、と思うのですが如何でしょう。
檳榔西施に關しては周年會の後の晩餐でも、今回「第九種結局」で入選した秀霖氏に余氏が「援交少女をネタにしたミステリを書いたんだから(「第九種結局」のこと)、檳榔西施でミステリを書いてもらうのは秀霖で決まりだな」みたいなツッコミを入れたりと、なかなか盛り上がりました。
それと余氏は、「有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー」に収録された「生死線上」には實はあまり満足していなくて、自信作はほかにもある、みたいな話も聞きました。さらに次回作の構想もうかがったのですけどこれが大河小説のような巨編で期待も大、リリースされた時には是非ともこのブログで紹介したいと思います。
昼食の時に島崎御大とした話の中で印象的だったのは、やはり近々訪台される島田氏の「本格ミステリー論」と氏が考えておられるミステリー観の違いでしょうか。また話は台湾の出版事情にまで及び、色々と考えさせられるところも多かったのですけど、特に現在台湾において飜譯されている日本のミステリはすでに評価の定まった傑作ばかりで、台湾ミステリはそれらの傑作群と比較されることになるという指摘は重く、確実に讀者を・拙むことの出來る日本のミステリなどに比較するとその點でも台湾ミステリはかなり不利、という現實はシッカリと頭に入れておく必要があるのでしょう。
このあたりは、現在の飜譯作品はアメリカで一定の評価を得たものばかりだという、座談會で余氏が指摘していた内容にも通じます。本土化という言葉をもって台湾ミステリを飜譯ミステリとは劃して評価を行うべきという意見も聞きますが、そもそも現在の台湾ミステリがその技巧と技術の面から正当に評価されていないというのが自分の意見でありまして、日本からやってきたボンクラのプチブロガーはこのあたりを今回の座談會で、日本の作品と台湾の作品を取り上げつつネチっこく分析をしてみせたのですけど、これについては次のエントリに纏めてみたいと思います。
また権田先生とは「容疑者X問題」では何が「問題」だったのかという話題でひとしきり盛り上がったり、クイーンの国名シリーズの評価や正史の「本陣殺人事件」の物語背景の話などで意見をうかがうことが出來たことも、台湾ミステリの「本土化」を考えていく上で大變勉強になりましたよ。
さらに島田氏の「本格ミステリー論」の絡みで、「幻影城」時代に泡坂氏がシゴかれていた頃の回想を島崎御大から直接うかがうことが出來たりと、大御所の御二人を前にボンクラの自分は緊張しまくりでありました(汗)。次回は、座談會で取り上げられた台湾ミステリと日本のミステリの比較分析について纏めてみる予定です。という譯で、以下次號。