ジャケ裏の写真を見ると、相方の女性の顔にはどうにも見覚えがあって、確か去年だったかのミステリマガジンで見たような気がするし、そういえばブログにも和服を「見よう見まねで毎日奮闘し、どうにかこうにか着られるようになった」とか書いてあったし、だとすると女史の研究テーマであるアレ系が炸裂する作品なのかなア、とか色々と先入観を持ってしまってはいけないので、とりあえず実作者である二人のことは頭の中から取り払い、あくまで宗形キメラの作品、ということで讀んでみました、――とはいいつつ、やはり讀み進めていくうちに色々な意味でアレなところが文章の要所要所から滲みだしてきているところがどうにもアレで、これについては後述するとして、個人的にはなかなか愉しめました。
物語の主人公は警察を訳アリで退職した女探偵、桐山真紀子で、彼女が姪からの依頼で失踪した彼女のルームメイトを捜すことになるのだが、――という話。女探偵の視点から失踪した女性を捜していくうちに現代社会の闇が明らかにされていくという結構で、恐らくこのあたりの骨子は千澤女史のテーマであるかと推察されるものの、そこに控えめとはいいながら、相方である師匠の過剰なテイストをそこここに凝らしてあるギャップ感がキワモノマニアには堪りません。
元警官というところから、主人公である女探偵自身は終始シリアスに振る舞っているとはいえ、この依頼を持ち込んできた姪というのが完全なるスイーツ脳。そこに女シオンともいうべきこちらの背中がムズムズしてしまう台詞回しで御登場とあれば、女探偵が醸し出すハードボイルドの風格もブチ壊し。最初の数ページをめくっただけでも、「えへへ」「ないじゃーん」「おでぶ街道まっしぐら」「だってぇ」「えっとねぇ」「早とちり、し・す・ぎ!」「めどいじゃん」「そんなのひどーい」「よろしくお願いしますぅ!」「うふふ。やっぱりマキちゃん。頼りになるぅ!」と、さすがに犬坊里美で免疫が出來ているミステリマニアも、オジさんフィルターを介した娘っ子の台詞回しのスバらしさにはもう完全にノックアウト。
しかしこの姪はいうなれば脇役でありますから、基本的に無視しておいてもよろしい。問題は主人公の女探偵の造詣でありまして、ちなみに本作、アマゾンの書評ではすでに五つ星がついているのですけど、その感想に目をやると、件の五つ星をつけた人物は主人公である女探偵の「ものうげな美女のイラスト」に惹かれて購入したとのこと。
個人的にはこの女探偵、冒頭から自らの過去の疵を語りながら非常にシリアスな登場をするゆえ、自分などは頭ン中で板谷由夏あたりをイメージしながら讀み進めていったのですけど、本文に曰く、
真紀子は小柄ではあったが、かなり筋肉質な体つきをしていた。肩幅が広くて、がっちりとしている。体格の割には童顔で、全体的な風貌は、野球選手と結婚した有名な女性柔道選手に似ていなくもない。ただ、目つきの悪さはいかんともしがたい。
と、「目つきの悪い」柔ちゃんであることを強力にアピール。ジャケ写じゃア、頭の上は見えないけども、もしかしたらゴムひもでちょん曲げでもしているのかと考えると、板谷由夏を想像していた自分の頭は見事にクールダウン。
後半には女サトルがカレシから拝借してきたボクスターを駆って敵の本陣へと繰り出すのですけど、このあたりの「くるまにあ」ぶりに、サーフボードを乗せたアルピーヌなどを登場させたサトルシリーズの風格を感じてニヤニヤするのもアリでしょう。しかし殆どの人は柔ちゃんがやぶにらみの目でボクスターのステアリングを握っているというシュール過ぎる光景をイメージしてしまうのではないかと心配してしまいます。
女探偵が事件を追いかけていくにつれ、失踪した人物の様々な姿が次第に明らかにされていき、探偵はそんな彼女の孤独に憐憫を感じるのですけど、何しろこの失踪した女というのがコニーで、さらにはゴミ袋に毒を仕込んで猫や烏を殺していたというから穏やかじゃない。讀者としては憐憫よりも寧ろ恐怖を感じてしまい、「都会が生み出す孤独による犠牲者」という本作の大きなテーマに、本来であればこの失踪した女を犠牲者として見なければいけないのに、「確かに都会で一人暮らししていて、こんなキ印の女コニーにロックオンさらたら怖いよなア」なんて、作中の登場人物よりも自分の身を案じてしまうところがちょっとアレ。
やがて暴力団や怪しげな化粧品販売会社との連関が明らかにされていき、事件の構図が最後に推理されるのですけど、最後はワルと一騎打ちというところに、探偵対怪人の構図を見ながら期待するのもアリながら、何しろ女探偵というのが目つきの悪い柔ちゃんでありますから、最後には必殺山嵐でワルを頭から落としてジ・エンド、かと思いきや、このあたりは爽快なハッピーエンドでしめくくります。
