「小説新潮」に掲載された短編ということでその技巧こそ地味乍ら、本格ミステリの趣向によって人生の機微を描き出した味わい深い作品がテンコモリ。作者の貫井氏が自信作というだけの出來映えで、堪能しました。
収録作は、幼なじみとの邂逅が幼少時代に遭遇した不可能犯罪の眞相を暴き立てる「ミハスの落日」、ビデオ店員のムッツリ野郎が美女コロシに巻きこまれる「ストックホルムの埋み火」、旦那の不審死に保険金殺人も絡めて意想外な犯人が炙り出される「サンフランシスコの深い闇」、ジャカルタの切り裂きジャック事件に異樣な動機の凝らしが光る「ジャカルタの黎明」、ヤク中の旦那探しを頼まれたガイド男の奈落を描いた「カイロの残照」の全五編。
この中でもっともツボだったのが表題作にもなっている「ミハスの落日」で、作者の貫井氏があとがきに曰く、「後期クイーン問題」をテーマに描かれた作品とのこと。クイーンを引き合いに出さなくとも、「神の二つの貌」や「殺人症候群」にも共通すると思しき主題の提示にまずぐッときてしまいます。
物語は、面識もない大企業のドンから是非とも會いたいといわれた主人公が、ミハスにいるこの人物を訪ねていくのだけども、どうやらドンは主人公の母親と知り合いだった樣子。何でもこの男は彼の母親にトンデモなく酷いことをしてしまったというのだが、果たしてその内容とは、……という話。
主人公が男を訪ねていくシーンは、この人物と主人公の母親との關係が明かされたあと、すぐさまドンの回想場面へと轉じるのですけど、ここで語られる内容というのが幼少時代に事故ということでカタがついたと思しき密室殺人。幼なじみとの邂逅によってこの密室でのコロシの眞相がドンの推理によって明かされて物語が終わるのかと思いきや、場面は再び主人公である人物の視點に回歸して、その事件の更に奥にあった「眞相」が明らかにされるという構成が秀逸です。
密室殺人事件の眞相は相當にトンデモで、貫井氏もあとがきで述べている通り當に苦笑するしかないような代物なのですけど、しかしそのトンデモは神や裁きに絡めた主題と連關することによって、極上の人間ドラマへと轉じるところが心憎い。さらにミステリとしての本當の仕掛けはこの密室殺人事件の真相の外枠にあり、それが事件のド真ん中にいたドンの視點から外に出た瞬間、讀者の前へ開示されるという構成の素晴らしさ。
技巧を凝らした結構乍ら、ドンと、彼の幼なじみでもあった女性とその息子という三人の人間ドラマを交錯させることによって、密室殺人事件というベタ過ぎるガジェットを扱いながらもそれらが目立ち過ぎない風格も素敵です。傑作でしょう。
いかにも貫井氏らしいどんでん返しを堪能出來るのが「ストックホルムの埋み火」で、既に古典的ともいえるネタながら、ビデオ店員のムッツリ野郎が客としてやってきた美人をストーキング、というこれまたベタ過ぎる物語の展開にそれらの仕掛けの存在を忘れてしまいます。
このムッツリ野郎のもてなさぶりも見所のひとつで、八方美人の客女にベタ惚れした擧げ句に、彼女も俺っチのことを好きに違いないという勘違いからストーカーへと轉じていくリアルっぷりが堪りません。
しかし彼女にはチャンとした彼氏がいることを知るに至り、愛情が憎悪へと變わるや女を殺してやると美女の自宅を來襲するが、何と彼女は御臨終の状態でお出迎え。倒叙形式で進んでいた物語はここから奇妙な捻れを見せていき、後半は警察の視點とゲス野郎の場面とが併行して進みます。最後に明かされる連城チックな眞相も素晴らしく、ベタなトリックながらこれまたゲス野郎のアレっぷりに奇天烈な仕掛けが妙にマッチしているところにも注目でしょう。
「サンフランシスコの深い闇」は、前の旦那も、その前の旦那も不審死を遂げているという美人妻の、これまた三人目の旦那が御臨終という保険金殺人をネタにして、この奥方はどうやって事故死に見せてコロシを遂げたのかという謎をチラつかせつつ、最後はハウダニットからは外れたところで讀者を驚かせてくれる逸品です。
實を言えばこの眞相は予想出來たものの、保険金殺人というネタから想起するハウダニットに讀者の意識を向けさせる物語の展開が見事で、「ミハスの落日」のようなやや凝った構造とは異なる直線的な展開でこのミスディレクションを効かせているところが洒落ています。これは眞相に驚くというよりは、その技巧を堪能するべき一編でしょう。
「ジャカルタの黎明」も、そういう意味では「ミハスの落日」や「サンフランシスコの深い闇」と似た技巧を感じさせる一編で、こちらは切り裂きジャックが徘徊する娼婦街で、主人公の旦那が殺されてしまいます。果たして浮氣旦那を殺したのは元妻に違いない、と無茶苦茶な理由で警察に犯人認定されてしまった彼女は、……という話。
中盤以降は浮氣旦那のコロシの謎が物語を牽引していくものの、これについては呆気ない幕引きを迎えてしまうのですが、しかしこの作品の仕掛けはこの後に待っていて、……という構成です。
作中の「本當の謎」を隱蔽する為の技法が見事で、このあたりに他収録作と共通する技巧の妙を探ってみるのもまた愉しく、個人的にはこの異樣な動機はかなりツボでした。
最後の「カイロの残照」は収録作中、もっとも苦い一編で、アメリカからやってきた美女のガイドがトンデモない事態を巻きこまれてしまうというお話。何でもこのメリケン娘の彼氏はヤク中で行方不明、しかし手掛かりはカイロにあり、という譯で、ガイドの現地男は彼女と一緒に失踪旦那を行方を探すことになるのだが、……。
シツコイくらいに繰り返されるある事柄に、何かあるだろうと思いつつ讀み進めていくものの、最後に開陳される操りネタが、人生の奈落を引き起こす幕引きも含めて心に残る一編です。
ミステリの技巧によって人間ドラマを描き出す風格が見事で、非常に味わい深い短編を取りそろえた一册。最近は貫井氏の小説から離れていたのですけど、本作をきっかけにまた最近の作品を讀んでみようかと思った次第です。