函入りの装幀で三千百五十円とお値段の方もゴージャスゆえ、戸川昌子の作品であればどんなものでもとにもかくにも全て讀まないと気が済まないッ、という相當のキワモノマニアでないとまず手が出ないという一冊です。
収録作は、サイテーの温泉宿に流れてきた變人君や色欲婆たちのドラマに反転の構図が冴える「吹き溜まり」、「骨の色」、老人ホームを舞台に仲の悪い婆二人がモテ爺の形見を巡って強ツクドラマを展開させる「形見わけ」。乗っ取りを畫策する強欲夫婦が南米から連れてきたエロ青年に娘っ子をけしかける惡女劇「黒い餞別」。
エロ惚けした爺婆が巢くう老人ホームにやってきた醜女がとある事件をきっかけに発狂世界へとダイブする「仮面の性」、猫タチと兩方イケる百合娘に墮胎を生業とするキ印女の二人がくり廣げる痛みとグロの際だった狂氣のアンダーワールド「黄金の指」、「塩の羊」、「霊色」、片足を失った男が病室の中で妻の浮氣とエロ妄想に悶々とする「嗤う衝立」の全九編。
キワモノマニアの女王、戸川女史の短編ということであれば、本作に収録されている作品よりももっとモット激しいのがあることを知っている自分としては、どうにもおとなしいセレクトで、このあたりからもたいそうなお値段の割にも極々ノーマルの本讀みに向けられた収録作の風格がアレながら、それでも傑作「塩の羊」と「霊色」が入っているのは高ポイント。とはいえ、この二作はすでに別のエントリで取り上げたりしているので、今回はこの中からキワモノの視點からも充分に愉しめる作品をいくつか取り上げてもみたいと思います。
冒頭の「吹き溜まり」はタイトル通りに、民謡温泉なんていう名前からしてすでに脱力色を發している温泉街に流れてきた男を巡っての物語。新入りのボーイは全て「喰って」しまうというエロ婆がしきりにこの青年を誘惑するも成果はなし、ブチ切れた婆があることをしでかすのだが、――というところから、最後には意想外なオチで決めてくれます。このあたりの反轉劇はいかにも戸川女史らしい趣向で、ユーモアの風格も添えた物語の雰囲気も愉しい一編でしょう。
「黒い餞別」は、編者の結城氏曰く、戸川女史の作品の中でも惡女ものの系譜に属する、と言及しているものの、実を言えば惡女ものと意識しないで読み始めた方が最後の悪魔主義的なオチを堪能できるという作品で、カリスマ美容師亡き後、乗っ取りを畫策する強ツク夫婦がカリスマ女史と血筋の繋がる青年を南米から召還、自分の息のかかった娘をけしかけるのだが、――という話。讀んでいる間はこの夫婦のワルっぷりが際だっているのですけど、最後の最後で案外これも女史一流のミスディレクションだったのカモ、と納得してしまう作品で、結城氏の言われる惡女ものという名付けに相應しい幕引きが何ともな佳作です。
老人ものが多いのも本作の特徴でありまして、この中では「仮面の性」が生理的なイヤ感の横溢したエロスや、醜女が老人にホの字、という考えただけでも何だかこちらの背中がムズムズしてしまうような舞台の設定がまず秀逸。そもそも冒頭から爺と婆が醜女に見られているのもかまわずペッティングに勤しんでいるという強烈なシーンからスタート、醜女は勿論處女ながらエロっぽいことにも興味津々で、そんな老人どもの色欲ぶりに眉根を顰めながら、そんな彼女はホームの中にいる一人の爺に惚れてしまう。
ある日、爺婆たちを卷きこんでの仮装パーティー(無禮講)で、彼女もまた自らの醜い顏を仮面で隱して松林をブラブラしていると、その場に腰を下ろして一人マッタリしている件の爺を發見、「あなたは美しい」なんて仮面をかぶった爺の言葉にイチコロとなった醜女は、――。この仮装パーティーでの出來事をきっかけに疑心暗鬼から次第に奈落へと落ちていく醜女の悲壯感がタマりません。中盤で、醜女の喜びを一轉させてしまう悪魔主義といい、狂氣にとらわれていく醜女への容赦のない仕打ちなど、いかにも戸川女史らしい魅力溢れる傑作でしょう。
収録作中、もっともイタい一編が「黄金の指」で、最初の方は猫もタチの沒問題というモテモテの百合女の嗜好が語られるものですからスッカリ彼女が主人公かと思っていると、中盤からはもう一人、いかにも怪しい女の出自が説明されていくという、ある意味非常にブチ壊れた結構がアレながら、最後にはツンツンしていたモテモテの百合女が怪しい女の狂氣へと呑み込まれてしまう幕引きが凄い。考えただけで悲鳴をあげたくなってしまうような痛さがかなりアレで、女性が讀んだら最強に痛覺を刺激されてしまうのではないか、と心配になってしまう一編です。
「嗤う衝立」は不具者のエロス、怪しい新興宗教、近親相姦と、戸川女史らしいキワモノテイストをマックスでブチ込んだ傑作です。片足を切断した男は相部屋に入院しているものどうにも下の方がムラムラして仕方がない。看護婦にそんな「惱み」を告げると、それでは衝立をベッドの間にたてて奥樣とセックスをなされば、というアドバイスを受ける。しかしこの妻というのがどうやら浮氣しているようで、――というあたりが語られたあとの男と妻の會話がナイス。
「個室に移るのが嫌ならば、ここにいらっしゃればいいわ。そのかわり、ここでセックスをしようなんて変なことはおっしゃらないでください」
「ボクも別にそのつもりはないんだ……あの看護婦がすすめてくれただけの話さ。あの看護婦、繃帶をかえるたびに、ボクのセックスが直立不動の姿勢で挨拶するので、気の毒になったんだろう。それとも身の危険を感じたのかもしれない……」
「あなた、そんなにみっともないことをしているんですか」
「そりゃそうさ。きみみたいに、ダレカさんとラブ・ホテルにしけこむわけにはいかないからな」
「あなた、妙なことはおっしゃらないでくださいね。病人なんですから妄想を喋っても仕方がないけれど……あたしがラブ・ホテルになんか行くはずがないじゃありませんか。あたしだって、あなたとセックスがしたいのよ……」
さらにはこの浮氣妻のほかに、血の繋がっていない娘も交えて、トンデモない展開に轉がっていくのですけど、最後の最後には意想外な眞相が待ち受けていて、――というオチは期待通りながら、個人的にはこの入院中の出來事によって主人公が娘に對する妙な気持ちに目覚めてしまい、そちらの方で今度は精神科のお世話になるのでは、……なんてこと心配してしまいますよ。
自分のように古本屋も含めて地道に戸川作品を買いあさっているマニアにとってはレアものを揃えるという點ではマストながら、ビギナーが手を出すにはチとお値段がはる故、オススメは出來かねるものの、ふしぎ文学館シリーズで戸川作品の魔力に取り憑かれてしまった奇特な御仁であればやはりここは買っておくべきありましょう。