犯人當てに焦点を絞った短編集。自分は「ミステリーズ!」は讀んでいないので初讀の作品ばかりで、……といいたいところなのだけども、まず冒頭の泡坂妻夫の「蚊取湖殺人事件」は既に光文社文庫で讀んだものだし、更に小林泰三の「大きな森の小さな密室」は既に「本格ミステリ05 2005年本格短編ベスト・セレクション」に掲載されていたものという譯で、実質初讀のものは七作中五作だけ。それで單行本1600円。お買い得感はないですねえ。
さらに各の作品は何しろ犯人當て小説ですから、正直に告白すると、何というか小説としての重み、深みがなくて少しばかり物足りなかったですよ。あらすじを述べてしまうと犯人當ての趣向がそがれてしまうやもしれませんので、敢えて今回は個人的な感想だけに留めておきます。
「蚊取湖殺人事件」泡坂妻夫
本作をはじめとして全ての作品に共通しているのはそれぞれの作者の、個性的なユーモアが活きているというところでしょうか。
伏線に至る文章をさりげなく文中に忍ばせておくのが得意な泡坂氏の作品らしく、本作も或るシーンで手掛かりともいえる内容をさらりと書いています。自分はタチマチ軟膏だのミルミル軟膏だのというくだらない言葉に注意がいってしまってまったく氣がつきませんでしたよ。
トリック、というか仕掛けは本當にありふれたもの乍ら、この伏線に氣がついていれば容易に解答に至ることが出來るでしょう。ただ他の泡坂氏の作品に比較すると、圖拔けて凄い短篇という譯でもないですねえ。
一定水準は満たしていますけど、亜愛一郎シリーズなどにはあっと驚くような短篇もたくさんある譯で。もっとも犯人當て小説だと誰が書いてもこんなかんじになってしまうのでしょうか。
「お弁当ぐるぐる」西澤保彦
いかにも人を喰ったタイトル通り、これまた作者らしいユーモアが光る一編。刑事の妄想が愉しい。被害者が妻のつくった辨當を食べていないのに、その辨當の中身が消えていたのは何故か、というところから犯人を指摘していくのですけど、この眞相に至るにはちょっと伏線が少ないような。そんな譯で今ひとつ騙された、という悔しさもないですねえ。
「大きな森の小さな密室」小林泰三
「本格ミステリ05 2005年本格短編ベスト・セレクション」のところでレビュー濟み。
「ヘリオスの神像」麻耶 雄嵩
実は本書のなかで一番光っていたのがこの作品。提示された手掛かりから消去法によって犯人を絞り込んでいく論理が素晴らしい。
本作の七編いずれも解答編が短く、探偵の推理で展開される謎解きの方を寧ろ愉しみにしている自分としては物足りなかったのですけど、本作ではこの論理の過程が非常にうまく纏められているのですよ。
犯行現場の奇妙な點をさながらドミノ倒しにように解き明かしていく推理が見事。七作の中では頭ひとつ圖拔けています。
「ゼウスの息子たち」法月 綸太郎
直球勝負の仕掛けですねえ。冒頭のギリシャ神話の解説が騙しになっているのですけど、捻くれた視點で見ると伏線は見當たらないものの、意外と容易にこの仕掛けは分かるのではないでしょうか。というか、問題篇の最後、法月があるものを見て驚くシーンで、たいていの人はこの眞相を見拔いてしまうのでは。
プロローグのギリシャ神話の講説から、事件が発生するまでの舞台装置を揃えるまでの過程がうまく展開していて、この七作の中では一番小説らしい。犯人當て小説として見れば他の作品には劣るのかもしれませんが、ミステリ小説としては非常にうまく纏められていて、嫌いじゃないです。
「讀者よ欺かれておくれ」芦辺拓
見事に欺かれました。というか、芦辺氏、ズル過ぎ。勿論こういうのは大好きですけど!仕掛けは分かっているのに犯人は當てられないというものの典型。だってこの騙しに氣がつかないと解けないのですから。好みでいえば、本作のなかでは一番いい。自分好みです。
芦辺氏にしてみれば、鮎川哲也氏の短篇のアレの名前を出しているし、そもそもこの作品を知る讀者としてはこういう仕掛けを疑ってかかるべきだったのでしょうけど。おまけに最後になって名前のアレまでこの作品をリスペクトしている辺り、ニヤリとさせられます。
裸に仮面をつけて殺されていた死体の消失、そして密室といくつかの謎がありますが、実はすべて單純な仕掛けで見破るのもそれほど難しくはありません。しかし上にも書いたようにこの意地惡な仕掛けが分からない限り絶對に解答に辿り着けないという作品でして。そういえば本作がリスペクトしている作品もまったく同じ理由で自分は分からなかったことを思い出しましたよ。
綺麗に騙されたのですけど、ちょっと鮎川御大の影響が強すぎ、というか、リスペクトしすぎでしょうか。
「左手でバーベキュー」霞流一
珍しくハジけていない霞流一氏の作品。もっともっとキャラがハジけているかと思いきや、謎解きに至る過程も綺麗だし、論理という點では、「ヘリオスの神像」に繼ぐ美しさ。これも嫌いではないです。
左手が切断され、死体発見現場から離れたバーベキュー場で焼かれていたのは何故か、というところがキモなんですけど、この理由がシッカリと説明されているところと、何より或る一つの手掛かりに氣がつけばアッサリと犯人が分かってしまう單純さがいい。
という譯で、完成度という點では「ヘリオスの神像」が一番。次に「左手でバーベキュー」でしょうか。個人的な好みでは「讀者よ欺かれておくれ」「ヘリオスの神像」というかんじです。
「ヘリオスの神像」は一讀の價値ありといえるのですが、他の作品はちょっと微妙、です。芦辺氏の作品は芦辺氏らしくない仕掛けがちょっとレアものっぽくていい。
それと本作なのですが、問題編が一通り書かれたあと、卷末に解答編が掲載されているという構成なのですが、何だか受験參考書みたいでちょっとアレですよ。
犯人當て小説ですから、短い枚數で些か驅け足氣味に物語を転がさなければいけない故、全編に小説としての深みが足りないのが自分的には手放しで本作をおすすめ出來ない理由でして。まあ、本作の趣旨を考えればないものねだりということは分かっているのですけどねえ。
ミステリを謎解きパズルと割り切って愉しめる、坂口安吾のごとき原理主義の方にはおすすめしたい作品。自分のように何よりも物語を愉しみたいという人はやめといた方が良いかもしれません。繰り返しになりますが、それでも麻耶雄嵩の作品は一讀の價値あり。