メタながらフィクションがリアル。
自らの著作である「神の子の密室」をネタにした、メタテイスト溢れるサスペンスミステリの一册で、「神の子」を讀了しておいた方が物語の背景をシッカリと愉しめるとはいえ、本作の主人公である編集娘の視點から、本作をサスペンスとして讀むのであれば沒問題、個人的にはこちらの雰圍氣を堪能しました。
物語はアブド・アッラーフなる著作の「神の子の密室」には続編があって、その内容というのがどうやら余りのエグさに基督教徒からの猛反発も必至、というものらしい。で、大手出版社とともにその版権獲得に名乘りを挙げたマイナー出版社の女性編集者が本作のヒロインでありまして、彼女はストーカーの影に脅えながらも、經營難に陷りつつある自分の會社で版権をものにしようと奔走、しかし大手出版社の編集者は殺され、その翻訳を期待されていた小森氏も何者かに狙われているようで、……という話。
「悪魔の詩」ネタなども開陳して、狂信的な基督教徒の影をアピールしながら物語はテンポよく進みます。「ネメシスの哄笑」でも活躍した編集者探偵溝畑氏の活躍は今回に限ってはアッサリであるところも、本作を謎解きよりもサスペンスとして愉しみたい理由の一つでありまして、実際、基督教徒とヒロインをネチっこく狙っているストーカーの影とを二重映しにして物語を盛り上げていく展開は秀逸です。
キリストネタも前半から添えられてはいるものの、本作の場合、小森氏の軽妙な文体ゆえにそれが偉ぶった衒學趣味に轉ばないところも好印象、それでいて最後に開陳される「涜神的な」内容というのは相當に強烈。このネタ自体は途中で何となく察しがつくものの、寧ろ個人的に一番ブッたまげたのは、後半、唐突に登場する作者小森氏の母親の造詣でありまして、ヒロイの前で電波を滔々とまき散らす描寫はかなりアレ。
勿論この母親というのが作者小森氏のホンモノの母親をトレースしたものである筈がないことは、あとがきにシッカリと述べられているのですけど、
本書の発想のもとになったのは、イエスの復活を扱ったその本を刊行した後、「小森さんって、キリスト教の信者なんですか」とか「キリスト教の家庭出身なんですね」という誤解を何度か受けたことに由来する。私の家庭は、キリスト教徒は無縁なのだが、その設定を使ってあの続編が書けるというのが思いつきのきっかけである。したがって、キリスト教信仰の家庭であるという作中の小森家、およびその中の母子の存在はフィクションであって、現実ではないことをお断りしておく。本書は純然たるフィクションであって、作中に登場する人物・団体・事件は、溝畑さんを除いて、すべて架空のものであることを最後にお断りしておく。
しかし溝畑氏以外は全て架空の設定といいつつ、このあとがきの最後の締めの言葉というのが、
作中では気の毒にも殺されることになっているT書店のカジさんの、叱咤と激励がなければ、本書を書き上げることは出來なかった。あとがきで編集者に謝辞を述べるのは、これまで控えてきたが、今回だけは特に記して謝意としたい。
となっていて、実際、本作ではT書店となっているものと思しき徳間書店のカジなる人物も実際、作中に登場して小森氏がここで述べている通りに殺されてしまう譯です。
だとすると、上に引用した「作中に登場する人物・団体・事件は、溝畑さんを除いて、すべて架空のものである」とこの謝辞の言葉とは、T書店のカジさんの存在という點においては大きく矛盾することにもなる譯で、いったい、T書店のカジさんが架空の存在ではないとすると、溝畑氏を除いてすべては架空のものであるという言葉こそは偽りで、小森氏の母親はやはり作中で登場するような電波婆さんなのかなア、とか頭がグルグルしてしまいましたよ(爆)。
さらにはこのあとがきの後に添えられた著訳書リストでも虚實に絡めた「遊び心」をめいっぱいに活かした趣向を見せているところなど、そのメタで彈けた惡戲ぶりはやはり孤高。サスペンスを効かせた物語じしんは勿論のこと、物語の外枠に凝らした稚氣を愉しむのもまた愉しい一册といえるでしょう。