これは凄い。
いや、何が凄いって、この作品が「本格ミステリ」として、それもハヤカワ・ミステリワールドの一シリーズとしてリリースされたってことがですよ。
正直、本作をレビューするかどうか非常に迷ったのです。というのも、このブログでは基本的に自分が良いと思った物語だけを取り上げて、駄作だと自分が判定したものは敢えてレビューしない、という趣旨でやっているので。それでも敢えてその駄作を取り上げるとすれば何か相當の理由がなければいけません。
前回取り上げた「鬼に捧げる夜想曲」も自分としては許せない作品だったのですけど、あれは鮎川哲也賞にあるまじき作品と判断したがゆえに、敢えて晒しものとして取り上げた譯です。
で、本作はどうか。
まず本格ミステリとしては明らかに落第です。そしてミステリとしても、かなりマズい部類に入ると思います。つまり、この本を本格ミステリとして、ミステリワールドシリーズの一册としてリリースした早川書房に猛省を促すべく、今回はここで晒しものにしておこうと、こういう次第です。
実は自分はこの本を手に入れてから、まだ手をつける前に、「不壊の槍は折られましたが、何か?」のWandererさんのレビューを讀んでしまいまして、……うわぁ、これはマズいものを買ってしまったと。しかし後悔しようにも、1800円のブツですから投げ出す譯にもいきません。
昨日讀了した三浦しをんの「白いへび眠る島」の素晴らしい餘韻がまだ殘っているうちに、思い切って讀んでやろうと本日朝より讀み始めたのですが、……
……とにかく話が進まない、のです。
舞台はヴィクトリア朝のロンドンで、金がないために下宿を追い出されてしまった日本人の藤十郎が、「十二人の道化クラブ」という奇妙な上流貴族の倶楽部に発生した怪事件の調査を押しつけられる。彼はクラブに關係した人物を調査を始めるのですが、そこで起こった連続殺人と魔女の呪いの関連はいかに、……というようなあらすじなのですけど、まずこの藤十郎というのが、探偵の才覺もまったくない輩で、殺人事件の調査においても、まるっきり探偵としての役割を果たしていないのです。
殺人事件が起きれば、當然その現場、アリバイなどが「本格ミステリの世界」では焦点になってくる筈なんですけど、本作ではそんなものはそっちのけで、探偵は事件の本筋とは關係なさそうに思える魔女の呪いに拘泥します。
はては事件の關係者への聞きこみも怠惰を極めていて、やれ誰が彼を憎んでいるだの、そんなことを聞くためにロンドンの街をだらだらと歩きまくる。さらには決まって誰かと誰かが話しているのを盗み聞きしている合間に、事件の關係者たちの裏の關係やら動機やらの絲口をつかむというセコさで、まったくイヤになります。
まあ、だからといって探偵藤十郎を責める譯にもいきません。何しろ、彼はトラファルガー広場で溜息をついているところを倶楽部の連中に見つかってスカウトされただけなんですから、既にここからして本作を古典ミステリ的な「探偵小説」として讀むのは不可能、という譯ですよ。
終盤になって、この藤十郎の主人である鷲見新平が登場するのですが、彼が眞の探偵として事件を暴くのかと思いきやそんなこともなく、最後は陳腐なドタバタ劇を皆で演じてジ・エンド、……ってこれが「英国本格ミステリ4大女王の遺伝子を受けた」ミステリですか、本當に。
もうひとつ触れておきたいのが、この倶楽部と藤十郎の間には「尋問の權利」という面白いルールがありまして、藤十郎には倶楽部の会員にどんなことでも質問できる權利が与えられています。
もっともその權利というのも、ひとり相手に三つまでで、相手はその質問を拒絶したり、嘘をついたりすることは出來ない、というものでして、こういった面白い仕掛けがありながら、この作中ではこれがまったく活かされていない。
藤十郎がこの權利を使って行った尋問というのが、「ドットーレの殺人予告で『魔女』という言葉を目にしたとき、あなたは何を連想しましたか?」とか「カーター博士とウォルポール女史とは……特別に親しい間柄なのでしょうか」とかぬるい質問ばかり、これではこの「尋問の權利」という設定じたい意味がありませんよ。
さてこれが氷川センセあたりだったら、こういう面白い仕掛けをどう料理したでしょうか。おそらく論理パズル本なんかにあるようなかんじの、問い自体に仕掛けがあって、その問いの答えを論理的に解いていくことがそのまま犯行を炙り出してしまう、みたいな設定にして、探偵がどのような質問をするか、そしてその質問に答える容疑者との激しい攻防を例のネチネチした筆致で描いて後半の物語を盛り上げてくれたことでしょう。
本作でも後半十三章、道化クラブ面々が參集する場面で、藤十郎とクラブの人間たちがこの權利を用いて凄まじい頭腦戰を繰り廣げる、みたいな展開にすることだって出來た筈です。しかしこのあと、すぐに物語は陳腐なドタバタ劇に移行して、このような本格ミステリでの醍醐味を堪能することも出來ずに、本作は終わってしまいます。
思うに本作、作者は「本格ミステリ」なんて書くつもりはなかったんだと思います。作者が書いているヤング・アダルト小説のファンだったら愉しめるのかもしれません。
しかし本作はハヤカワミステリワールドの一册として、それもかなり大仰な煽り文句とともに、「本格ミステリ」としてリリースされたものな譯で、だったら當然「本格ミステリとしてはどうなのか」という點から評價されなければいけません、というかしてしまいますよ、こっちは。だって自分は本格ミステリを讀みたくて本作を買ったんですから。
まずジャケ帶の煽り文句が凄いんですよ。
クリスティー、セイヤーズ、マーシュ、アリンガム—-英国本格ミステリの遺伝子を受けた期待の新鋭による歴史ミステリの精華
さらにジャケ裏にも。
本書は、これまでヤング・アダルトの分野で活躍していた著者が、初めて大人向けに書いたミステリだ。著者の意気込みを表すように、密室殺人、ダイイング・メッセージ、催眠暗示、変装、呪われた血脈、降霊会、稀覯本、拷問部屋、黒ミサ、殺人鬼の手記といった、本格クラシック・ミステリ・ファンなら誰でも狂喜せずにはいられないミステリ・ガジェットに充ちている。また『十二人の道化クラブ』の個性溢れる会員たちによる、生首ケーキや仕掛け付き棺桶作りといったブラックな惡戲の數々、幼い恋に呪縛された藤十郎の成長なども大きな魅力だ。これを読まねば、今年のミステリは語れない!
