ミステリというよりは乱歩賞作品。
乱歩賞受賞作を単行本で買うのなんてもう、「顔に降りかかる雨」以來ですよ。とはいえ本作、自分は乱歩賞受賞作というよりは、「レテの支流」の作者、早瀬乱氏の「新作」ということで購入した次第で、正直昨今の乱歩賞にはまったく関心がありません。
とはいえジャケ帶には「綾辻行人氏を震撼させた大型新人、堂々の登場!」という惹句も勇ましく、大いに期待させるものがあることは事實なんですけど、……そもそも「大型新人」っていう言葉はどうなんでしょう。「レテの支流」という佳作を既にリリースしている早瀬氏に對して「新人」というのは如何なものか。
物語は明治を舞台に据えた歴史ミステリ風の書き出しから始まるのですが、「古い話」と題したプロローグでは、明治の大火事件が怪奇譚めいた風格で語られていきます。謎めいた人力俥夫、そして火の中を飛び回る人魂など、いかにもな怪異がここで提示されるのですが、この大火事件の謎に主人公の兄が遺した「三年坂で転んでね」という奇妙な言葉の意味や、行方不明となった實父の存在も交えて物語は悠然と展開されていきます。
主人公の青年が上京して受験勉強に励みつつ三年坂を探していく場面とともに、予備校の英語講師である探偵役の男が大火事件の謎を追っていく場面が併行して語られていくのですけど、この二つのパートが重なり合っていくのは後半も後半、ここに到るまでの展開が非常にもどかしい。
「レテの支流」も、物語の展開はそれほど性急なものではなかった記憶があるのですけど、あの作品の場合、冒頭から主人公の鬱々とした内面描寫が冴えわたり、不穩な空気が物語全体を暗く彩っていた譯ですが、本作の場合このあたりの雰圍氣が少し足りないような氣がするんですよ。
舞台が明治時代とはいえ、主人公の會話なども含めてどうも明治らしいノリがないというか、或いは自分の肌に合わないというか、それとも「レテの支流」の印象に引きずられ過ぎているのか、とにかく物語のリズムに乗れなかったのが殘念至極。
主人公は、東京のほうぼうをウロウロしながら三年坂という言葉の意味とその場所を追いかけていくんですけど、この手法が往年の推理小説のごとく、地元の人間への地味な聞き込み調査に終始するあたりにも現代のミステリというよりは、新本格以前の雰圍氣が感じられます。しかしこれはあくまで相性の問題でありまして、自分にはこういうミステリはどうにも肌が合わないというか、駄目なんですよねえ。
三年坂の謎が解けかかる後半も後半になってようやく、英語講師の探偵のパートと重なりあいを見せ始め、最後の推理のシーンで、大火事件の時に目撃された人魂やそのほかの怪異の意味が明らかにされます。主人公が辿りついたある真実に絡めて描かれる幻想的な情景は非常に美しく、このあたりは素晴らしいと思いました。
ただいかんせん、三年坂の謎というのが自分にとっては卑小に過ぎて、今ひとつ魅力的に映らなかったというか何というか、そのあたりで主人公が淡々と東京をウロつきながら三年坂の在処を調べていく展開にノれなかったのが悔しい。やはりこのあたりは強烈な謎で讀者を鷲掴みにして離さないという最近のミステリを讀みなれてしまっているせいか、嗚呼、やはりこれは乱歩賞の作品なんだなあ、と感じた次第です。
例えば最近讀んだ作品でいうと霞氏の「プラットホームに吠える 」も、被害者の女が遺した謎の言葉の意味を探る爲にと、モジモジ君たちが旅をするという展開でありましたが、あちらの方は主要キャラの過剩に過ぎるボケ具合や、要所要所へ執拗な狛犬ネタも鏤めて讀者を飽きさせない配慮が感じられたと思うんですよ。それに對して本作の場合、明治という舞台設定によるものなのか、物語の時間の流れは非常にゆったりしています。
まあ、霞氏のドタバタした展開の作品と比較するのもどうかと思うんですけど(爆)、同じように聞き込み調査で謎を追いかけていくという往年の推理小説めいた構成を持ちながらも、自分的な好みはやはり霞氏の作品になってしまうんですよねえ。
それと本作を歴史ミステリというカテゴリに入れるのは少しばかり無理があるとは思うものの、過去を舞台に据えた作品というのは、京極夏彦氏の登場以降異樣なほどにハードルが高くなってしまったと感じておりまして、よほどのヒネリ技がないと過去を舞台に据えてもノレないというか物足りないというか、そんな感覺を抱いてしまうのでありました。
という譯で自分的にはちょっと、というかんじだったんですけど、まあ本作はあくまで乱歩賞受賞作でありますから、自分のようなキワモノマニアなどまったくお呼びではない高尚な作品であるがゆえ、ここはすでに御大めいた風格さえ感じられる綾辻センセの選評を簡單に引用するとともに、皆樣におかれましてはこれに目を通しつつTo Buy or Not To Buyの判断をしていただきたいと思う次第です。
……明治初期の東京を主な舞台に描かれる物語は、既存のミステリ定式には安易に嵌らない作りで、なかなか展開を先読みさせない。世界を俯瞰する”作者の視点”が隨所に入る語り口も、僕は好感を持って読んだ。兄の不審死をきっかけに単身上京、一高受験に挑む若者の青春小説としても楽しめるし、彼が「いくつもある三年坂」を探して街を歩きまわるくだりも、たいそう興味深く読ませる。冒頭に描かれた謎の俥夫と人魂のエピソードには怪奇小説な華があるし、鍍金先生の颯爽たる活躍には古き良き探偵小説の香りも漂う。結果として、「これまであまり読んだことのない種類の推理小説を読ませてもらった」という充足感と余韻に浸れた。
こうして見ると、自分は悉く綾辻センセの評價している部分が樂しめなかったことが分かってかなり欝。自分としては若者の青春小説として読むには恋愛ネタが足りなすぎるし、兄の不審死を追いかけるにしてももっとこう、若者特有の鬱屈した何かを求めてしまうんですよねえ。
だって「レテの支流」であれだけ主人公のダウナーぶりを活写してみせた早瀬氏のことですからこれが出來ない筈はないんですよ。しかし本作は乱歩賞応募作でありますからこのあたりは一般人にも的確なアピールを行う爲、すっきりサッパリ爽やかに纏める必要があったのでしょう。
また冒頭の「怪奇小説的な華」についても、「レテの支流」の、世界が傾いているかのような不穩な空気を体験してしまった自分としては、何だか物足りないなあと思ってしまうのでありました。あの暗黒風味が本作にはまったく感じられないのもこれまた乱歩賞故の戰略に違いありません。
鍍金先生のキャラにしても、この系統の性格づけだったら自分的には道尾秀介氏の真備とかの方がツボだなあ、と感じてしまったり、……というかんじで、すべてにおいて自分の趣味とはちょっと違うなア、やはりこのあたり、本作は至極眞っ當な乱歩賞受賞作だなあ、と確認した次第です。
最近の一連の乱歩賞受賞作がお氣に入りの人だったらきっと愉しめるのだと思います。しかし「レテの支流」のダークネスを期待している自分のようなマニアにはちょっと物足りないかもしれません。まあ、このあたりは御大めいた綾辻センセの選評などを參考に、果たして自分向け作品であるかどうかを判断していただきたいと思いますよ。