東京創元社のメルマガに曰く、「繊細な技巧が遺憾なく駆使された、工芸品のように美しい傑作」。正にその言葉の通りに、レッド・ヘリングを効かせた誤導や複数視点の語り、そして時間軸の操作を駆使した逸品で、非常に堪能しました、――と簡単に纏めたいところなのですけど、実は初讀時にはこんな仕掛けがあるとはマッタク予想もしていなかったので、最後の最後で眞相が明らかにされた時には完全に口ポカン状態(苦笑)。
多島ミステリならではの読み口の軽さにあまり深く考えることなく、瑞々しく描かれた青春物語をスラスラと讀み進めていったら最後にクエスチョンマークになってしまうという仕掛けの素晴らしさ、そして眞相開示によってある人物のドラマが明らかにされる結構は正に本格ミステリのそれ。
今回はそのあたりの仕掛けについて少し語るだけでもネタバレになってしまいそうなゆえ、軽く纏めて終わりにしようと思っていたんですけど、本作の名前でググっていたら「これってミステリの部分はなくてもいいんじゃねえの」みたいな感想を見つけてしまったゆえ、自分と同様、初讀時に口ポカンとなってしまった方のために少しばかり本作に使用されている技巧についても言及してみます。
あらすじを簡単に纏めると、創元のサイトにもある通りに、ボーイが一夏を過ごした六甲での淡い恋物語、とするところなのですけども、ボーイの視點から描かれた物語だけを讀んでいては、タイトルにもなっている「黒百合」の意味がマッタク見えてきません。勿論この白ならぬ黒い百合にはある意味が隠されておりまして、本作の仕掛けにも大きく絡んでいるところがまず秀逸です。
殺人事件は前半にひとつ、そして後半にもう一つ發生するのですけども、物語の重心はあくまでボーイとその友人、そしてちょっとおキャンな娘っ子との恋愛模様におかれているゆえ、このコロシのフーダニットに凝らされた仕掛けに気がつかない、――というか、こんな仕掛けがあることさえ疑うことはない、……というのが本作の凄いところでもあり、またその逆に、人によっては缺点に見えてしまうという危惧もあります。
本格ミステリ讀みでも特に「イニラブ」を通過してきた讀者であれば、事件がなくとも仕掛けがあるような物語もごくごくフツーに受け入れることが出來るゆえ、本作の凄みも理解できるかと思うのですけども、こういう作品を読み慣れていない讀者であれば最後の最後まで仕掛けにも気がつかず、「ボーイたちの青春群像はその瑞々しい筆致から存分に楽しめたんだけど、コロシとかこういうミステリーの部分は必要なかったんじゃないかなア」なんて感想を持たれてしまうやもしれません。そういう意味では本作、「イニラブ」のようなクセのある本格ミステリを讀んできた本格讀みにこそ手にとってもらいたい逸品といえるのではないでしょうか。
以下は激しくネタバレなので文字反轉します。
本作の物語の中心は「六甲山」という章題が添えられたボーイの回想シーンな譯ですけど、そこに二人の女性の名前と「……」で記された章が挿入されているという結構で、本作の仕掛けとして優れているのは、六甲山の回想パートを西暦で記す一方、女性の名前が添えられた挿入部分では昭和の元号を用いているところでしょう。まず六甲山の最初の章で謎めいた人物が登場し、そのあとに續く章でこの人物の過去とおぼしき逸話が語られていくものですから、元号と西暦の違いに気を留めることなく讀み進めていくとこのあたりですでに作者が用意したレッドヘリングに目を奪われてしまいます。
誤導の技法でいえば、この謎めいた人物の存在以上に、足をひきずる運転手の存在や、運転士という職種といった細部を二重化することで、これまた讀者の關心をこちらの方向に引き寄せてみせるのですけども、本作最大の誤導はタイトルにも絡めたまったく別のところにあったという仕掛けには關心至極、あらためて女性の名前が添えられたパートを讀み返すことで、例えば――日登美の章で、愛人が呟く「困った体になってしもたわ」という台詞の真意や、その「吐息に指はいそがしく応えつつ、頭では日登美のことを考えていた」という描写の巧みさを堪能できるのではないでしょうか。
本作の最大の仕掛けはそうした部分にあるのは勿論なのですけども、錯綜した人間關係に「叔母」や「義母」といった呼称を駆使しながら、そこに「六甲山」のパートのヒロインの複雑な家庭事情に絡めてみせたところも秀逸で、こうした名前に着目した細やかな技法を凝らす一方、ラジオドラマなど時代風俗を描いた部分で手の内を明かしてみせるという大胆さも素晴らしい。
確かに謎解き「そのもの」はないとはいえ、こうした誤導の技法を駆使した仕掛けは「イニラブ」以降、本格ミステリ讀みはごくごくフツーに受け入れることが出來るかと思うのですけど、本作の場合、この仕掛けの中心にいる人物の過去に際して作者は重大な事実を最後の最後まで隠し仰せてしまっているゆえ、驚きより何よりもとにかくフェアプレイに固執しまくる原理主義的な讀みしか認めない偏狭なマニアがこのあたりをどう受け止めるのか興味のあるところです。
そして、ある「人物」とそれぞれのパートの登場人物が連關していく仕掛けの中に、二つの殺人のフーダニットがある譯ですが、本作の場合、二つのコロシが些かアッサリと描写されており、それがまたこの仕掛けそのものの存在を讀者に気取らせないような結構になっているがゆえ、冒頭に述べたように「ミステリーの部分はなくてもいい」なんて感想も出てきてしまうのカモしれません。
しかし淡い青春物語が中心にありながら、そうしたノスタルジー溢れる物語を挿入章と連關させることで本格ミステリ的な仕掛けを凝らしてみせたのが本作の風格でもある譯ですから、そうした部分をまったくスルーしてしまうのはもったいない、というか、それじゃあ意味がないジャン、と思うのですが如何でしょう。
とはいえ、初讀時にはあまり深く考えず、多島節を効かせた青春物語を堪能し、最後の眞相に「?」となってしまった後、あらためて登場人物たちの關係図を組み立てながら、西暦元号に着目した再讀を行いつつ、物語の時間軸を把握していくという愉しみ方がいいのカモしれません。「イニラブ」系の、謎解きより何よりも仕掛けを駆使した本格ミステリをご所望の方に強くオススメしたいと思います。