猫になるか、猫に導かれるか。
アンソロジストの東雅夫氏といえば、自分の中では吸血鬼小説傑作集「屍鬼の血族」の印象が強いんですけど、本作は「屍鬼」の重厚さとは眞逆を行く輕さが心地よい、猫もの傑作短編集。
アマゾンとかビーケーワンとかのサイトを見ても、収録作のリストが掲載されていないので、まずはずらっと竝べてみますとこんなかんじです。
「猫火花」加門七海、「猫ノ湯」長島槇子、「猫眼鏡」谷山浩子、「猫書店」秋里光彦、「花喰い猫」寮美千子、「猫坂」倉阪鬼一郎、「猫寺物語」佐藤弓生、「妙猫」片桐京介、「魔女猫」井辻朱美、「猫のサーカス」菊池秀行、「失猫症候群」片岡まみこ、「猫波」霧島ケイ、「猫闇」吉田知子、「猫女房」天沼春樹、「猫魂」化野燐、「猫視」梶尾真治、「四方猫」森真沙子、「とりかわりねこ」別役実、「蜜猫」皆川博子、「猫鏡」花輪莞爾の全二十編。
いずれも書き下ろしで、それぞれの作者の個性が際だった名品揃いです。自分の好みはというと、惚けた二人のカップルがどうにも作者と新妻を想像してしまうクラニーの「猫坂」、これまた飄々とした文体と原風景的なワンダランドの描写が冴える谷山浩子の「猫眼鏡」、小咄としてのオチが見事に決まっている洒落た掌編、秋里光彦の「猫書店」、昔話フウ幻想譚としての構成が素晴らしい片桐京介の「妙猫」、これまた異界譚としての冴えと幕引きのほっとする雰圍氣が完全にツボの霧島ケイ「猫波」、異端者の語りと餘韻が美しい化野燐の「猫魂」、脱力ユーモアのオチがタマラない梶尾真治「猫視」、そして輕妙洒脱な掌編が竝ぶなかで、その重さが異彩を放ちまくっている皆川博子の「蜜猫」あたりでしょうか。
倉阪氏の「猫坂」は、これから猫を飼おうと決めているカップルが、不動産屋の娘に案内されてある物件を訪れるのだが、……という話。しかしこの話、どうにも登場人物のカップルが作者に見えてしまって仕方がないのはいかんともしがたく、冒頭の登場シーンから中盤までは氏の顔がチラついていたものの、中盤、猫の登場によって日常の風景が緩やかに幻想へと變容していく描写はやはり見事。
谷山浩子の「猫眼鏡」は自分がいる世界のスキマに氣がついてしまった私の一人語りで、話の展開は完全にシュール。猫に誘われてアリス風ワンダランドを彷徨いつつ、最後に表題になっている「猫眼鏡」の意味を絡めてオチを用意しているあたりが如才ない。全体に漂う妙に惚けた雰圍氣が微笑ましい一編です。
秋里光彦の「猫書店」と化野燐の「猫魂」はともに猫とも人間ともつかぬ存在となってしまった異端者を温かいまなざしで描いた作品で、光の「猫書店」に對して影の「猫魂」といった比較をしたくなる二編です。中央線の駅にあるとある古書店を訪ねた私に、店主がこの店のいわれを語るという物語の「猫書店」は猫モノの定番、朔太郎の「猫町」を絡めながらの語りが心地よい。こちらが語りで讀者の気持を引き込むのに巧みであれば、「猫魂」は自分の周囲に違和感を感じる主人公が、父の通夜の日にとあるノートを見つけて、……という話で、最後に自分の心の内にある疎外感の眞相を知るに至って救濟されるという幕引きがいい。
片桐京介の「妙猫」はかつて可愛がっていた猫の三回忌に寺を訪れた女性が、尼僧からひとりの若者の話を聞くというもので、この昔話フウの哀しい逸話が素晴らしい。そして語りが尼僧と女性のもとに回歸した刹那に垣間見えるささやかな幻想がまた素敵な餘韻を残す逸品です。
霧島ケイの「猫波」もまた作者の猫にたいする優しいまなざしが堪能できる名品で、一日は三百六十五日よりも一日だけ多いと嘯く語り手の僕が、その日に、いなくなった猫を探してある島を訪れるという話。僕と島の住人であるセイさんの會話が何ともいえない雰圍氣を出していて、これが最後に僕の語りによって明かされる眞相の伏線となっているところがいい。
梶尾真治の「猫視」は、上の「猫波」のようなカジシン節でセンチメンタルな話を展開させるかと思いきや、今回は脱力おふざけネタという變化球で勝負。ある冬の夜更けに飼い猫のようすがおかしいことに氣がついた語り手は、猫の視線の向こうに幽霊がいると思って小騷ぎを起こすのだが実は、……という話。
そしてハートウォーミングな話が續くなかで唯一異彩を放っているのが、皆川博子の「蜜猫」で、収録作はいずれも掌編でこの話もその點ではまったく同じ筈なんですけど、語りの重厚さ、そしてそこから釀し出される暗黒パワーは完全に本作のほのぼのとしたジャケのイラストの雰圍氣からは乖離しているところが何ともですよ。
部屋が増殖することに氣がついた私が追いつめられていくという話なのですが、そこに猫を絡めて強迫神経症的な語りで暗黒へと堕ちていくさまはもう凄すぎ。緊縛繪にのめりこみ密度に偏執する語り手の父は明らかにキ印で、その父親の奇態を淡々と語る調子が次第に狂氣を帶びていくさまは壓卷です。登場人物も全然違うんですけど、何となくこの切迫したような強迫的な雰圍氣と主題がコルタサルの「占拠された家」を髣髴とさせるなあ、と感じるのは自分だけでしょうかねえ。
で、編緝の東氏も、猫幻想譚の定番である朔太郎の「猫町」とブラックウッドの「古き魔術」をネタに「猫たちは、招くよ—-猫と異界をめぐる幻想の文学誌」を書いています。まあ、筆致の方はいつもの東節で、名品を讀了したあとの讀み物としては絶品の仕上がりであるところは期待通り、個人的に嬉しかったのはこのなかでさりげなく日影丈吉の「猫の泉」に言及してくれているところでしょうか。
それと本作、最後に添えられた「著者紹介」が結構笑えて、加門七海の「嫌いな言葉は自業自得」とか、秋里光彦の「「もうだめぽ」と「なおるよ!」の日々。猫舌」とか狙ってるのもあれば、霧島ケイの「好きなことは飼い猫二匹と一緒の日向ぼっこ」とか、化野燐の「同居している黒猫の美夜とずっと遊んでいられればいいと真劍に思う今日この頃」といったふうに、本作の主題を理解してそれらしい文章を添えている作家もいてという具合で、このあたりから作者の個性を探るのもまた一興かと。
レトロテイストの素晴らしい味を出しているジャケと、「迷い込んだら拔けられない 猫の魔法は手ごわいから」というジャケ帶に添えられた文章も素晴らしい、いかにも丁寧につくられていることを感じさせる一册で、猫好き本好きには何とも嬉しい傑作集。ただいかんせん地味なんで、こういうのは普通の人は手に取らないんですかねえやはり。ジャケのデザイン、そして書き下ろし、さらにはアンソロジスト東氏の技が冴えわたった構成と、手に取ってみる價値は十分にあると思いますよ。猫好きの方は是非。おすすめです。