前回の続き。今回は御手洗のキャラクターについての話題が中心です。その他には読者への挑戦状を初期の作品に挿入した意図や、「異邦の騎士」をずっと発表せずにいたことと当時の本格ミステリーに対する空気のようなものが語られています。
自然主義作風に対する反抗
B: 御手洗潔は日本人ですが、西洋人的なユーモアも持っています。こうした和洋折衷ともいうべき御手洗のキャラクターはどのようにつくられたのですか?
島田: 御手洗のキャラクター創りをしていた時に、苦労したという記憶がまったくないのですね。当時は、初期のジョン・レノン、フィリップ・マーロゥ、映画では『恋とペテンと青空と』のジョージ・C・スコット、『ジャッジ、ロイ・ビーン』のポール・ニューマン、そしてむろんホームズ――、こういった西洋の感性のヒーローたちの言動に、当時はどっぷり浸かっていたんです。
ですから御手洗のキャラクターは、ごく自然に私の内部からわき出ました。いえ、これはもう待ってましたというかんじで、飛び出してきたわけです。彼以外の人間を創ることの方が、むしろ強引なものになってむずかしかったかもしれません。
和洋折衷ということは、まったく意識しませんでした。私は日本人で、日本で育ちましたから、東洋の部分は特別に意識せずとも滲むでしょう。しかし、もしかしたら御手洗は、「和魂洋才」に、自然になっているかもしれないと期待することがあります。そうなら嬉しいことですね。B: 占星術師である御手洗は、先生がモデルだと言う人もいますし、また吉敷刑事こそが先生の自画像だと言う人もいますが、これについて先生はどうお考えですか? たとえば、御手洗には孤独な一面があって、世間とはうまく相容れないように見えます。彼は音楽を聴いたり、演説をしたりして、そうしたストレスを発散しているように見えます。こうしたところは、先生と似ているようにも思えるのですが、どうでしょうか?
島田: 御手洗は自分をモデルにしたわけではありません。吉敷の方がより自分に似ているというのは確かでしょう。それでも、彼とは違ったところもたくさんあります。
孤独なところがあり、世間と相容れないという意味では、御手洗も吉敷もにそうですね。御手洗はこれを慰めるために音楽を聴いたり演説をしたりしますが、吉敷だときっと旅をするのでしょう。
でも、私自身は実際、自分が世間と相容れないような人間とは思っていないのです。まあ、これは願望でもあるのですが、世の中と緊密に関わり、社会における不満な点をよくしていきたいと思って、わたしはそうした活動を志しています。
御手洗、吉敷、そして私とは違う人間ですが、その違いに微妙な差があるような気がします。ですから、そうした時には、3・4・5の直角三角形を連想したりするのです。その三つの角に私たちはいます。私を中心にすると、私は直角の位置にいて、吉敷との距離は3、御手洗とは4、御手洗と吉敷との距離は5という三角関係ですね。B: 読者の中には、『摩天楼の怪人』『アトポス』の中で神のごとき存在の御手洗よりも、『占星術殺人事件』で窮地に陥り、悪戦苦闘の挙げ句、鬱になってしまうような御手洗の方が好きだと言う意見もありますが、これについて、先生はどう思われますか?
島田: 『摩天楼の怪人』や『アトポス』で、御手洗は神になっているのでしょうか。もしそうだとしたら、確かにそれはつまらないですね。神はすぐそばにいる存在であると私は感じていますが、しかし、その神がキリストか、アラーか? と訊かれると困ってしまいますね。イスラエルの神話にあるように、私は神を、レスリングができるような存在だと感じています。『魔神の遊戯』で描いたモーゼのような性格も、ある意味で神的と感じます。御手洗も、そういう方向で神のようになっているのであれば、いいのですけれども。
いずれにしろ本格ミステリーにおいて、探偵という役どころは、一般人からすると特権的で超越的な存在であってはいけません。彼らは一般人と同じ材料しか持たず、一般人と同じ方法で頭を使う、その推理を行う情熱の高さが一般人よりもやや優れているだけであるという存在であるあるべきでしょうね。B: 『占星術殺人事件』『斜め屋敷の犯罪』にはいずれも「読者への挑戦」は、エラリー・クイーンを思わせますが、どうしてこのようにして読者へ挑戦を行ったのでしょう?
島田 : もし「読者への挑戦」のページが現れれば、読者はそこから謎解きが始まることが判るでしょう。ここで考えることを始めればいいのかと読者に解るし、ぱたんと本を閉じ、一週間考え続ける人だって出るでしょう。それがなければ、いったいどこで謎解きに頭を絞りはじめたらよいのか解らず、そのまま読み終えてしまうだけになってしまうかもしれません。
推理の材料は充分にあって、これを用いて時間も充分かけたのに、回答にいたれなかった、ということになって、その後で回答を示されたなら、考え続けた自分の推理のすぐ隣りに回答があったことに、悔しさも感じるでしょうが、驚きは大きくなります。つまりは、感動も深まるはずです。
しかし読者への挑戦に応え、多くの読者が回答にいたれれば、きっと苦情も来るでしょう。すぐに解けそうなのに、なかなか解けない、というのが理想です。それができたという自信が、当時の私にあったのでしょう。同時に、はたしてその通りなのかどうかか、それを確かめたいという気分もあったのでしょうね。B: 先生が最初に書かれた推理小説は『異邦の騎士』ですが、発表順からすると、これは先生の二十五作目のものとなります。この作品を九年間、ずっと抽斗の奥にしまっておかれた理由は何でしょうか? 先生はこの決断が正しかったと仰いましたが、どうしてでしょうか?
島田 : 正しかったと言いましたっけ? これは今、必ずしもそうは考えてはいません。『異邦の騎士』を九年間も抽斗の奥にしまっていたのは、単に忘れていたからです。どうして忘れていたかと言うと、作家としての活動を始めた頃は、ヴァンダイン型の発想を一定量踏まえ、トリック志向の強い、人工的な驚きの装置を創案することが、本格ミステリーの復興につながると考えていたからです。当時は社会派ミステリーの全盛時代で、本格系のミステリーは消えかかっていました。これを復権させなければと強く考えていたのです。
当時の自分は、『異邦の騎士』を、多少のミステリー風味のある恋愛小説というふうに考えていて、それでこの作品を軽く見ていたのです。それで、抽斗にしまい込み、忘れてしまったわけです。しかしそれを発見して再読してみたら、そうではなく、本格色もずいぶん濃かったわけですね。だから、この作への自分の軽視をいささか反省しました。最初期の自分の本格志向というものは、想像以上に強かったということでしょう(続く)。