傑作。前回からかなり間が空いてしまったものの、アル・ヴァジャイヴ戦記と直接の連關は見えないようなのでノープロブレム。今回は、謎めいた都市に住む男女の恋愛物語に絡めて、都市に秘められた謎を解き明かす、――という結構です。
CFWの中ではもっとも静的な雰囲気を湛えてい、「ママがこわい」でちょっとエロい第三話までの展開や、アル・ヴァジャイヴ戦記のような手に汗握る冒険譚というようなものではないゆえ、最初は戸惑ってしまったのですけれど、最後の最後に炸裂する奇想には唖然とするほかなく、――某作家の某バカミスでもこれと類似したネタはありましたが、スケールが違う。そしてこのスケールの大きさゆえに、読者にはこの都市に隠された真相が可視できないという構造も素晴らしい。
特に本作は、CFWに組み込まれた物語ゆえ、どこからどこまでがおとぎ話で、どこからどこまでにリアルな真相開示がなされるのか、とその匙加減が読者にははかれないところも秀逸で、御手洗シリーズにこのネタであればまた違った感想を抱いたカモしれません。
しかし、いずれにしろ、この奇想は「巨人の家」から「水晶のピラミッド」から「摩天楼の怪人」にいたるまでの、まさに御大、というべき卓越した奇想ながら、個人的には二十一世紀本格の技巧を意識しながらこの仕掛けを読み解くとなかなか面白いものがあるんじゃないかな、という気がしました。
本格ミステリー宣言の、幻想的な謎と論理的な解決という本格ミステリーの構造提案についてはミステリファンの間にもかなり認知されているとはいえ、二十一世紀本格に関しては、最新科学云々ということもあってか、今ひとつハードルが高い、という感覚を抱いている方もいるのではないでしょうか。
確かに最新科学云々という「知識」の側面から見ると、いかにも難解に見えるものの、本格ミステリの騙しの構造という視点から見ると、二十一世紀本格の特徴的な技法は意外にシンプルで、かつ実践的なものなんじゃないかなア、……というのが自分の感じているところでありまして、これを簡単にまとめてしまえば、最新科学の知識を用いて、読者の意識と作中の世界観に「ずれ」をもたらし、その「ずれ」の中に仕掛けを施す、ということになります。
そしてこの「ずれ」をもっと効果的に引き立ててくれるためには、「時間軸」に着目するのが最適で、現在のところ、二十一世紀本格の実作とされる御大の作品においても、この「時間軸」の「ずれ」を用いた作品が際立っています。つまり、読者の意識する時間軸と作中の時間軸に「ずれ」をもたらすために最新科学の知識を利用するわけですが、最新科学といいつつも、「時間軸」の「ずらし方」によって、その「最新」の意味が相対的に変化していくのは、御大の実作をすでに読まれている方であればご存じの通り。
実際、御大は中編「ヘルター・スケルター」も二十一世紀本格と見なしているわけですが、最新科学という言葉を読者が厳密にとらえれば、この作品は二十一世紀本格にはならない、ということになってしまいます。しかし、上に述べた通りに、読者と作中の時間軸の「ずれ」を生み出すためのガジェットとして最新科学をとらえれば、ここにいう「最新」という言葉の意味は相対的なものとなり、そこにまた読者の先入観を利用してトリックを仕掛ける素地も生まれてくる。
「ヘルター・スケルター」は、読者の意識する時間軸と作中の時間軸の双方をある方向に「ずらし」たことを気取らせず、ここへ最新科学の知識を組み込むことで、二つの時間軸にもう一つの「ずれ」を施す、――という二重の意味での「ずらし」が行われてい、一方、「摩天楼の怪人」はそうした意味での明快な最新科学こそ用いられていないものの、このトリックには二十一世紀本格と同様の趣向、――舞台の時間軸を負の方向にずらしながら、さらにそこにガジェットを組み込むことで、読者の時間軸と作中の負の方向を向いた時間軸の間に「ずれ」をつくりだしていることが判ります。
時間軸の「ずれ」は時に明快なかたちで読者の前に開示され、時には隠蔽されることで、絶妙な仕掛けへと昇華されているわけですが、本作では、この隠蔽が「CFW」の中に組み込まれることで見事な効果をあげているような気がするのですが、いかがでしょう。
本作の真相は、フツーだったら「ねーよ(笑)」で一蹴されてしまうようなネタながら、それでも「もしかしたら……本当にあるのかも。今だって……」とか、そうしたロマンを読者にかきたててくれるギリギリのところで踏みとどまり、ファンタジーとリアルを調律させているところも素晴らしい。
話によると、「CFW」は一話だけではなく、全体の構成にも仕掛けがあるとのことですが、本作はこの中で謎解きもシッカリなされれるし、単体でも愉しめるという逸品ゆえ、「CFW」初心者でも気軽に手に取ることができる一冊といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。