こんな煽り文句つけた本が何処の本屋に行っても平積みになっているんですよ。「これを読まねば、今年のミステリは語れない!」なんて書いてあるものですから、ブログで「ミステリを語」っている自分みたいな人間はもう、買わなきゃ駄目ってものでしょう?
だいたいです、「ミステリ・ガジェットに充ちている」なんて煽り文句がついている作品にロクなものはない、というのはほぼ定説になりつつあると思うんですけど如何。
そういえば島田御大も「鬼に捧げる夜想曲」の選評で、「新本格作風が持つ条件網羅発想の、いわば極限的達成というようなところがあり」って書いていましたっけ。これと上のミステリ・ガジェット云々という台詞はほぼ同義と考えて良いでしょう。
本作における密室殺人だの、ダイイング・メッセージだのという台詞も、要するに、ウェス・クレイヴン監督の映畫「サランドラ」における「ジョギリ」と同じものだと思っていただければ宜しい。要するに本作はミステリとして見た場合、そういう作品なんですよ。
ミステリとしてではなく、あくまで一册の、普通の小説として見た場合の評價なんですけど、……これは何ともいえません。bk1で作者の名前を検索してみると、ヤング・アダルトの分野ではかなりの作品をリリースしている方のようなので、自分としてはこちらの方面の方のレビューを是非とも讀んでみたいところです。
ただ個人的感想を述べさせてもらえれば、この主人公の藤十郎の性格づけがどうにもいただけない。この男、何かあるといちいち過去に自分が好きだった珠紀という女性との回想シーンに入ってしまうのですが、これが何だか安いメロドラマみたいでいかにも陳腐。
これだけではなくて、すべてにおいて文章が冗長でもどかしいのです。もう少し簡潔な文体で纏めてくれれば良かったのにと思うのですがどうでしょう。或いは重厚さを持った小説世界を構築したいというのであれば、こういう安い登場人物を出していては臺無しです。このあたりは佐藤亜紀あたりを見習ってもらいたいものですよ。寧ろ物語の展開をもう少しユーモアのほうに振ったほうが作者の風格が活きると思います。
それともうひとつ(嗚呼、とにかく書きたいこと、というかいいたいことがたくさんある物語だ!)。作中では、たびたび切り裂きジャックについての言及があるのですが、結局これも物語の本筋や事件にかかわることなく終わってしまい、何だか肩すかしを食らってしまいましたよ。それだったら魔女考だけに焦点を絞って物語を進めていけば良いのに、と思いました。
あらゆることが安く、冗長、陳腐。久しぶりに「讀むことの苦痛」というものを味わわせていただきました。
ミステリとして見た場合、本作は「黒い仏」以上の劇藥といっておきましょう。これ讀んだら暫くミステリが讀めなくなること受け合いです。自分も明日はミステリは讀みたくありません、というか暫く本が讀めなくなってしまったというWandererさんの氣持が痛いほど分かりましたよ。
ジャケ帶の煽り文句を書いたのは早川の人間だと思うのですが、名前を教えてください。そして今後、早川の本には著者、發行者、發行所とともに編集者の名前も掲載してもらえればと思います。本作と同じ編集者の人の本だった場合、自分は買いませんから。というか、今後ハヤカワミステリワールドでリリースされた新作で、新人の作品は買いません。もう懲り懲り。
ミステリ、本格ミステリ、本格クラシック・ミステリを愛するものであれば、絶對に手を出してはいけない超劇藥。ただヤング・アダルト分野での作者の小説がお氣に入りの人だったら手に取るのも吉かもしれません。以上。