甘美な狂氣。
迷宮、幻妖、伝奇と全三卷からなる皆川博子の傑作選、今回は千街氏の手になるミステリー篇となる「迷宮」を取り上げてみたいと思います。
何というか、綾辻センセがリスペクトするだけあって、記憶の闇から甦る犯罪とか自己同一性の崩壞が織りなす靜かな狂氣など、怪奇幻想小説が好きな人間には堪らない作品が目白押。ただ千街氏もいっている通り、収録されている短篇のいずれも讀後感はずっしりと重く、夜を徹してのイッキ讀みはかなり危険。実際、朝からずうっとこの一册にかかりきりだったのですが、正直讀み終えた今は頭がボーッとしていますよ。
さて本作の構成としては、前半は歪んだ人間關係が最後に悲劇的な結末をもたらすサスペンス風の重厚な作品を、そして後半に進むにつれて「聖女の島」を髣髴とさせる靜かな狂氣が全編に漂う幻想ミステリが収められています。
美しい文体からたちのぼる香氣は獨特で、そこに悪魔主義的なダウナーな結末が待ち受けているところが作者の素晴らしい個性でありまして、例えば冒頭の「漕げよマイケル」はノッケから「友人を殺害する。それは、どんなにか恐ろしいことだろうと思っていた」という強烈な一文が素敵です。
進學校で成績も良い主人公が友人を毒殺する場面から始まる本作は、倒叙形式で話が進むのですが、主人公の鬱屈とした心の闇にさりげなく言及しつつ、最後には犯罪を知った小惡党も殺害するに到り、……と悪魔主義が炸裂する幕引きが何ともいえません。
「蜜の犬」は格闘技マニアの変態男がかなり強烈。さらには頭の足りない狂女やロクデナシの男どもに輪姦されてしまう少女など、役者も筋運びもまた最惡です。とにかく気が滅入るような展開に眩暈がしてしまうほどで、変態男の心の闇につけ込んで復讐を成就する少女も怖ければ、天罰が下って最後にはアレになってしまう変態男の末路も悲惨の一言。當に作者の悪魔主義が炸裂した傑作でしょう。
「紅い弔旗」と「地獄の猟犬」はいずれも熔解していく人間關係の中で行われる犯罪を描いたもので、ツッコミどころが多いのは「 紅い弔旗」の方ですかねえ。
「紅い弔旗」はコミューンめいた生活をしているロックミュージカルグループのお話なんですけど、ロックといってもこちらの名前は「海賊船」。何だか大駱駝艦みたいな土俗的な雰囲気がウリかと思いきや、題目は「イターニティ」と横文字。バンドの主導権を握るのは誰かみたいな確執から悲劇が生じるというのは御約束で、本作でも才能が涸渇しつつあるバンドのリーダーと、後から入った美少年を大フィーチャーして賣り出そうとする周圍との確執から、最後にこれまた悪魔主義的なラストを迎えるというお話です。
「紅い弔旗」で物語の悪魔っぷりを牽引していたのは女だったのですが、「地獄の猟犬」では女はロクデナシ男たちの奸計にハマって悲慘な最期を迎える役回り。バンドの名前はヘル・ハウンドと威勢はいいものの、やはりバンドのカラーをどうするということでスッタモンダとなって、周圍の大人の思惑からバンドは妙な方向へ行ってしまいます。演歌歌手の前座でメジャーデビューを果たすものの、その演歌歌手のスキャンダルに利用されてしまったりという逸話の末、延命をはかるロクデナシ男の奸計に陷り、語り手の女が最期を迎えるラストはアンマリですよ。
過去の出來事の悲慘さという点では、續く「 水底の祭り」と「疫病船」がピカ一。湖から死蝋があがったという知らせをうけて、それが自分の姉ではないかと疑う男、そして彼と一緒にその湖に赴く女の語りで話が進みます。長旅のなかで、男は自分の姉の過去を車の中で延々とわたしに語るのですが、これがまた戦争時代のお話であまりに悲慘。そして外國人差別しまくりの村人のロクデナシっぷりがとにかく凄まじい。
「疫病船」も同樣に戦争時代の悲慘の過去がキモのお話なんですが、取り調べ室で母を殺そうとした動機を語ろうとしない女と、その母にまつわるエグい過去が併行して語られていきます。これまた土俗テイスト溢れるロクデナシどもが、病人に向かって石礫を投げまくるというシーンが見所の、慘すぎる佳作でしょう。
「火焔樹の下で」あたりから人間の狂氣をモチーフにした傑作が續くのですが、この作品は葉書や手紙、さらには讀まれなかった手紙などを交えて、精神病院の中で起こった犯罪を綴った物語。最後にミステリでは定番となっている仕掛けが明らかとなり、精神病院の鐵格子がぐるりと見事な反転を見せるところが素晴らしい。
「夜の深い淵」も病気で手術をする姉を持つ弟の靜かな狂氣を描いた佳作で、二人の近親相姦的な関係をほのめかしつつ、その核心をぼかしてみせる抑制された筆致がいい。手術中に停電して、腹を開いたまま停電になるという、考えただけで悲鳴をあげたくなるようなシーンなど、淡々としながらも実はかなり怖い話。
「黒塚」も、老婆の一人語りで進む話なのですが、男を殺した老婆の半生が語られ、その狂氣が次第次第に明らかになっていく展開が怖い。何か讀んでいて凄くイヤーな氣持になってしまう短篇でして、老婆の落ち着いたようでいて微妙にずれている話が何ともいえませんよ。
それでも狂氣という点では最後の「水の館」と「廃兵院の青い薔薇」が一番でしょうか。いずれも同じようなモチーフを扱った傑作です。
「水の館」はジャニーズっぽいアイドルグループのマネージャの語りで進む話で、失踪したグループの一人の行方を探る現在の視点と過去の視点がめまぐるしく交錯する構成がまず見事、そして最後に彼の犯した犯罪が姿を現し、彼の意識が再び狂氣の闇へと沈んでいく幕引きがいい。夢野久作をスタイリッシュに磨き上げて現代風にするとこんな物語になるのではないかなあ、と思ったりします。
「廃兵院の青い薔薇」も年下の少尉に憧れる男の一人語りで進む話で、過去を回想する男の独白が最後には狂氣へと沈んでいくという構成が、前の「水の館」と相似をなしています。こちらの方は短い故に構成は單純で、仕掛けも見事に決まっていますねえ。
悪魔主義的な作風が素晴らしい前半は非常にヘビーで、纏めて讀み通すのはちと辛いかもしれません。狂氣を扱った作品が多く収録されている後半は、前半部の短篇に顯著だった、人間關係の緊張、暗い過去、或いは倒錯した動機から立ち上る重苦しい雰囲気はいくらか後退しているので、こちらは結構すらすらと讀むことが出來ましたよ。
いずれにしろかなりの厚さですし、イッキ讀みしようなどと無謀な考えはしない方が賢明でしょう。讀後感はずっしりと重く、同じ悪魔主義とはいえ、渡辺啓助御大のようなユーモアは皆無。一日一篇と軽いペースで讀み進めた方が体にも精神にも良いのでは、と思うのでありました。それでも流石に千街氏のセレクトだけあって、ツボを抑えた粒揃いの作品ばかり、幻想ミステリファンにはやはりマストということになるでしょう。おすすめ。