女探偵が待ち合わせする喫茶店の名前が「ルシファー」だったり、池袋のホストクラブの店名が「ダンディ・キング」、さらには暴力団の名前が「紅星会」で、「解りやした」というチンピラの台詞や、ヤクザの若頭が長身のイケメンでマオカラーのスーツを着ているというVシネマぶり、さらには、まほろに負けてなるものか我こそが本家本元とばかりに「キィエエエエイイイィィィ!」「チックショウオオオォォォォォッ!」「グャオオオオィィィイイイイイ!」と「ギガンテス」を彷彿とさせる決め台詞でファンの期待にシッカリと応えてみせるところも堪りません。
……って、何だかミステリの仕掛けとはマッタク関係ないことばかり書いてしまったのですけど(爆)、ミステリのトリック自体は非常にオーソドックスなものながら、それをこの作中の現代的な舞台の中で見事に活かしているところが素晴らしい。この舞台に失踪というところから、作中の基本的なトリックもおおよそは予想出來るものの、中盤で発生したコロシとこの仕掛けを見事に連關させてみせる手際は秀逸です。
またこの設定であるからこそ、科学的検証の網をかいくぐることが出來、さらにはそれが逆に探偵の推理によって陥穽に転じるという流れも巧妙で、古典的なトリックを現代の舞台でどう活かすかという点でも見るべきところが多い作品というるのではないでしょうか。さらには途中でやや唐突に発生するある事件の推理と真相が、この物語の大きな枠組みの中では伏線として機能するところには些かの強引さが見られるとはいえ、フェアプレイを意識したところにも好感が持てます。
それと執筆者の一人で女性である利点はこの仕掛けにも活かされていて、前半部で化粧品カウンセリングのシーンも交えて語られる化粧品の説明などは、やはり女性じゃないと無理カモ、と思わせます。
寧ろ、この登場人物の悲哀という点に關しては女性の讀者の方が共感出來るのかもしれません。失踪人が女コニーで悲哀もヘッタクレも感じられないとはいえ、真相が解明された暁に、女探偵が自らを振り返って、被害者と自分を重ね合わせてみせるシーンにも小説的なうまさが残ります。ただ、何しろ演じているのが目つきの悪い柔ちゃんなんで、細かいシーンは頭に思い描かずにあくまで活字だけで物語を追いかけていくのが吉、でしょう。
また本作はサトルシリーズとの連關が見られるところも愉しく、将来、本作の主人公の桐山真紀子とサトルが共演、なんていうのも構想に入っているのではないかなと期待させるのですけど、個人的に知りたいのは、二人がどのようにして一編の作品に仕上げていったのか、その過程でありまして、もし千澤のり子女史の正体が自分の考えている通りのひとだとすると、これだけのおいしい舞台を用意しておきながら、多視点での語りではなく、また探偵からの一人称でもなく、あえてこのような書き方でアレ系の仕掛けを封印した所以などなど、色々と興味は尽きません。
文章に批評文のごとき堅さを残しているところなど、実際に執筆を担当したのは千澤女史ではないかなア、と推測するものの、ディテールや登場人物のキャラ立ちには合作者である師匠の風格をビンビンに感じさせる本作、次作でサトルがどう絡んでくるのか、そして本シリーズで女史の研究成果が実作にどのような形で活かされていくのかに期待したいと思います、――って、千澤のり子って羽住女史じゃないんですか?
[11/12/07 追記]
ちょっと調べてみたのですけど、千澤のり子は1973年、東京生まれで、専修大学文学部人文学科卒。羽住女史は「1973年4月14日生まれ。東京都出身」で、「専修大学文学部人文学科卒業」。千澤のり子は別名義で、「評論ライター・シナリオライター活動」を行っているとのことなのですけど、「評論ライター」に關しては、羽住名義で行っていると考えれば納得がいくし、黒猫荘24号室の回廊亭での記述によれば、「普段着でも着物を着てい」ると公言、研究会日乗での記述を見ても女史が着物好きであることは明らかながら、パーティー会場に女性が着物で参加というのが当たり前なのかどうかが、そういうものとはマッタク縁がない自分にはよく分かりません。検索すると、千野帽子氏のブログにも千澤のり子氏から「ルームシェア」をいだたいた、なんて記述があったりするのは、やはり探偵小説研究会繋がりだからカモ、なんて想像はしてみるものの、結局よく分かりません。
ただ、あちこちを調べてみて、羽住女史がコミケで「ピンクのメイド服に頭には猫耳と白いレースのリボン」の格好で売り子をした経験があったりという、女史の違う一面を知ることが出來たのは収穫でありました(爆)。